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世界解釈に関するyadokari23のブックマーク (2)

  • 物事の本質だったり世界の真理を理系的に考えてみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ネットで東浩紀氏の文庫に中森明夫氏が書いたあとがきが面白いという書き込みがあったので読んでみた。そこでは東氏の先輩として柄谷行人さんが紹介されていて、要するに東浩紀は柄谷行人の歩んだ道をなぞっているという指摘がされていて確かに面白かったのだが、じゃあ、柄谷行人とはどういうひとなのかと興味を持ち、わりあいに氏の最近のである世界史の構造というを序文だけ読んでみた。 そので柄谷氏が試みているのはどうやらこういうことらしい。マルクスは資主義下での商品交換を元にした経済的下部構造の上に国家や民族のような上部構造が成立すると主張したが、商品交換以外にも贈与や略取のような交換様式も考慮にいれて経済的下部構造を考えることによって、上部構造である国家のみかけの自立性を仮定しなくても、世界が説明できるはずだという主張だ。 氏の主張が正しいかどうかを判断するのは、ぼくなんかの素人の手に余るのだが、この

    物事の本質だったり世界の真理を理系的に考えてみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 「ない」ことと「必要ない」こと - レジデント初期研修用資料

    単なる自由には意味がない 自由というものは、不自由が作り込まれてはじめて意味を持つ。 飛べるようになった人間は、飛べない人間に比べればたしかに自由かもしれないけれど、「行く手を阻む壁」や「飛び越えられない谷」が存在しない現代社会なら、鳥人だってたぶん、電車に乗って移動する。「できる」だけでは足りなくて、それが切実な機能として要請されて、世界はようやく書き換わる。 あるべきものがない状態は不自由を産んで、それがどれだけきれいな機械であっても、ユーザーはどこかで妥協を感覚してしまう。 ボタンのない機械は不便 最近のタブレット端末にはボタンがついていない機種が多くて、ボタンだらけの携帯電話に比べれば、タブレットの佇まいはたしかにきれいなのだけれど、使っているとやっぱり、たまにボタンがほしくなる。単なる「ない」を「必要ない」に変えるためには、機械の側に、「それがいらない」機能を作り込む必要があって

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