ゲーム作家・ゲーム研究者遠藤雅伸のブログです。 ゲームに関する話題を、ビジネス、アカデミック両面からも取り上げます。 飯野賢治君の思い出を、一次情報として書き留めておく。 ◆ Dの食卓 飯野君を知ったのは、やはりこの作品をプレイしたからなのだが、当時遠藤はこの作品を日本人が作った物だとは思っておらず、エンディングのクレジットで日本製だと知って、なかなかセンスのある作品だなぁと感心した。でも、そこに登場する飯野君の写真は、かなり日本人離れしていたから「オオカミウオみたいな人」として認識していたのだね。 まぁ、ゲームの作り方にしても、クレジットロールの写真にしても、洋ゲーかぶれのええ恰好しぃ程度にしか記憶していなかったわけだけど。 ◆ 初対面 イベントのゲストとして同時にブッキングされていたのが最初で、多分ゲーム系のトークショーだったんじゃないかな。広い会場で事前に打ち合わせなどもなく、突然檀
飯野賢治氏,42歳の若さで死去 編集部:TeT 朝日新聞の報道によると,ゲームクリエイターの飯野賢治氏が2月20日,高血圧性心不全で死去したとのこと。享年42歳。 飯野氏は,1988年にゲームクリエイターとしてのキャリアをスタート。1994年にワープを設立し,3DO用に代表作「Dの食卓」をリリース。1997年には,画面が一切表示されず音声とBGMのみで楽しむゲーム,「リアルサウンド〜風のリグレット〜」をセガサターン用に発売するなど,従来のゲームの枠組みを超えた革新的なチャレンジを繰り返してきた。 2000年代に入ると,ゲームクリエイターとして表に出ることは少なくなっていたが,2008年にiPhone用ゲーム「newtonica」「newtonica2」を西 健一氏とのコラボレーションでリリース(飯野氏は音楽を担当)。2009年には,Wiiウェア「きみとぼくと立体。」を,任天堂より配信してい
ゲームクリエーター飯野賢治さん死去 「Dの食卓」作者 1 名前: ツシマヤマネコ(埼玉県):2013/02/21(木) 20:05:48.63 ID:F+qGMxWZP ゲームクリエーター飯野賢治さん死去 「Dの食卓」作者 飯野賢治さん(いいの・けんじ=ゲームクリエーター)が20日、高血圧性心不全で死去、42歳。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前9時から東京都杉並区堀ノ内3の48の8の妙法寺で。喪主は妻由香さん。 1995年に代表作のゲームソフト「Dの食卓」を発表。00〜04年、朝日新聞家庭面で、10代のための人生相談「ティーンズメール」の回答者を務めた。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0221/TKY201302210302.html 3 : トンキニーズ(福井県):2013/02/21(木) 20:06:22.14 ID:wp/Kkx
山梨県出身、佐瀬勇次名誉九段門下。1963年にプロ四段、73年に初タイトルの棋聖獲得。4歳年下の中原誠十六世名人と名勝負を繰り広げ、「米長・中原時代」を築いた。84年、十段、棋聖、王将、棋王の四冠を達成。独特の勝負哲学を持ち、局面を複雑化して戦うことから「泥沼流」とも呼ばれた。93年、7度目の挑戦で名人位を獲得、49歳11か月は史上最年長での名人就位で、「中高年の星」と称された。 2003年引退。通算成績は1103勝800敗1持将棋(引き分け)。タイトル戦48回登場で獲得は歴代5位の19(名人1、十段2、王位1、棋王5、棋聖7、王将3)。
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