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ブックマーク / blog.tatsuru.com (8)

  • なぜ安倍政権は勝ち続けるのか? - 内田樹の研究室

    「なぜ安倍政権はこれほど勝ち続けるのか?」 その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。 ふつう政権の支持率が高いのは(政権発足時の「ご祝儀」を除くと)善政の恩沢に現に国民が浴しているからである。 だが、安倍政権はそうではない。 経済政策は失敗した。隣国との緊張緩和は見るべき成果を上げていない。沖縄の基地問題は解決の糸口が見えない。安保法案の審議では国会軽視と反立憲主義の態度が露呈した。五輪計画や福島原発や豊洲移転問題では日の官僚機構全体のガバナンスと倫理の欠如があきらかになっている。どれも政権末期の徴候である。にもかかわらず政権は高い支持率を保持している。その根拠は何なのか? 一番簡単なのは、「日人は政策の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である。 たしかに話は簡単になるが、先がない。 国民の過半が愚鈍であるなら、こんな特集もこ

    woykiakes
    woykiakes 2016/11/17
    この先生のエッセイはイラッとしたら負けだなぁ(俺は負け)
  • 変わらないことの意味 - 内田樹の研究室

    神戸女学院を紹介しているの「あとがき」にこんなことを書いた。中高部のPRのためのなのでふつうの人はあまり手に取ることがないと思うので、ここに再録しておく。 神戸女学院時代の同僚たちと毎年スキー旅行に来ている。91年の春に着任一年目のシーズンに先輩たちに誘われて来てからだから今年で25回目になる。私は高校一年生のときから半世紀にわたってスキーをしてきた。邦における「スキー文化」の消長を砂かぶりで眺めてきた。そして、ほんとうに風景が変わった、と思う。 一番変わったのは、若者がゲレンデにいないということである。レストランに入って、辺りを見回してもほとんど中高年者と外国人しか目に入らない。高齢化・インバウンド依存がこのまま推移すれば、いずれ高齢者たちが退場したときに大正時代にヨーロッパから扶植されて発展してきた「日のスキー文化」それ自体が消滅することになる。百年以上の歴史を持つ、近代日

    woykiakes
    woykiakes 2016/07/05
    若者の“貧困”を憂うことがなぜ“脱成長”と整合するのか。脱成長=脱ネオリベ=脱市場経済ということかな。だが極端な贈与の思想は一周回って最も冷酷なリバタリアニズムとも一致しますよ
  • 学校教育の終わり - 内田樹の研究室

    大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。 機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。 これを特定のパーツを取り替えれば済むと考えている人は「どこが悪いのか?」という「患部」を特定する問いを立てようとする。だが、それは無駄なことだ。日の学校制度はもう局所的な手直しで片付くレベルにはない。 「日の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。 けれども、学校教育は「全部悪い」からといって、「全部取り替える」ことができない。自動車なら、新車が納車されるまで、バスで通う、電車で通うという代替手段があるが、学校にはない。新し

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    woykiakes 2013/04/10
    この先生はいつもトランス状態で物を書いとるね。イタコの口寄せじゃないんだからw
  • 直感と医療について - 内田樹の研究室

    第13回日日赤十字看護学会というところで講演をすることになって、長野県の駒ヶ根というところに来ている。 学会は今朝から始まっているが、私は懇親会に出るだけで、明日の朝講演をすることになっている。 頂いたお題は「東日大震災における天災と人災」というものだが、私を講師に指名して下さったということは、「人災」の構造についての分析だけのためとは思えない。 私が武道家としてこれまで考究してきたのは、天災であれ、人災であれ、「生きる力」を損なうものからどうやって身を守るか、ということである。 自然災害であれ、人間が発する邪悪な思念であれ、それが私たちの生物としての存在を脅かすものであれば、私たちはそれを無意識のうちに感知し、無意識のうちに回避する。 たしかにそのような力は私たち全員のうちに、萌芽的なかたちで存在する。 だが、それを計測機器を用いて計量し、外形的・数値的に「エビデンス」として示すこと

  • 経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて - 内田樹の研究室

    平松邦夫さんの新しい政治運動のためのシンポジウムがあった。 労働組合や既成政党が土台という「ふるい」タイプのムーブメントはもう賞味期限が切れていると思うけれど、それへのオルタナティブがみつからない。 「オルタナティブがみつからないで困ったよ」という全員の困惑がはっきり前面に出ていたという点で、私にはなんとなく新鮮であった。 平松さんの市長時代の最後のパーティは選挙応援のためのものだった。3000人くらい集まった集会で、たいへんな熱気だったけれど、労組、政党、業界団体が集票マシンになるという、「ふるいタイプ」の集まりだった。こういうやり方では変化の激しい時代には対応がむずかしいだろうという気がした。 そのときよりはるかに人数は減っていたけれど、昨日のシンポジウムでは明らかに「みんな戸惑っていた」。 これはよい徴候だろうと私は思った。 戸惑うときには、しっかり戸惑った方がいい。 今までのやり方

  • 原発供養 - 内田樹の研究室

    昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「

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    woykiakes 2011/04/09
    いいからとっとと死者の声を聴く仕事に戻るんだ。地震と津波だけで1万人以上死んでんねんで?原発なんぞ供養してる場合か。
  • 生身の弱さについて - 内田樹の研究室

    平川くんと新春の「たぶん月刊話半分」の収録を久が原の平川くんの家で行う。 平川くんのご実家を訊ねるのは40年ぶりくらいである。 久が原の街のたたずまいは昔とほとんど変わっていない。 子供の頃は、21世紀になるころはエアカーに乗って、銀色の宇宙服着て、宇宙ステーションみたいな学校に通うようになると信じていたけれど、ぜんぜんそんなふうにはならなかったね、とふたりで歩きながらぼそぼそ話す。 90年代のバブルの頃、街の様子ががらりと変わりそうになったけれど、それも一時のことだった。 人間は「ヒューマン•スケール」からはなかなか抜け出せないものだ。 生活の惰性というのは侮れないね、という話をして、頷き合う。 ラジオの主題はイデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について。 空理空論のイデオロギーは危険なものだけれど、日人の場合は、それを生活実感が覆してしまう。 「百日の説教、屁一つ」である。 いくら大義

    woykiakes
    woykiakes 2011/01/10
    この先生は時々「自分は蒲柳の質で」とか言うんだよね、冗談混じりなのかなんなのか知らんけど。本当に病弱な人に失礼だと思うけど、その程度の「他者」に対する感性もないんだよこのおっさんw
  • 移行期的混乱 (内田樹の研究室)

    平川克美くんの近著、『移行期的混乱』(筑摩書房)のゲラを読む。 タイトルは二転三転してまだ決まらないようだけれど、執筆中から、の話をするときは、ずっとこのタイトルで話していたので、私は勝手にそう呼ばせてもらう。 文明史的なひろびろとした展望の中で、現代日の景況・雇用問題・少子化・高齢化・格差といった「困った問題」をわしづかみにするような豪快な議論を展開している。 平川くんによると、今日経済学者や政治家たちはリーマンショック以後の経済危機を「システム運用上の失敗」に過ぎないととらえている。 だから、効果的な経済的な政策さえ実施すれば「再度新たな経済成長が期待できるはずである」という見通しを語る。 それがうまくゆかないのは個別的な政策の当否や為政者の賢愚という正誤問題に過ぎず、正しい政策、賢明な政治家に取り替えれば、問題は解決する、というのが彼ら政治家やメディア知識人たちの見たてである

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    woykiakes 2010/07/25
    マクロな経済を理解するためには論理の階段を一歩づつ上って自然な直感をねじ伏せなくてはならない。人生経験と身体的直感を過信してる人が反成長主義に陥るのはごく自然なこと。
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