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ブックマーク / blog.tatsuru.com (11)

  • コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

    『月刊日』にロングインタビューが掲載された。「コロナ後の世界」について。 ■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点 ―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。 内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制

  • 廃仏毀釈について - 内田樹の研究室

    昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか? 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道

  • 言論の自由についての私見(再録) - 内田樹の研究室

    安倍首相が国会で民主党政権の時代を「悪夢」と評したことについて批判を受けた。 それについて「私には言論の自由がある」という反論をした。 どうもこの人は(この人に限らず)「言論の自由」という概念を勘違いして使用している人が多いように思われる。 「言論の自由」について私の原則的な立場はいまから10年以上前に書いた以下の文章に尽くされている。 2008年6月に書いたもので、若干「それ何の話?」というような昔のことにも言及しているけれど、その辺はスルーして欲しい。 言論の自由についての私見 9年前にインターネットにホームページというものを開設したときに、一つ自分にルールを課した。それは必ず固有名で発信し、自分の発言については責任を引き受けるということである。 実利的な理由もあった。 私も学者である以上、万が一他の誰もまだ述べていないようなオリジナルな学術的知見を発見する可能性は絶無ではない。その場

  • なぜトランプ政権のスタッフは嘘をつくのか? - 内田樹の研究室

    というタイトルの記事が眼に止まったので、訳したみた。なかなか面白い。 Why Trump's staff is lying? Bloomberg View 23 Jan 2017 by Taylor Cowen 発足したばかりのトランプ政権のもっとも際立った特徴の一つは嘘の政治的利用である。先週話題になったのは、ドナルド・トランプの報道担当官ショーン・スパイサーが「トランプは就任演説でアメリカ史上最多の聴衆を集めた」という明らかな虚偽を申し立てたことであった。この事件をてがかりに、リーダーが自分の部下に嘘を言わせるとき、彼は何をしようとしているのかについて考えてみたい。 誰の目にも明らかなことは、この指導者が大衆をミスリードしようとしており、彼の部下たちにも同じことをさせようとしているということである。多くの市民は事後にファクト・チェックなどしないので、大衆をミスリードすることは別に難しい

  • 平田オリザさんからの台湾速報 - 内田樹の研究室

    佐藤学先生と入れ替わるように台湾の大学で集中講義をされた平田オリザさんから、台湾事情についてたいへん興味深いレポートが寄せられました。 ふうむ、そういうことなのか・・・ 第一報(4月4日) 佐藤先生と入れ替わりで、四月一日から台湾に来ています。国立台北藝術大学で五日間の集中講義(ワークショップ)をしています。 立法院の占拠は、政府が強攻策をとるという噂もあれば、このまま持久戦に持ち込んで学生が疲れるのを待つのではないかという説もあります。今週は台湾の大学は、もともと休みなので(私は、その期間を利用して行う公開講座の講師として呼ばれたのですが)、大学が再開される来週からが山場かもしれません。 私がいまいるのは、芸術系の大学ですので、教授陣も全員が学生側を支持しています。今回は特に、「サービス貿易協定」で言論の自由を実質的に封殺される可能性の高い演劇、映画、出版界などからの支持が強いようです。

  • 大瀧詠一の系譜学 - 内田樹の研究室

    2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。 「行く夏や明日も仕事はナイアガラ 長く生きているといろいろなことがある。 まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。 お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。 午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなん

  • 『赤毛同盟』と愚鈍の生成について - 内田樹の研究室

    朝日新聞の求人欄の上に日曜に出ている「仕事力」というコラムのための取材を受けた。 その中で、「適性」とか「天職」とかいう言葉がどれほど若い人たちの労働意欲を損なっているかについて語った。 今、仕事を探している若い人たちの言う「自分の適性にあった職業」というのは、装飾を削ぎ落として言えば、「自分の手持ちの資質や能力に対していちばん高い市場価値がつけられる職業」のことである。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めているのである。 ありていに言えばそういうことである。 そういう仕事をみなさん探している。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めてうろうろするのは、やればわかるけれど、あまり賢いことではない。 でも、消費者マインドを刷り込まれた人たちは、「限られた持ち金でどれだけ有利な取引をするか」、費用対効果にしか興味がない。 それは大学で教えているとよくわかる。 学生たちは単位や資格や学士号の「市

  • 情報リテラシーについて - 内田樹の研究室

    朝日新聞の「紙面批評」に書いたものを再録する。 長すぎたので、紙では数行削られているが、これがオリジナル。 「情報格差社会」 情報格差が拡大している。一方に良質の情報を選択的に豊かに享受している「情報貴族」階層がおり、他方に良質な情報とジャンクな情報が区別できない「情報難民」階層がいる。その格差は急速に拡大しつつあり、悪くするとある種の「情報の無政府状態」が出現しかねないという予感がする。このような事態が出来した理由について考えたい。 少し前まで、朝日、読売、毎日などの全国紙が総計数千万人の読者を誇っていた時代、情報資源の分配は「一億総中流」的であった。市民たちは右から左までのいずれかの全国紙の社説に自分の意見に近い言説を見いだすことができた。国民の過半が「なんとか折り合いのつく範囲」のオピニオンのうちに収まっていたのである。これは世界史的に見ても、かなり希有な事例ではないかと思う。 欧

  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

  • 創造的労働者の悲哀 - 内田樹の研究室

    興味深い記事を読んだ。 12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。 学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。 あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。 この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。 個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。 東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。 だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。 新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。 オフィスにばりっとし

  • 一億総学力低下時代 - 内田樹の研究室

    慶應義塾大学と共立薬大が 2008 年度に合併する。関西学院大学と聖和大学の合併に続いて、二件目である。 毎日新聞の社説はこのニュースにこうコメントしている。 「来年度は大学・短大志望者が総定員に収まる『大学全入時代』。既に定員割れを起こす大学が相次ぐ中で、今回の合併劇は統合・淘汰の時代の始まりを示唆する。」 この状況判断はその通りである。 しかし、統合・淘汰を手放しで「市場の論理」として受け容れるべきではない。 そのことはこれまでも繰り返し申し上げてきた。 毎日新聞の社説もその点については留保をしているが、私の見解とはいささいかの「ずれ」がある。 社説はこう続く。 「こんな時代になったのは、少子化が進んだためだけではないのだ。大学教育の『質の低下』という積年の、質的な問題がある。(…) 経済成長や基準緩和の中で増え続けた大学(06 年度学校基調査で、国立87校、公立89,私立568)

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