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考え方とブログ論に関するyadokari23のブックマーク (2)

  • 『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部: 極東ブログ

    今回出版した自著『考える生き方』(参照)は、当初、現在の書籍のコンセプトと少し違って、ブロガーなのでブログ論のような部分から始まっていた。まあ、finalventというのはブロガーだしね、ということでもある。 基テーマは、「ブログを通して自分が市民である意味を考える」ということだった。 この市民というのは、具体的には、私の理解では、普通の人ということである。普通の人がどう市民として生きるのか。 当初はこれを原理論的な枠組みで考えていた。が、途中、「で、それって自分が語りかけたい人に通じるの?」という疑問がわいてきた。ブログとは違うだろう。 こんな堅苦しいブログみたいなことをで書いても、意味ない。 なら、もっと広い層にまで通じるように書きたい。 それと実際のところ、ブロガーとしての自分を普通の人、市民の一例の人生として見たとき、もっと、見やすい構図のほうがいいのではないかと思うように

  • ブログは人生のセーブポイント - the world was not enough

    ブログのデザイン変えました。前のに飽きたので。 自分の生活にちょいと余裕ができた時にブログをランダムに読み返して見ることがあるのですが、これが結構面白いのですよね。もうこのブログを始めて3年ちょっとになるわけで、始めた頃に比べて心境の変化やら環境の変化やらいろいろもろもろブログから滲み出ています。一方で「ああ!こういうこと最近でもよく考えるなあ!」ということを何年も前に認めているのを見つけて、昔の自分に深く共感するという妙な経験をすることもあります。 性格とか価値観って個々人に固有のもののように思えますが、その実長い年月の中で微妙にたゆたっているものでもあり。その辺りの「誤差」をブログは絶妙に覚えてくれているものだなぁ、と。今の自分が疑問に思っていることの答えを昔の自分が持っていたり、昔の自分が投げかけた問いを今の自分がキャッチしてみたり。不確かで、目には見えない「自己像」というものを保存

    ブログは人生のセーブポイント - the world was not enough
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