艦これ運ゲー論は飽きた。飽きたんだ。 いい加減このメビウスの輪から抜け出したい。 翻訳記事:ランダム性 | スパ帝国 読み物|マジック:ザ・ギャザリング cr.hatenablog.com cr.hatenablog.com 「運ゲー」という言葉は広い。そんな言葉の定義論をやってあってるの違っているの言ってもしょうがない。大事なのは、間違いなく侮蔑の意が込められている「運ゲー」という言葉を、何が叫ばせているか、だ。 >>何をしても無駄。できることなんて無い。せいぜい祈るだけ。ああ運ゲー運ゲー。 >>おいちょっと待てそんな言い様はないだろう。 この争いが13年秋から延々と続いている。もう飽きたんだ。そのたびに説明するのもうんざりだ。だからここにまとめておく。 艦これは結果にランダム要素が強く絡むゲームである ランダム要素が生む「物語」 調整に失敗したランダム要素が「運ゲー」と叫ばせる ランダ
「じゃあ、もう一皿…かんぱちください。先輩は?」 「かんぱちいいね。僕も、これをもう一杯くださいな。はい。それで、艦これは見てるの?」 「あのアニメ。あれは面白いですね」 「おぅ?」 「あれって、『現場にどんな縛りが降りてきた制作体制だったのか』を想像するのがかなり容易な作品じゃないかと思いませんか? たぶんこうでしょう: ・提督を出さない ・一般人を出さない ・第二次大戦に言及しない そのほかもあるかもしれないけれど、この3つが縛られたうえで作劇しているのはさしあたり確かそうと思われますよね」 「ああ…そうかもね? それは、クレーム対策的なもの?」 「おそらく。だから比較的上層部から現場に降りてきた縛りで、現場も苦しんだのではないでしょうか? この3つの縛りは話のうえでどう波及するかというと: 提督を出さない → 軍事行動の責任者がいない → 作戦の成功や失敗の評価、払われた犠牲や死の価
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