ポンバル侯爵およびオエイラス伯爵セバスティアン・ジョゼ・デ・カルヴァーリョ・イ・メロ(ポルトガル語: Sebastião José de Carvalho e Melo, primeiro Conde de Oeiras e Marquês de Pombal、1699年5月13日 - 1782年5月8日)は、近世ポルトガル王国の政治家。国王ジョゼ1世の全面的信任を得て長年独裁権力を振るい、啓蒙的専制を行った。 宰相への道[編集] セバスティアン・デ・カルヴァーリョ・イ・メロはリスボンの小貴族マヌエル・デ・カルヴァーリョ・イ・アタイデの息子として生まれた。コインブラ大学に学び、しばらく軍に勤務した後にリスボンへ戻り、アルコス・セバスティアン伯爵の姪であるテレサ・デ・メンドーサ・イ・アルマダと結婚した。しかし、妻の実家は身分違いだと反対しており、何かと差し障りが多かったので、ポンバル近くの領