タグ

philosophyに関するy_saitouのブックマーク (18)

  • Passion For The Future: 時間はどこで生まれるのか

    時間はどこで生まれるのか スポンサード リンク ・時間はどこで生まれるのか 「ミクロの世界に時間というものが仮にあるとしても、マクロの世界における時間とミクロにおける時間は、同一のものではない。また、マクロの世界においても、物理学的時間と人間(生命)が感じる時間は同一のものではない」 マクダカートによる時間の分類が最初に紹介されている。 A系列の時間 自分がいる「今」という視点に依存する主観的な時間 B系列の時間 歴史年表のように過去から未来を見渡す客観的な時間 C系列の時間 順序関係がない、単なる配列 人間が普段、感じているのはA系列の時間である。デカルト哲学やニュートンの科学が相手にしているのはB系列の時間であった。(時間という概念でB系列のイメージを持つ人が多そうである。)。マクダカートはこうも述べている。 「A系列の時間も、B系列の時間も、実在しない。しかし、C系列は実在する可能性

    y_saitou
    y_saitou 2007/04/14
    マクロ、量子の世界では時間が無い
  • 【Watcherが展望する2007年】The Wisdom Not to Crowd:小飼弾 404 Title Not Found:ITpro

    小飼弾です。明けましておめでとうございます。 ITpro編集部より、「Watcherが展望する2007年」というお題で記事を一書けという依頼を頂いて、何をどう展望しようかと迷っていたのですが、2007年のベストセラーである「ウェブ進化論」の梅田望夫さんが、こんなことを言っていました。 My Life Between Silicon Valley and Japan - 「Wisdom of Crowds(群衆の叡智)」元年「次の十年」の最重要キーワードは相変わらず「Wisdom of Crowds」なのだ。 図らずも、これは私が終始考えていたテーマともぶつかります。 人はいつ群れ、そしていつ群れないべきか。 2007年だけのテーマにするにはあまりに壮大な気がしますが、千里の道も一歩から、というわけで、無謀を承知であえてこの「人の群れ」ということをテーマとして取り上げることにします。 実は

    【Watcherが展望する2007年】The Wisdom Not to Crowd:小飼弾 404 Title Not Found:ITpro
    y_saitou
    y_saitou 2007/02/28
    群れないまま属す
  • Amazon.co.jp: ブッダ―大人になる道 (ちくまプリマー新書): アルボムッレスマナサーラ (著), Sumanasara,Alubomulle (原名): 本

    Amazon.co.jp: ブッダ―大人になる道 (ちくまプリマー新書): アルボムッレスマナサーラ (著), Sumanasara,Alubomulle (原名): 本
  • Passion For The Future: 現代語訳 般若心経

    現代語訳 般若心経 スポンサード リンク ・現代語訳 般若心経 著者は僧侶で芥川賞作家の玄侑 宗久。 まず般若心経を全文引用してみる。 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 全文

    y_saitou
    y_saitou 2006/12/05
    「原子物理学と人間の認識」というボーアの論文のなかには、「われわれは仏陀や老子がすでに直面した認識論的問題に向かうべきである」
  • Passion For The Future: 日本語と日本人の心

    語と日人の心 スポンサード リンク ・日語と日人の心 1995年に開催された大江 健三郎,河合 隼雄,谷川 俊太郎という豪華な3人のパネルディスカッションの記録をベースに構成した日語・日文化論。 西欧的な論理性の文体の小説家である大江と、翻訳不能な母語の土着性を重視する詩人の谷川は、日語に対して意見の隔たりが大きい。互いの仕事へのレスペクトを終始忘れない穏やかな言葉遣いでありつつも、質をめぐる議論では対立が明らかに目立ってきて、スリリングな展開がある。 大江氏曰く 「 ですから、文学の創造性ということを、神が創造性となぞらえて考えることは、私はまちがいじゃないだろうかとおもう。言葉という共通のものを用いながら、しかも個人の輝き、この人だけのものという輝きがあるものをつくりだすのが文学で、それは無意識とかいうことよりは、共通の言葉をどのように磨いていくかということに問題があ

    y_saitou
    y_saitou 2006/11/16
    。「ノーと言えない日本人」という言葉があって、日本人は「ノー」と言わないのがすごく悪いようにいわれていますが、そこの文化だったら、相手が「ノー」と言わねばならないようなことを言うのがもう失礼なんだ
  • 不死の本当の意味 : 404 Blog Not Found

    2006年10月28日15:00 カテゴリLove 不死の当の意味 それは、彼らが「もし自分が死せざる存在になったらどうなるか」まで考えたからだ、と言っては彼らを持ち上げ過ぎだろうか。実際死に関する彼らの考察は多くとも、不死に関する考察はあまりないのだから。 分裂勘違い君劇場 - 「人は必ず死ぬ」はどこまで当か? しかし、不思議なことに、彼らが、「死を避けるための具体的な方法」を検討した形跡はあまり見られません。 そんなに死ぬのがいやなら、なぜそれを避けるための「具体的な方法」を、検討してみないのでしょうか? まず、死とは何だろう。 これを最も的確に述べたのは、Steve Jobsかも知れない。 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#2 から孫引き Death is very likely the single best invention of

    不死の本当の意味 : 404 Blog Not Found
    y_saitou
    y_saitou 2006/10/30
    それは死というものが、生命が発明した唯一そして最善の発明だからです。死は生を変化させる要素であり、新しくやってくるもののために、古きものが道を開けてあげることなのです。
  • webのフラットさによる暴力はweb自体によって去勢されるという微かな希望

    昨日のエントリの続きです。 前回の内容をものすごい端折ってまとめてみると、 1 テクストは常に「誰か」が書いたもの(「誰か」を想定することなしに、わたしたちは意味を意味として受け取ることができない) 2 そのテクストを「誰が」書いたかは質的ではないが、「誰か」がテクストの有意味性を保障する唯一の砦であるため、「誰か」はすぐさま「誰が」を呼び出してしまう。 といったところでしょうか。 あるいは次のように言うこともできるでしょう。 「誰か」は「誰が」に対し論理的に先行するが、わたしたちは「誰が」抜きで「誰か」を認識することができない。 こういう「厳密には間違っている具象」と「正確だがわかりにくい抽象」が制しあっているような風景というのは色々なところに見られて、わたしはよく三角形のことを考えます。 わたしたちは三角形を見たことがあるでしょうか? 中一くらいまでの子供にそう尋ねると、大抵はき

    y_saitou
    y_saitou 2006/10/28
    「全然三角形ではないいびつな立体図形」なしでは、三角形概念の獲得は極めて困難であった
  • しあわせのかたち - 追い抜いちゃった人たち

    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

    しあわせのかたち - 追い抜いちゃった人たち
    y_saitou
    y_saitou 2006/10/19
    この労働は私のもらっている給料(ないしはこれまでの彼らの訓練)に見合わない
  • どこに行けば人間の死体に出会えるか、詐欺みたいな話、今を - 吹風日記

    現代日で人間の死体に出会うためにはどうすればいいか? これはけっこうな難問です。でも、なんで我々はそんなに「死」を見るのがいやなんでしょうか? 今日は、「予定された未来」ではない、当の「今」を生きることについて考えます。 ただし、自分がどの段階でどれだけ年老い、どれだけ体力を失い、感覚がどれだけ鈍るか、それは手帳に書いてない。さらにいつ、どういう病にかかり、その結果、いつ死ぬことになるか、やはり手帳には書いてないのである。考えてみれば、その手帳がすなわち意識である。意識という手帳は、そこに書かれていない予定を無視する。いかに無視しようと、しかし、来るべきものはかならず来る。意識はそれをできるだけ「意識しない」ために、意識でないもの、具体的には自然を徹底的に排除する。人の一生でいうなら、生老病死を隠してしまう。人はいまでは病院で生まれ、いつの間にか老いて組織を「定年」となり、あるいは施設

    どこに行けば人間の死体に出会えるか、詐欺みたいな話、今を - 吹風日記
    y_saitou
    y_saitou 2006/08/14
    死後の世界がある宗教は現在化の延長なのかしら
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - Web2.0の中の無知の知

    三上のブログ:梅田×西垣対論 横浜逍遙亭:メディアの憂 朝日新聞に対論「ネット新時代 何もたらす 梅田望夫さん 西垣通さん」という記事が載ったそうだが、この二つの感想を読むと、なんとなく、よく見慣れた構図が繰り返されているように見える。 梅田ファンの多くは、こういう反論に傷しているのではないかと思うが、それは別にWeb2.0や梅田さんを何が何でも礼賛したいわけではない。むしろ、梅田さんと釣り合うような批判的見解を求めていて、当の意味での「対論」を見てから、どちらが正しいか自分なりに考えてみたいと思うのだけど、なかなかそれが見つからないという感覚だと思う。少くとも私はそう感じている。 ネットやシリコンバレーについての実践的知識で比較して梅田さんに釣り合う人というのは、基的には業界関係者になるから、それでいて批判的な人というのは、見つけるのが難しい。私の望みは無理難題だろうか。 いや、

    アンカテ(Uncategorizable Blog) - Web2.0の中の無知の知
    y_saitou
    y_saitou 2006/08/09
    自分たちの「衆愚」をよくモニタリングしている「衆愚」
  • 編集者はえらい、という話 : 404 Blog Not Found

    2006年06月01日14:10 カテゴリMedia 編集者はえらい、という話 これは「目からウロコが落ちる」というよりは、「目には一生落ちないウロコがついている」ことを自覚するようなものかも知れない。 H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話 目からウロコの落ちる瞬間、というのはうれしいものだ。今日もまた新しい「大発見」をして、ちょっと興奮ぎみなので、あまり時間はないが手短に書いてみる。たぶん、皆さんには先刻ご承知のことなんだろうが、私には新しい、そして大きな発見だった。H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話役員氏の答えは明快だった。記者というのはそういうものだと。あらかじめ何を書きたいかは決まっていて、それに添わなければあなたが何時間しゃべろうとも記事には反映されないのだ、と。 この事は、私も以前指摘している。新聞ではなく放送であるが、要諦は同

    編集者はえらい、という話 : 404 Blog Not Found
    y_saitou
    y_saitou 2006/06/24
    自由とは自分の人生を編集する自由のことだ
  • 偶然とは何か/イーヴァル・エクランド: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 世界は思ったとおり、決定論的であるようです。 決定論的宇宙いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか(by マルコム・グラッドウェル)! いまやアジェンダセッティング(議題設定効果)をもつにいたったブロゴスフィアの影響下では、小さな話題があっという間にそのネットワーク内をかけめぐり、場合によっては、新聞社やテレビ、出版社などの旧来のメディアまで巻き込むような話題を生み出すこともあります。 また、複雑系の科学の分野ではよくいわれるように、小さな蝶のはばたきが1年後の台風を生み出すきっかけにさえなりえます。 ただし・・・、 1年後に重要になる気象条件のなかから今日の大気状態にない情報を抜き出すことなど、きわめて難しいどころかそもそも不可能であり、第一無意味である。それ

    y_saitou
    y_saitou 2006/06/16
    おもすれー
  • つれづれなるままに - プログラマを上手くやっていくための10のコマンド

    ネタ切れってわけでもないけど、今日は翻訳ネタ。10の理由も流行ってることだしね。 ネタ元はここ。 あなたはミスをするのだということを理解し、受け容れよう。物を作る前にこの点をはっきりさせよう。幸いなことに、ロケットのガイドソフトをJPLで開発しているような少数の例外を除けば、私たちの職業ではミスは滅多に致命傷にはならない。だから、学ぶべきだし、学ぶことができるんだ。そして笑い、前進するんだ。 あなたの書いたコードはあなたの分身ではない。レビューのポイントは、問題を発見すること、そして問題は見つけられるのだということを覚えておくといい。誰かが指摘してくれるときのために、コードを公開しないのは良くない。 あなたがどれだけ「空手」について知っていようとも、ほかのだれかがもっと知っているのだ。あなたが教えを乞えばだれかが教えてくれる。第三者からの情報を探して受け入れるんだ。特に、もう教えてもらうこ

    つれづれなるままに - プログラマを上手くやっていくための10のコマンド
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「知的複眼思考法」はスゴ本

    タイトルは大仰だけど、いわゆるロジカルシンキング指南。ただし、そこらのロジシンと一緒にするなかれ。「知的複眼思考法」は今まで読み散らしてきたロジシンもので最高に腑に落ちてくるスゴなり。 これまでのロジカルシンキングは、定義と書き方の説明と例の紹介の集積にすぎない。曰く、「今なぜMECEか?」「MECEとは」「MECEの例、書き方」「MECEの実践」でオシマイ。 だから読んでもソレっぽい書き方はできるけれど、あくまで見た目。ロジカルシンキングから導出される「アウトプット」と同じ書式だけれど、ロジカルシンキングをしていない。 いっぽう、書の第3章の「問いの立てかたと展開のしかた」では、MECEとなるための思考方法を説明してくれる。実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。書いちゃ捨て、拾っては直しのスクラップ&ビルドが必要なんだが、フツーの指南はそこを省く。書には「デ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「知的複眼思考法」はスゴ本
  • Amazon.co.jp: 禅の言葉 (コレクション 知慧の手帖): 新一,中沢 (翻訳), 泰仙,弟子丸 (Unknown), ドゥ・スメト,マルク (編集): 本

  • 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#0

    2006年04月24日01:00 カテゴリArt はてなに入りたくても入れないみなさんへ#0 名文なだけに蛇足はしたくないなと思いつつ、しかし感動と救いのなさとのギャップが激しいのでそれを埋め合わせようという試み。1 entryでは足りないと思うのではじめから通し番号付き。 jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ アウトプットを出す 新しい技術を習得したり、時間を掛けて作り上げた結果は、何かのアウトプットとして出さなければほとんど意味がありません。知識や結果を自分の中に残すだけで終わるのは、それを活かしてサービスを作りたくさんの人が使えるようにする事に比べると驚くほどちっぽけな仕事です。 実は上記の意見は、普遍的に聞こえながらも極めて限定的です。アウトプットを人様に見せられる仕事だけが世の中の仕事ではないのですから。 はてながやっている仕事は、いわば「誰もが見ている」仕事

  • Junkyard Review - 検索サイトから来た君へ

    はじめまして。 とはいうものの、僕は当は君が誰なのか、ほとんど知らない。僕はコンピューターに残った君の足跡を見て、君のことを知った。だから僕が君について知っているのは、君の足の形ぐらいだ。でもなんとなくその足跡を見ていたら、君が今まさにインターネットの使い方を学ぼうとしているところような気がしたんだ。間違っていたら、まあ笑ってくれればいい。でももし、君が当にインターネットのことを知り始めたところなら、これから僕がする話はいつかきっと役に立つと思う。たぶん検索サイトを使うのが少しうまくなるんじゃないかな。まあ、あまり期待せずに、適当に読み流してくれればそれでいい。やたら長いし、そんなに面白い話じゃないから、無理にとはいわないけどね。 最初に書いておこう。僕が君に伝えたいのは「正しい情報とは何か」ということだ。みんな「正しい情報」とか「正確な情報」とか「真実」とか「事実」なんていう言葉を簡

  • メリトクラシーを巡る葛藤 - 雑種路線でいこう

    http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/comment?date=20060206#c の続き 中学生の時だったか、社会福祉の考え方を聞いたときに考えたのは、日で能力のないひとが福祉によって安定した生活を送れて、アフリカで能力のあるひとが飢えていたとしたら、それは公正なのだろうか、という疑問だった。国民福祉は、いずれ国際福祉となるのだろうか、或いはなるべきであろうか、というときに、自分は人々の間に能力の格差があって、能力に応じて成果を上げることができ、能力に応じて報いられるべきであろうという素朴なメリトクラシーへの信仰があったように感じる。 当時ぼくは勉強が大嫌いで、学歴社会に対して非常に強い反感を持っていたけれども、その根底にはいわゆる受験勉強が、来の社会で成果を上げる能力とは別の、服従を強いるような能力測定であって、社会は学歴などという一時点での評価ではなく

    メリトクラシーを巡る葛藤 - 雑種路線でいこう
    y_saitou
    y_saitou 2006/02/08
    自分がいかにして偶有的な経験を積めるかという観点で、企業選びをしてもいいのではないかという気はする。
  • 1