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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (28)

  • 安倍首相の「断腸の思い」は私には伝わった: 極東ブログ

    私は、いちおう述べておけば、自民党支持でもないし、安倍晋三首相の支持者でもない。ただ、それでも、彼を擁護するかに聞こえる発言をしようものなら、それだけで批判されるという昨今のネットの空気も知っているが、これは、書いておこうかと思った。 北朝鮮の国家組織による犯罪行為として、1977年(昭和52年)11月15日に、袋詰と思われる非人道的な方法で拉致された13歳の女子中学生・横田めぐみさんの父、横田滋さんが5日老衰で亡くなった。無念であっただろうと思う。 これを受けて安倍首相は、記者団に対し、思いを述べたのをNHKニュースで私は見た。曰く、「総理大臣としていまだにめぐみさんの帰国が実現できていないことは断腸の思いであり、申し訳ない思いでいっぱいだ」と。涙は流していないが、詰まらせている声はいつも喋り下手ではなく、涙が出そうな感情をこらえているように見えた。もちろん、これは私の主観である。が、彼

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    y-mat2006 2020/06/06
    ダンチョネ♪弁当爺さんも老けたと言うか。
  • これこそがテロなんだと思った: 極東ブログ

    23日の宇都宮城址公園付近で複数の爆発については、昼頃何かのニュースで聞いた。複数の爆破があり、一人死亡ということで、テロかなと思った。しかし、米国での同種のテロ事件から想定していた規模ではなさそうなので、不審な思いを残しつつそれほど関心は持たなかった。その後、同日の7時のニュースでは、すでにその死者は72歳の元自衛官で、自殺図ったと見られると知り、自分としてはあらかたの関心を失った。 その後、なにか思い出すなと心を探り、2015年6月30日の東海道新幹線での71歳の男性の焼身自殺を思い出した。あれは、巻き添えの死者を出した点で、恐ろしいものだと思っていた。ネットでは、たしか低年金者の下流老人という視点や、こうした世相を導いたのは安倍政権だとかいう批判を見たように思う。今回はどんなネットの反応があるだろうかと連想したが、探ってみる気力もなかった。 その後、連日このニュースは続いたが、米国大

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    y-mat2006 2016/10/26
    弁当爺さん、相変わらず韜晦的である。
  • 「津久井やまゆり園」事件、雑感: 極東ブログ

    神奈川県「津久井やまゆり園」で元職員の男が、同施設の入所者、年齢19歳から70歳の男性9人・女性10人を刃物で殺害する事件が起きたのは、先月26日のことで、もうしばらくすると1か月になる。事件は日国のみならず世界を震撼させる話題となったが、海外での受け止め方は、①これはISなど宗教・政治的なテロではないこと、②日では大量殺人は非常に珍しいこと、の2点に集約されていた。対して日では、全日自閉症支援者協会の声明に見られるように、ヘイトへの危険性として受け取られることが多かったように思われた。また、ネットなどでは優生思想の危険性が政局の枠組みと関連づけられて語られている様子もしばしば見られた。 例えば同協会の声明の事件の認識の核は次のようだった(参照)。 今回の事件の詳細については、十分に把握できない状況ですが、警察の被疑者への取り調べやメディアを通じた情報によれば、被疑者は、「障害者は

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    y-mat2006 2016/08/22
    チンコのついてる香山リカ?
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

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    y-mat2006 2016/04/02
    またこの人か。
  • なぜ従順に殺害されてしまったのだろうか: 極東ブログ

    イスラム教過激派組織ISIS(イラク・シリア・イスラム国)が、人道支援団体メンバーのスコットランド人デービッド・ヘインズ(David Haines)さんを殺害した。13日の報道である。首をナイフで切断するという残酷な殺害である。同種の殺害として3人目になる。 一人目は、8月19日、米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー(James Foley)さん、二人目は、9月2日米国人ジャーナリストのスティーブン・ソトロフ(Steven Sotloff)さんである。 私はフォーリーさんが殺害されたおり、残酷性が弱められたとされる動画をたまたまネットで見た。実際の殺害シーンはボカされていた。断頭後の死体も見なかった。あの動画はあくまで処理されたものだろうと私は思っていた。 その後、「あれは当に処刑の映像なのか」という疑問を投げかける報道を見かけた。もしかすると私が見た映像はISISが流した映像そ

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    y-mat2006 2014/09/16
    誰かこのセンセイをぬっ殺して、死に際に反抗しないか確かめてほしい。/本人からクレームがあったので、殺意がない事を謝罪。我の未熟さへの反省の糧とするため、あえて削除はせぬ。
  • スレブレニツァ虐殺での300人の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた: 極東ブログ

    スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた。ZDFのニュースで見かけた話題である。これは、日にとっても大きな意味をもつなあという印象を持った。だが同時に、日国内では、案外話題になっていないかもしれないと思い、ざっと調べたら、NHKとAFPが扱っていた。 NHK「蘭裁判所 ボスニア虐殺の責任認める」(参照)から引用しておく。 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦中の1995年に、8000人以上の住民が殺害された大量虐殺を巡り、オランダの裁判所は「当時国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍が一部の住民を保護していれば生き残ったと考えられる」として、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。 これは、内戦が続いていた1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで、イスラム系の住民ら8000人以上がセルビア人勢力に虐殺されたことについて遺族らが

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    y-mat2006 2014/07/17
    積極的平和主義の道を歩むのであれば避けては通れない問題。他国民のために手を汚したり悪名を引き受ける覚悟はできてるのであろうか?
  • 読みが難しかったウクライナ争乱: 極東ブログ

    ウクライナ争乱については読みが難しくなかなか書けなかった。まあ、私などが書いても毎度ながらいやなコメントを貰うくらいがオチだが、実のところ、2月20日以降、私の読みは外していた。そのあたりから少し書いてみたい。 外したなあと思ったのは、21日時点の暫定的な和解でとりあえず政権崩壊は避けられるだろうと見ていたからだ。 少し振り返る。21日AFP「ウクライナ政府、反政権側と「暫定的な和解」と発表」(参照)より。 【2月21日 AFP】ウクライナの首都キエフ(Kiev)で起きた反政権デモと機動隊の激しい衝突により多数の死者が出た前日から一夜明けた21日、同国のビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領は3か月に及んでいる反政権派との対立を終結させるために、両者間で暫定的な和解が成立したと発表した。 欧州連合(EU)が確認したところによると、ヤヌコビッチ大統領と野党の指導者

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    y-mat2006 2014/03/02
    事実上のロシア軍のクリミア進駐以前のエントリ。
  • サンドイッチ: 極東ブログ

    サンドイッチが美味しいなと思ったのは、青春のころ。1980年代。米人の比較的多い環境だったこともある。日人の作るサンドイッチとはずいぶん違うものだなとも思った。サイズとか。もちろん味も。 キャンプファイア場みたいのところで、みんなで持ち寄ってランチとかしたことがある。米人の女の子が手際よく鉄板の上でハンバーグを焼いて、バンズに挟んでくれた。ふーん、ハンバーガーって手作りありなんだと思った。どうやって作るのと聞いたら、お肉に塩とこしょうを入れて焼くだけよと言った。僕はけげんな顔していたんだと思うし、彼女も日のハンバーガーに慣れていたんだろう。つなぎとか入れないほうが美味しいのよと言い足した。そうなんだ。ということで、その一言が僕の人生を変えた。そのシンプルなハンバーガーを作ってべるようになった。トマトやピクルスやレタスも入れるけど。 表参道に寄ったときバンブーでサンドイッチをべるよう

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    y-mat2006 2014/01/12
    リア充爆発しろ
  • ヨーロッパ人の歴史は1000年ほど。彼はいったいどこから来たのか?: 極東ブログ

    先日ハフィントンポストに「欧州大陸の人々は共通の先祖に繋がることがDNA研究でわかった」(参照)という記事があり、気になってさらっと読んだのだが、それによると現在の欧州人の祖先は1000年前くらいまでだというのだ。へえ、そんなに歴史がないのかと思い、いやそんなわけもないよなと思って、ちょっと考え込んだ。 1000年前というと随分昔のような感じもするが、日だと平安時代で『源氏物語』が書かれたころである。藤原道長の全盛時代でもある。そう考えると随分昔といっても、それほど古代というほどの感じはしない(古代であるだろうけど)。源氏物語はフィクションだけど、あの恋愛とかをやっていた時代が1000年くらい前になる。 欧州大陸というから西洋史の知識から見ても、そんなに昔という感じはない。神聖ローマ皇帝でハインリヒ2世が皇帝になったのが1014年である。 1000年以前に西欧でもすでに十分現在の西欧人の

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    y-mat2006 2013/05/12
    ちょっと前、アイスマンの子孫と思しき集団がいたと言う話を見た記憶があるのだけど。
  • 「うる星やつら」の思い出: 極東ブログ

    また楽屋落ちみたいな話からだが、cakesで書いている書評の、今回は「めぞん一刻」(参照)が公開された。前・中・後と3回に分けていて今回はその前編分。「めぞん一刻」の紹介説明な部分。書評はできるだけこれから読む人のガイドも兼ねたいと思っているので、基ストーリーや主要人物、要点などをまとめようと思っている。 「めぞん一刻」は単純なラブコメとも言えるのでさくっとまとめてもよいのだが、ちょっと思い入れがあって紹介部分からして重くなってしまった。ネットメディアに重たい文章もなあと思ったが、今回は特例で3回に分けて掲載ということなった。こういう部分は書き手としては嬉しいが、ブログとも違い、あまりそれに甘えてもいけないとも思った。 「めぞん一刻」の話はそちらでということなのだが、今回全巻を数日かけて読み直しながら、並行して書かれていた「うる星やつら」も気になっていた。特に、あれっと思ったのは、「めぞ

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    y-mat2006 2012/10/02
    BDが好きだったので、ボクにとってのうる星は押井守作品。/押しかけ女房の系譜からすると、ニャル子もポニョもラムの子孫。
  • ヒメネスさんのキリスト画が優れたアートである5つの理由: 極東ブログ

    北東部ボルハ(Borja)の教会でエリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)による「この人を見よ」(Ecce Homo)と題するキリスト画を元に描かれたるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さん(80)のキリスト画が、優れたアートである5つの理由ついて考察したい。 「この人を見よ」(Ecce Homo) 1 斬新なインスタレーションでありストリートアートである ヒメネス画は、教会という固定化された空間を作家の意匠によって異化させ新しい体験を促すインスタレーションであり、また既成権力によって形骸化された美術館やギャラリーといった閉鎖空間に圧殺された芸術の質的な力を広い空間に解放し、人々のコミュニケーンを活性化させる斬新なストリートアートとして評価できる。 キリストを描いたストリートアート 2 ルオーの精神性を現代に再現している ヒメネス画

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    y-mat2006 2012/08/27
    ただ教会におけるアートは、信仰のためのツールであるべきと言う観点からすると、もうちょっと信徒に受けしそうな絵であって欲しいような。
  • シリア問題から西クルディスタン(Western Kurdistan)出現の可能性: 極東ブログ

    シリア問題に直接関連しているともいいがたいが、間接的に大きな国際問題を引き起こす可能性が高いのがクルド問題である。この部分もそろそろ言及しておくべき事態になってきた。 クルド問題は、簡単にいうと、トルコ、イラク、イランにまたがる地域のクルド民族が民族自治国家を求めることから生じる紛争である。民族自治国家を持たない最大数の民族としてクルド人は推定2800万人いる。別の言い方をすれば「クルディスタン」として求められるクルド人の国家は、近代西欧による帝国侵略の影響もあり、トルコ、イラク、イランに分割された。現状はこれらの国の国民として建前は統合されているが、実質的には弾圧されている。 クルド問題は根の深い問題だが、注視しなけれならないほど影響力が増してきた一つの転機はイラク戦争だろう。日の報道ではイラク戦争は、大義なき間違った戦争と単純に割り切らることが多く、なるほど国連の建前からすれば、国連

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    y-mat2006 2012/07/28
    ただでさえ不安定な地域に激震が起きそうな感じ。
  • 職業別労働組合が奨学生を支援するといいんじゃないの: 極東ブログ

    ネットで学費援助を募集するというような話題がこのところネットにあって、公的なセクターが関わる話でもなさそうなので、私にはあまり関心が向かない。なので、そうだったら、関連した話なんかも書かなくてもいいじゃないかとも思うのだけど、まあ、雑談くらいにちょっとだけ。 以前、米国の職業別組合みたいなのものに所属していて、それなりに面白い体験でもあった。団体のプレジデントとか選ぶときも、米国の大統領選挙みたいな仕組みだったりした。規約の改定の手続きともかも、宗教的な大義みたいなものを打ち出したりして、米人は奇妙な考え方をするもんだなとか思った。そんななかで、組合のミッションとして、「今年の奨学生」というのもあった。組合で奨学生を選出して支援しているようだった。 他の組合というかユニオンがどうなっているのか知らないし、ざっとネットで調べた感じだとよくわからないのだが、そこのユニオンだと、将来学生がその職

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    y-mat2006 2012/05/25
    じゃあ、この絵の中から職業別労働組合を出してください。
  • アフガニスタン戦争、西側諸国敗戦のお知らせ: 極東ブログ

    公式には言われていないし、非公式に言うのは少し早いという印象もないわけではないだが、全体動向からしてもう確定と見てよいだろう、「アフガニスタン戦争、西側諸国敗戦のお知らせ」である。負けましたね。 大営風味の西側報道を見ていても、おや?と疑問に思うような話が増えてきた。たとえば4日付けNHK「アフガン 民間犠牲者が過去最悪に」(参照)では、表題通り最悪の現状を告げている。 アフガニスタンで去年1年間に戦闘やテロに巻き込まれて死亡した民間人の数は3000人を超え、2001年にアメリカが軍事作戦を始めて以来最悪となりました。 これは、国連アフガニスタン支援団が4日発表したもので、アフガニスタンで去年1年間に戦闘やテロに巻き込まれて死亡した民間人は3021人で、前の年に比べて231人増えました。2001年の同時多発テロ事件を受けてアメリカがアフガニスタンで軍事作戦を始めて以来、最悪の犠牲者の数で

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    y-mat2006 2012/02/12
    ただ、ラディンの首を殺ったと言うことで、オバマは「英雄」と呼ぶに足ると思う。
  • ユセフ・ナダルカニ氏の死刑判決: 極東ブログ

    イランのキリスト教信者ユセフ・ナダルカニ(Yousof Nadarkhani)氏(33)に死刑判決が下った。これについて国際世界では、死刑廃止論者と信教の自由を求める人々から大きな異論の声があがった。が、理由はよくわからないのだが、死刑廃止論者の活動が盛んで、しかも信教の自由は日国憲法に国を超える普遍の価値と明記されている日では、にもかかわらず、報道がないように見える。それほど話題にも上っているふうもない。 不思議なことだなと検索してみると、福音派ではないかと思われるが、キリスト教インターネット新聞クリスチャントゥデイというサイトに「イラン福音主義牧師、絞首刑へ」(参照)として話題があったが、このサイトの方針から当然と言えないこともないが、この問題をキリスト教信仰の問題に矮小化している印象がある。また記事も伝聞のためか事実認識に問題がありそうではある。それでも日語で読める資料という点

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    y-mat2006 2011/10/05
    「さらにごく個人的に言うのだが、ナダルカニさんは、過ぎ去りゆくこの世にあっては、形の上だけ棄教すればよいと思う。」←きわめて日本的な発想だなあ。
  • [書評]日本改革宣言(東国原英夫): 極東ブログ

    11日の地震のとき、ちょうど東国原英夫前宮崎県知事による、コンビニ販売の書籍「日改革宣言」を読んでいた。東国原氏、というか私にはいまだに「そのまんま東さん」という感じなので、東さんと呼ぶかな。東さんは、14日に都知事選への出馬を発表するとのことだったように記憶している。が、発表はなく断念されたか延期された。この大災害を考慮し、別の機会を選ぼうとされたのではないかと個人的には思っていたが、ツイッターなどを見ると石原都知事が4選出馬を表明したので尻込みしたという話もあり、意外にも思ったが、そういう見方もあるのかもしれない。結局、先ほど、立候補された。 震災前になるが、私は今回の都知事選では石原さんには投票しないつもりでいた。大きな権力を持つ要職に4選なんてするものじゃないし、まして当選したら80歳を越える。輿石東参議院議員じゃあるまいし、80歳まで政治家なんかすることはないだろうと思っていた

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    y-mat2006 2011/03/23
    この韜晦帝王とでも言う吾人、これが定常運転なんだろうな。
  • 石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言のこと: 極東ブログ

    石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言には、私には関心がなかった。今でもさして関心はない。理由は簡単で、この人の新しい失言から思想信条を考えるまでもなく、それなら、過去の失言で十分ではないかと当初思えたからだ。問題は、そうした思想信条が公的な立場である東京都知事としての行政に反映されているかなのだが、これまで都知事をされていて、特段に影響を見ないように思う。 今回の失言の顛末だが、すでに「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」(参照)と謝罪したとのことなので、政治的な決着は済んでいると言えるのではないか。人としても、「天罰」発言が失言であったと認めている(参照)。 とはいえ、当初の報道のされかたに私は奇妙な印象を受けた。これってきちんとした報道になっているのだろうか。そういう思いから、報道の資料としてブログに残して、それと自分がこの件で思ったことを記しておきたい。 大手紙

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    y-mat2006 2011/03/16
    So What?
  • 自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる: 極東ブログ

    わかりやすく書いたつもりだったのだが、昨日のエントリー「自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ」(参照)はあまり理解されていないようだった。これがわからないと、近代国家の意味やシビリアンコントロールの意味が理解できないことになる。それじゃ困るなと思うので、もう少し補足しておこう。 社会学的なものの考え方は慣れていない人には難しいのかもしれない。典型的な無理解として、例えば、いただいたはてなブックマークコメントにこんなのがあった(参照)。 hokusyu あたまがわるい, 暴力 詭弁w。存在自体が暴力であるという言い方は可能だが、ふつうはある力の行使のことを暴力というのであり、その暴力(乱暴な力)をふるうApparat(組織体/装置)が自衛隊や警察ってことで、日常言語でも普通に理解できる 2010/11/19 54 clicks 18 「存在が暴力」というのは文学なん

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    y-mat2006 2010/11/20
    いつもの衒学趣味。
  • 自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。: 極東ブログ

    仙谷由人官房長官が18日の参院予算委員会で、「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロールも利かないとならない」と発言し、「自衛隊が暴力装置とはなにごとだ」という文脈で話題になった。仙谷官房長官も即座に失言を認め「実力組織」と言い換えた。 話としては、天皇機関説や女性機械説と同じ類の、学問をしてない人は誤解するということで、たいした失言でもないようにみえる。問題があるとすれば、仙谷官房長官の認識が間違っている点にある。自衛隊は暴力装置ではないのである。それは、タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じことなのだが、まあ、ご説明しようではないか。 社会学や政治学や法学の世界では「暴力」という言葉はドイツ語の"Gewalt"(ゲバルト)の定訳語として使われることがある。その意味で社会学での定訳語としての「暴力」は日常使う意味合いと異なることがある。 同じことは英語にも

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    y-mat2006 2010/11/19
    巧言令色すくなし仁。/与太も、技量と教養の限りを尽くせば芸にはなるんだろうけれど。
  • アザデガン物語 必死だったな石油公団: 極東ブログ

    まことに大きな利権集団が、閉花期を迎えようとしていた。 エッフェル塔が完成しパリ万国博覧会が開催された1889年(明治22年)4月9日、後に「アラビア太郎」と異名を取ることになる山下太郎が生まれた。場所は秋田県、今の横手市である。 地元の祖母の元で育てられ、10歳を過ぎてから東京の実母の家に送られ、青年期に北海道に渡り、札幌農学校(現北海道大学)に学ぶ。卒業後、各種のビジネスに手を染め、失敗を重ねながらも満州でビジネスを拡大した。第二次世界大戦後は石油資源の確保に尽力し、1957年、ペルシャ湾海底採掘権をサウジアラビアおよびクウェートの両国から獲得した。40年間の契約だった。これを契機に1958年、アラビア石油を創立した。 アラビア石油は、1960年から採油を開始した。石油が日の高度成長を支える姿にアラビア太郎は満足しつつ、1967年、波乱の一生を終えた。同年、アラビヤン焼きそばが発売さ

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    y-mat2006 2010/10/03
    天下り先をつぶすために、ガイアツを借りたと言うこと?/アラビア石油と言えば、その昔、比(検閲のため削除)