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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (2)

  • 「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。

    ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想 作者: ニコラス・ハンフリー,柴田裕之出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2012/04/27メディア: 単行購入: 5人 クリック: 195回この商品を含むブログ (9件) を見る 第1章 目が覚めるとはどういうことか たぶん、あなたが目を覚ましてから、まだ一日とたっていないはずだ。目が覚めたのは、今朝、日がまた昇ってまもなくのことだろう。あなたにとって、目が覚めるというのは、どのようなことだったか? 覚えているだろうか? 牛乳瓶がぶつかり合う音、シーツの感触、青い空……。あなたは目をこすり、伸びをする。すると、いつのまにか、感覚の波があなたの存在という湖を再び満たしている。あなたは主観的現在の中に再登場する。あなたは再び、自分が生きていると感じる。 これは、なにもあなただけのことではない。きょう、この地球上で無数の人間に同じようなことが

    「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。
  • "解る"とはいったいどういうことか? - すべての夢のたび。

    最近になって"解る"ということについての考えがまとまったので、ちょっと書いてみます。"解る"について解った、と言えばいいのかな。 なお、以下の文章には日語としておかしいところが出てくることになりますが、おおむね意味は通じるだろうと思うので、そのまま書きます。 人がなにかを"解った"と思うとき、脳の中でどういうことが起きているのか? 実は「"解った"という気分になる脳内物質が出ている」んですね。つまり"解った"というのは気分なんです。"解る"とは"解った気がする"ということなんです。要するに、ほんとの意味では解ってないんですね。 ぼくが昔どっかで読んだちょっと気の利いた説明では、「"解る"とは、あるレベルの無知を別のレベルの無知に置き換えること」となっていました。Aというものごとについて、「Aとは、Bのことである」と説明される。なるほど、なんとなく解った気がする。人によってはまだ脳内物質が

    "解る"とはいったいどういうことか? - すべての夢のたび。
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