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educationに関するy_yanbeのブックマーク (52)

  • この「いじめ対策」はすごい! - 森口朗のブログ

    先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。 その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。 それは、以下のような手順で行われます。 1 いじめの認知は、人、親、友人の誰からの報告であっても 「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。 ※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、 教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。 2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。 ※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。 3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。 ※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。 4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析

    この「いじめ対策」はすごい! - 森口朗のブログ
    y_yanbe
    y_yanbe 2009/05/27
    なるほどと読み終わった直後,無性にカツ丼が食べたくなった
  • 大「脳」洋航海記 » Blog Archive » アカデミアにおける二つの問題が招いた悲劇

    【大学・大学院&ドクター・ポスドク問題】 東北大大学院生が自殺…博士論文、2年連続受け取り拒否され [1] - 読売 東北大、院生自殺は指導に過失 准教授は辞職 [2] - 47NEWS すべる話ではありません:飛び降りる話、飛び込む話、はたまた吊る話 [3] - 当blog過去エントリ 正確にはこの記事に対するはてブ [4]が当blogへのリンクを張っていたことにリファラを見ていて気付いて、そこから記事にたどり着いたのでした。ちなみに文書公開という形ではなく記者会見での調査結果公表だったようですね。 まず素直な感想を書いてしまうと・・・若い命が自殺という形で失われたことは大変痛ましく、ご遺族にかける言葉もありません。指導教員だった准教授は既に辞職しているそうですが、どう見てもS氏 [5]と同じで懲戒にかけられる前に逃げ出したということなのでしょう。自分に非がないと思うのなら懲戒委員会で堂

  • 大学院に進むべきか否か、それが問題だ ? | スラド Slashdotに聞け

    転職のときにも。 . ようするに、君の事を全然知らない人がいて、それ故にある種のラベリングで最初に大まかに人間を分類する必要があるときに、修士号は明らかに有利なラベルだ(今の所)。同じことは MIT 出身なのかニューヨーク州立ビンガムトン大学出身なのか、東大出身なのか滋賀大学出身なのか、などについてもいえる。もちろん、滋賀大学の修士号と東大の学卒とではどちらが有利か、など微妙な問題も出てくると思うが(一般には大学のラベルが優先する)。 たとえ君がどんなに優秀でも、ラベリングの段階で足きり、あるいは面接の優先度を下げられてしまったとしたら、自分の優秀さをアピールするチャンスすら与えられない。就職などで必要とするのは「ある一定以上の才能」であって、「候補者の中でもっとも優秀な人」ではない。故に能力で完全ソートされてから、上位10人が採用される、などと思わないことだ。 ソートのコストはO(n *

  • CS系の修士/博士は取るべきか - 真 もわ爛漫

    大学院に進むべきか否か、それが問題だ ? | スラド Slashdotに聞け うちの場合だとCSのknowledgeという意味では学士でかなりサチってて、修士で新しい何か新しい知識を学んだって記憶があまりないんだよね。あるとすると、当時はむしろマネージメントとか初等経済学とか社会学とかワープア問題とか対人交流スキルとか、修士という時間を利用して色々遊んでいたというのが実際のところで。 今のところ「修士」というラベルが何かに有効に働いたという気はしない。うちの会社だからかもしれないけど「君博士取ってないの?じゃあお呼びじゃないよ」みたいな風に扱われたことはない。私が相手を見るときも「学士か修士か博士か」のチェックより、何かのプロジェクト/プロダクトで有名な人かとか、実際に社内で何をやってきたのか、みたいな具体的な能力を見る。その人のコードや知見がすごければ学歴なんて見ない。 ある日コードレビ

    CS系の修士/博士は取るべきか - 真 もわ爛漫
  • 現在の社会における大学・卒業研究の位置づけ - 発声練習

    研究に興味ない学生にとって卒研は不要という意見のメモ。私としては研究を構成する考え方、やり方は日常生活や一見研究と関係のない仕事の中でしょっちゅう出てくるものだと考えているので「研究」という過程を自分とは全く関係ないものとして扱うやり方が不思議でしょうがない。 クリティカルリーディング(批判的にを読む方法の理解)、論理的思考法(演繹的思考法、帰納的思考法、仮説生成的思考法とこれらの思考法の限界の理解)、証拠に基づく議論術、技術文書作成法、あと研究分野によっては協調的作業の経験など、ホワイトカラーと呼ばれる職種で要求されている能力そのものに思えるけれども価値がないのだろうか。まあ、実際には、これらを明確にかつ体系的に教えられているのではなく、卒業研究を通して暗黙にかつ断片的に学び取らせているという点が問題なのだと思うけど。 以下、私の過去のエントリーを含めて関係ありそうなものを抜き出し。

    現在の社会における大学・卒業研究の位置づけ - 発声練習
    y_yanbe
    y_yanbe 2009/03/23
    大学・大学院教育の話題の捕捉率がすごい
  • Takashi AOKI

    I'm Takashi Aoki (青木 貴司). I'm currently working as CTO at Xcoo, Inc (株式会社テンクー). I'm always happy to give advice or connect with people doing interesting work! :D About Takashi AOKI / 青木 貴司 a.k.a. federkasten Icon Works April 2011 - Present: Hacker/Co-Founder/CTO at Xcoo, Inc. August 2008 - February 2013: Researcher at Geisha Tokyo Entertainment, Inc. July 2008 - March 2009: Chief creator at the IP

    y_yanbe
    y_yanbe 2009/03/23
    どこも似たような問題を抱えてるんだろうか
  • 本当に東大レベルのお金があれば、世界に伍していけるのか?:国内大学強化に向けた考察1 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M3, Summilux 50mm F1.4 @子供の城, 青山 こんなところで議論するようなことではないと思うのだけれど、この間、大学論についてのエントリを書いてから、大学運営の基的な構造について、恐らく幅広い誤解がある、あるいは事実の誤認識があるのではないかと思っており、少し書いてみたいと思う。 多分一回に書けるような内容ではないので、あふれた場合には何回かに分けて書いてみたい。来、どこかにまとまった投稿でもすべき内容ではあるのですが、このネットの持つ力を信じて、少し載せてみたい。 曖昧さを落とし、はっきりさせたいと思っているのは次の三つ。 1.大学の教育、研究が世界に伍すために必要な予算のレベル感と現状 2.ギャップを産み出している構造的要素 3.以上をふまえると、国立大学の民営化、統廃合論は当のところ検討に値するイシューと言えるのか? なお、図表が多く小さいので、

    本当に東大レベルのお金があれば、世界に伍していけるのか?:国内大学強化に向けた考察1 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • JAIST説明会:知識科学を研究し教育するということ - 反言子

    人工知能なんちゃら研究会 2日目のときの話。北陸先端科学技術大学院大学の説明会に行きました。学部生や社会人など40人くらいが参加していました。研究科の説明では知識科学研究科の國藤先生にお話をうかがいました。 説明会と講演の感想を書きます。JAISTの概要やカリキュラムは調べればあるので省略。 感想 大学院大学は教育への熱意がすごい! 国や分野を問わずいろんなひとを集めて、手厚く人材を育てようという意気込みが伝わる。知識科学という耳慣れない分野にも関わらず、研究を体系化し全体像を描き出そうとする試みを感じ取れる。つまり知識科学を教育し研究する機関としての誇りを感じさせてくれた。 JAISTは修士にも問題発見能力を身につけさせることを目指している。知識科学研究科では知のコーディネータとして修士を育て、知のクリエータとして博士を育てる。文理融合、主観の知と客観の知の融合、科学技術力+α(コミュ力

    JAIST説明会:知識科学を研究し教育するということ - 反言子
  • 修士論文の代わりに退学願を提出してきた

    退学って「お願い」するもんなんだと初めて知りました.というわけで,前々から 言っていた通りに,大学院に退学願を提出してきました.専攻ではすでに修士論文の提出も 発表も終わっているそうです.いつ行われたのかも知りません.とりあえず 4 月からはちゃんと就職して働きますのでご心配なく.日はやさしい国ですね. さて,ここで大学に対する恨みつらみを書いてもしょうがないので, これから(日の一般的な)大学・大学院を目指すという方に対して, これは考えておいた方がいいんじゃないかということを書き連ねておきます. 大学に入って 6 年しか経っていないし,学会にも行ったことのない人間の 戯れ言ですので聞き流しておいて下さい. **【さらに追記】**2 年ぶりになぜか注目されました Twitter が一般にも浸透したんだなぁと勝手に感慨にふけっています。@su319 さんが Toggeter にまとめて

    修士論文の代わりに退学願を提出してきた
  • ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    最近は、前に書いたような状況で、昔、あるいはこれまで書いて下書き箱に入れてあるものを、ただアップしているだけなので(要は休載中)休みの日ぐらいは何か少し書いてみたいと思う。 Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Monument Valley 僕が日で学生をやっている頃、日でも世界規模のグラントを、ということで多分通産省の旗ふりでヒューマンフロンティア(Human Frontier Science Program: HFSP) という大きな研究グラントが出来た。ミリオン単位、億円単位のグラントというのは当時の日としては非常に例外的で、画期的なプログラムだった。で、割と立ち上げて間もない頃*1、その記念シンポジウムのようなものがあり、行った。僕はマスターの学生だった。X線解析の巨頭、Sir Aaron Klugや、当時、日のガン関連研究のリーダーであったであった西村

    ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    y_yanbe
    y_yanbe 2009/02/23
    海外のとある大学で,教官が学生に"Are you enjoying your life?"って聞いてたので,これはほんとだと思う>Joy of Life
  • こんな研究をやる意味があるのだろうか

    今M1、今度M2になる。 一度、学会発表で外に出て発表するまでは、「研究を認めてくれる人って多少なりいるだろう」と思っていた。 せめて、「こんなことをやっている人もいるんだー」くらいのレベルでもいいから、理解してくれる人っているんだろうと思っていた。 けれど、それは完全な勘違いであることに、外に出てから気づいた。 感想を聞いてみた結果、「そういう研究って嫌いだ」という人が少なくなかった。 当然、そういう研究なものだから、後輩もあんまり続けたくないらしい。 最近は、正直なことをいうと俺だってこの研究を続けて意味のあるものなのかと聞かれると答えられない。 出てきても、「心の中で押し込む」ことによって無理やり心の中に押し込めてきた。 けれど、一度この悩みを外に出してしまうと一気にその感情が出てきちゃうんだろうな。 正直な事を言うと、やっていく自信はない。 だって、やってもやっても評価されないんだ

    こんな研究をやる意味があるのだろうか
    y_yanbe
    y_yanbe 2009/02/18
    学会のコミュニティが違うと聴衆のリアクションも違うし,その上で研究の意味や意義を自分が気づかなかった側面から解釈してくれたりする(した)ので,発表する場の問題の可能性もある
  • 大学運営がビジネスライクになった本当の理由 : 404 Blog Not Found

    2009年02月08日23:00 カテゴリNewsValue 2.0 大学運営がビジネスライクになった当の理由 いつもの内田節なのだが.... 大学はどうなるのか (内田樹の研究室) しかし、大学に30年いてわかったことは、教育については「あらゆる教育プログラムが滑らかに進行し、学生たちの顔が知性と歓喜に輝いていた“教育の黄金時代”をもう一度甦らせよう」というタイプの「物語」が教育者を「やる気」にさせる上でもっとも効果的であるということである。 ふと「それではなぜ大学運営はビジネスライクになったのか」と考えたら、呆れるほど散文的な答えが出てきた。 それが、右のグラフ。1980年を100として、国立大学の学費、私立大学の学費、そして実質GDPがどのように推移したかを表している。元となった数値は以下から入手した。 国立・公立・私立大学の授業料及び入学料の推移 国立大学の授業料(標準額)の推移

    大学運営がビジネスライクになった本当の理由 : 404 Blog Not Found
  • TechCrunch

    If you're looking to make a significant difference in the world, your startup could be the vehicle that drives that change.

    TechCrunch
  • Wataru's memo(2003-10-10) フィンランドにおける Ph.D. Defence

    ● [Thoughts] フィンランドにおける Ph.D. Defence 学位審査は日の大学院生にとっても恐ろしいものである。普段おちゃらけた連中でも、さすがに審査日が近づくと目がつり上がり、寡黙になる。 その内容だが、「うむ、確かにこいつは博士としてふさわしい」と納得できるだけのプレゼンテーションをこなせる大学院生は、実はごくわずかである。中には「なんでこいつが博士やねん?単なる棚ボタちゃうんか?」という不届きな輩も確かにいる。それも結構な数だ。 噂というのは、悪いことの方が絶対速度は遙かに大きいので、「あの素敵な先輩を見習って、大学院で研究に打ち込むぞ!」とはならずに、「あんなボンクラ先輩でも、お情けで学位取れたらしいよ。仕事は全部上の先生がやったらしいけど・・」となる訳である。よって、大学内部における博士号取得者に対する評価はないに等しい。 「これっておかしいんちゃう?」私は常々

  • ケーススタディ:研究室の下級生の指導はどうするべきか - 発声練習

    千早振る日々:頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ 千早振る日々:話してきました ちょっと、話の筋が追えないので出来事を自分なりにまとめてみる。 この研究室ではM2の発表練習を博士課程の学生や助教、若手研究員が見てあげる風習がある M2が自分達の都合でバラバラに発表練習をしてもらおうとすると博士課程の学生や助教、若手研究員にとっては負担が増える 例年はM2全員が同じ日に発表練習をするようにしていた 今年はバラバラに申し出てきた でも、何とか発表の3日前には全員の発表練習が終わった 4人のM2のうち2人はもう一度発表練習を行うべき出来であった。M2のうち2人は博士課程進学予定で発表練習も良く出来ていた。 特に博士課程進学予定の一人(以下、Sさん)は、特別研究員にも採用された優秀な人材だ Sさんは、いつも謙虚に「私は研究者として生き残っていけるでしょうか」とか「私などまだまだです」と言ってい

    ケーススタディ:研究室の下級生の指導はどうするべきか - 発声練習
  • 話してきました - PineTree’s diary

    前の記事はこちらです。 頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ - 千早振る日々 無事に発表が終わってから、先日のエントリについての話を、例の学生に一対一でしてきました。 コメントをたくさんありがとうございました。おかげさまで、参考にしてちゃんと話ができました。 言い訳がましくなりますが、みなさまのブックマークコメントを読ませていただいた補足もかねて、もう少し書こうと思います*1。 まず最初に書いておきたいのは、その学生を妬んで足を引っ張ろうとしているわけではないということです。私も決して明日が保証されている身分ではありませんが、学生を引っ張ってどうこうしようというほど余裕がなくはありません(ボスのおかげです)。 チームで研究をして、困っている人は助け、より大きな成果をあげようという方針*2の中、その学生が修士課程の間に論文を出し、特別研究員になれるのは素直にうれしかったです。これで、一緒

    話してきました - PineTree’s diary
  • もういっそ大学は教育機関じゃなく研究機関って言えばいい - バイオ系社会人の日記

    (下に追記 09.2.23.) 聞くところによると、各地の大学に「修士課程の学生数絞りこみのお達し」がお上から来ている*1ようで。流れはよくわかりませんが、教育に重きをおいて(?)修士学生の質を維持することと、学生が他大学の修士課程に進学することを推進して人材を流動化させるのが狙いみたい。要は修士課程の定員を削減したい、ということです。の手も借りたい研究室にしてみればとんでもない話でしょうが、うちみたいなビンボーラボにとっては研究費とテーマの選択・集中ができていいかもしれません。人材(労働力?)が流動化することに関しても、色々な情報交換が活性化されていいんじゃないかと思います。個人的にはそうするべきように感じています。やる気ないけど何となく進学、という人ばかりでは困るし。 ・・・が、問題は、いつから定員を削減するかなど、話の経過が一切学生に下りていないことです。僕の所属しているところの場

    もういっそ大学は教育機関じゃなく研究機関って言えばいい - バイオ系社会人の日記
  • 頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ - PineTree’s diary

    追記:ちゃんと話してきました。つづきはこちら。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090130/p1 追記2:これだけでは分からないことについて、以下にも書いてみました。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090226/p1 http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 以前この記事を読んで、なるほどと思った。 確かに日では「勉強ができる」ことへの偏見のようなものはあるし、それが科学の発展を妨げているところもあるかもしれないな、と実感があったからだ。 今日この記事を思い出したのは、頭がいいことへの偏見を生んでいるかもしれない、頭のいい人の無邪気さ(英語で言えばナイーブさ)に接してしまったからだ。 私は大学で研究をしている。チームで研究をしているうちの部屋において、自らの研究とともに、

    頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ - PineTree’s diary
  • 日本の大学はなぜ情報発信しないのか - 日経エレクトロニクス - Tech-On!

    米国への3カ月半の出張から帰国しました。暖かい西海岸から日の冬に戻ると,寒さに体が適応できず,周囲の人よりもかなり厚着でないと外を歩けません。もう若くないというだけかもしれませんが。 今回の出張に限らず,前から思っていたことですが,日と米国で大きく違うことの一つに,大学の情報発信力があると思っています。企業のそれには大きな違いがないにもかかわらず,こと大学となると,なぜか差が目に付きます。 米国の有力な大学の多くは,大学のWebサイトに研究開発専門のニュースを掲載するページを持っています。多いところは1日に複数のニュースが追加されていきます。数の多さだけでなく,内容も面白いのです。多くは大学専属のライターが難しい内容のポイントやインパクトを分かりやすく簡潔に伝える努力をしています。簡潔すぎてそれだけでは情報不足という場合もありますが,その場合は論文を直接読めばよいのです。ニュースのペー

  • 専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, 50mm Summilux F1.4, 400VC-3 ブログ、全面再開できる状態にはほど遠いのですが、時たま、読者のかたから進学関連の悩み相談のようなメールを受けることがあり、今週もかなりまじめなものを受け取ったりしたものですからちょっと書いてみたいと思います*1。 大体、受けるご相談は、以下の三つのどれかで 今のまま日で大学院教育を受け続けるので良いのか ポスドクになってから外国に行くのでは遅いか やりたいことがあるが、仕事も忙しく踏ん切りが付かない こんな感じです。 - これを他人事(ひとごと)として読まれるとなんでそんなことに、と思われる人もいるかもしれませんが、それは毎度大変深刻、あるいは真剣なご相談で、だからこそ僕のような直接あったこともない人にまでご相談が来るのではないかと思うのです。こうやって何人かの人のご相談がやってくるということは、かなりの数の人が

    専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing