今週は特にだが、このところ忙しくなってきて、ブログを書き漏らすことが多くなってきた。 先週の土曜日は、「フライト」だけでなく、「ジャンゴ 繋がれざる者」も観たし、書き漏らしたといえば、「ゴーストライダー2」も、「スカイフォール」もそう。でも、これは振り返ってみれば、おおむね好評か、大好評の作品ばかりで、眠い目をこすって液晶にむかわなくてもという。 「スカイフォール」は特に大成功だったらしく、SONYピクチャーズの記録を塗り替えたとか。この‘007の復活’は、ここ数年のイギリス映画の盛り上がりを背景にしているだろうが、それを絵の上で端的にいえば、‘胸毛の復活’だろう。ジェームズ・ボンドの胸に胸毛が帰ってきた。 アメリカが世界の富を独占していた頃、ランボーの胸はつるんつるんだった。あまつさえうっすらオイルも塗っていた。脇毛だって処理していた。あのころ、胸毛は女性たちに非常に不評だったはずだが、
いやー年始早々いい本読んだわ~。 街場のアメリカ論 (文春文庫) この人のは「街場のメディア論」も面白かったし「下流志向」「日本辺境論」も面白かった。 んで、このアメリカ論は更に興味深いね。 何を主題にしているかと言うと日米の比較論。 その中でも「ちょっとこれは!」と思った日米のヒーロー像の違いについてのところを書いときます。 アメリカのヒーロー像、特にアメコミのヒーロー像は固定のパターンがある。スーパーマンにせよバットマンにせよスパイダーマンにせよ。 そのパターンの代表的なものは「変身する、しかし変身前の正体は誰にもばれていない」「そのヒーロー活動が決して市民に好まれてはいない」あたり。 これは特にバットマンに非常に当てはまるね。(映画「ダークナイト」ではバットマンは街を守るためとは言え警察から追われる立場になっている。) で、このパターンとは何を象徴しているのか? これはつまり「国際社
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く