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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (3)

  • 表現は表現 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090610/p1 「女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制」問題についての議論が盛り上がっているようだ。件の類の「ゲーム」を直接見たことがないので、その件については云々しない。問題にしたいのは「表現」一般。幾つか意見を読んで奇妙に思ったのは、(広い意味での)功利主義が議論を支配しているということ。「規制」に対するスタンスはどうあれ、問題になっているのは、社会または個人にとって害があるのか益があるのか、ということ。しかし、「表現」に対する態度としてそれははたして妥当なのだろうか。 どんな主義・主張であれ、自らの正当性を社会に対して申し述べる機会があるべきである。「言論の自由」とはそのためのものである。だから、陵辱ゲームの愛好家・擁護者は、「表現の自由」を正しく行使せよ。それはつまり、「陵辱ゲーム」のような

    表現は表現 - Living, Loving, Thinking, Again
    y-yoshihide
    y-yoshihide 2009/06/14
    ああ、勘違いしてた。
  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

    この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again
    y-yoshihide
    y-yoshihide 2008/10/15
    ま、ポピュリズムなんて言葉は自分と相容れない思想が大勢を占めるときに使うだけの物なんですけどね。自説を主張するだけでどうやって相手に伝え受け入れてもらうかと言うことなんて二の次の場合が多い。
  • オスマン帝国、多文化主義、或いは「ムハマンド主義の退廃的な特性」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080109/1199847126で、オスマン帝国についてちょこっと触れたので、それに関連して、スラヴォイ・ジジェク「人権の概念とその変遷」(in 『人権と国家』岡崎玲子訳、集英社新書)というテクストから少しメモ。 ジジェク曰く、 早くも十六世紀に、フランスの自然科学者ピエール・ブロンは、「トルコ人はトルコ風の生き方を誰にも強制しない」点を指摘していた。フェルナンドとイザベラが一四九二年にスペインからユダヤ人を追放した際、多くの者が亡命先と信教の自由をイスラーム諸国で得たのも無理はない。非常に皮肉なことに、トルコの大都市において公然と生活を送るユダヤ人の存在に不快感を覚える西洋の旅行者は少なくなかった。(p.134)ここで、ジジェクは「一七八八年にイスタンブールを訪れたイタリア人N・ビサーニの報告」*1を引く; パリやロンド

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