イギリス在住のある男性は、1970年代から、同じ理髪店に通い、同じ理髪師を指名してきた。そして約10年ごとに、その記録として鏡越しから2人の姿が写る写真を撮影していた。 2人とも同じように年を取り、髪に白髪がまじりはじめ、毛量も減ってきたが、その分信頼関係は深まっていた。カメラも形が変わり、スマホとなった。 そしてついに50年がたった。78歳になった男性は5回目の撮影を終えた。思い出がたくさんつまったこの記念撮影は、今回が最後になるかもしれないという。
![50年間同じ理髪店に通い同じ理髪師と共に写真をとった男性の尊い記録 : カラパイア](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e1184083ac2439872ae0984ad835ec073d4fb046/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fkarapaia_zaeega%2Fimgs%2F6%2Fa%2F6ac26c4d.jpg)
いったい何を目指しているのかはわからないままに、猫の自主トレ風景が凄かった。背中を床に押し当てながら、ベッドの下をスイスイと高速移動。 これはかなり高度なテクニックである。忍びの活動に生かせることはもちろん、世界征服的な活動にも役立つことだろう、きっとそう。
お釣りの計算をしようとしてパニックに陥った経験はないだろうか? 数学のテストで頭が真っ白になったことは? できる限り、数学とは関わりたくないと考えてはいないだろうか? 最近の研究で、数学の問題について考えようとすると、脳が肉体的な痛みを経験する時と同じような反応をすることが判明ている。 もしそうなら、あなたは数学恐怖症かもしれない。もしくは恐怖症予備軍なのかもしれない。 そういう傾向にある人は少なくないようで、アメリカの場合、大学生の25パーセント、短大生の80パーセントにそうした傾向があるという推定もある。 「精神障害の診断と統計マニュアル」では、これが精神障害であるとはみなされていないが、性別や年齢、あるいは人種や社会経済グループにかかわらず、早いうちから発生するようだ。
日本だと室町時代後期、織田信長が生まれる約30年も前からこのサメは生きていたということになる。なんだかすごいぞ。 北大西洋で現生する世界最高齢の脊椎動物と目されるニシオンデンザメが発見された。数ヶ月前に発見されたサメであるが、この度『Science』に掲載された論文でその年齢が明らかにされた。 博士論文の提出を控えたジュリアス・ニールセン(Julius Nielsen)氏のチームが発見した体長5.4メートル以上もあるニシオンデンザメは、調査の結果、512歳に達することが判明したというのだ。
例えベッドが狭くなろうが、お腹にのられて寝苦しかろうが、一緒に添い寝してくれるペットがいることの多幸感ったらこの上ない。 私も最近ベッドに入ると、けもとももが添い寝ポジションに入ってくれるのだが、くしゃみをしただけでフォーメーションを解かれてしまうし、ちょっとでも動くと、ベッドから飛び降りてしまうので、なるべく長い時間一緒に寝てくれるように、動かざるごと岩のごとしを貫いている。 海外サイトにてペットと飼い主が共に眠っている画像がまとめられていたのだが、みんなすごく幸せそう。
必要なもの:なし 方法:何もしない。本当にたまたま偶然に、地球を作り上げているすべての原子が自然と偶発的に消滅するのをただぶらぶらと待っていればいい。確かにこんなことが実際には起こらない確率はないとはいえないが。 9.ストレンジレットに地球を飲み込ませる 必要なもの:安定したストレンジレット 方法:ストレンジレットとは、まわりのものを飲み込んでブラックホールになる可能性のある異質陽子のことだそうだ。ニューヨーク州ロングアイランドにある原子核物理研究所、ブルックヘイブン国立研究所の重イオン衝突型加速器(RHIC)を乗っ取って、安定したストレンジレットをつくり、できるだけ長く安定させ、このクウォーク集団の中に地球全体を飲み込ませる。しかし、ストレンジレットを安定させるのはとてつもなく難しく、可能性は限りなくゼロに近い。その後の地球の行く末:ストレンジ物質の巨大な塊になる 8.小さなブラックホー
現在日本では週休2日、週5日労働が一般的となっているが、労働時間を短縮したほうが作業効率が上がるという研究結果も報告されており(関連記事)、就労時間の見直しを行っている企業も多い。 ニュージーランドのある企業が2ヶ月間、出勤を週4日にするという実験を行った。その結果、予想以上に良い効果が得られたために、その正式採用を検討しているそうだ。
地球上、いたるところに愛は溢れている。本当はみんなそれをわかっているのだが日々の忙しさに忙殺され、見て見ぬふりをしているのかもしれない。 一年も大詰めとなるこの時期、改めて人々のやさしさや無償の愛に触れることで、まだまだ人間捨てたもんじゃないって実感しながら新年を迎えることで、心の汚れが浄化されていくかもしれない。 自らの行動は自らに帰ってくる。自ら吐いた言葉は、いつか必ず上を向いて吐いたツバのように自らにかかってくるのだ。 「正義」とは人を罰するものではなく、どんな人の心にも寄り添える想像力と寛容、咄嗟に行動で示すことのできる実行力の上に成り立つものなんじゃないかと思う。例え自己満足と思われても誰かの幸せを願わずにいられない、それこそが正義の制裁なのではないかと思うわけなんだ。
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