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勉強と学問に関するyadokari23のブックマーク (2)

  • 大学では「資格取得」ではなく「興味のある分野の勉強」をしよう - 脱社畜ブログ

    ちょっと前の働きたくない僕が考えた最良の学生生活プランという記事の中で、大学生はとにかく勉強が分だから何はともあれ勉強をしよう、ということを書いた。 このように「勉強をしよう」といったことを書くと、「分かりました!じゃあ公認会計士をとるため予備校に行きます!」といったような反応をしてくる人がたまにいて、「ちょっと待て」と言いたくなる。誤解のないように書いておくと、僕が大学時代にしておいたほうがよいと言いたい「勉強」は「資格取得のための勉強」ではなく、「興味のある分野の勉強」の方である。今日はこれら二種類の勉強に対する姿勢について少し書きたいと思う。以後は、「興味のある分野の勉強」を「学問」と呼んで資格取得のための勉強と区別することにする(来の学問の意味とはちょっと違うと思うが、便宜上そう呼ぶ)。 さて、繰り返すが、僕は大学生活では「資格取得」ではなく「学問」の方に時間を使うべきだ、とい

    大学では「資格取得」ではなく「興味のある分野の勉強」をしよう - 脱社畜ブログ
  • 物事を知って死ぬのと知らずに死ぬのとでは違う - 吉田松陰の逸話 | ShareWis Blog(シェアウィズ ブログ)

    ShareWisサポートメンバーの中屋です。 このブログは、メンバー各人が、教育や学習にまつわること等を独自の観点から描くものです。 私の第一回目は、私の尊敬する「吉田松陰」先生の学問と人生観が込められた言葉を紹介したいと思います。 「知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」 投獄後の松蔭の逸話みなさん、誰でも一度は、「何のために勉強や学習をするのか分からない」といった状態に陥ったことはないでしょうか? 幕末、内憂外患の日を憂い、外敵の研究を企図し、黒船にもぐりこんだ松陰は不運にも捕らえられ、250年の間、入ったが最期、何人たりとも出獄したことがない野山の獄へと投獄されます。 そこで、毎日毎日松陰は誰も聞かない儒学の講義を始めます。「入ったが最期」ですから、他の囚人は聞くはずもありません。しかし松陰は講義を続けます。 呆れた囚人が言います。 「我々は一生外に出ることのできない終身刑なん

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