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ブックマーク / call-of-history.com (42)

  • 分析された八~九世紀頃のアングロ・サクソン人少女の頭蓋骨。

    分析された八~九世紀頃のアングロ・サクソン人少女の頭蓋骨。 © Garrard Cole, Antiquity Publications Ltd., 2020

    分析された八~九世紀頃のアングロ・サクソン人少女の頭蓋骨。
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    yamifuu 2021/02/02
  • アーサー王の宮廷キャメロット――語源、伝承、想定の候補地まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    このようなローマ時代への憧憬からクレティアン・ド・トロワがカムルス神あるいはカムロドゥヌムをもじってキャメロットと名付けたといわれる。ただし、コルチェスターとカムロドゥヌムとが結びつけて理解されるようになるのは十八世紀のことで(注1)、キャメロットの名が登場する十二~十三世紀にカムルス神/カムロドゥヌムがどれだけ知名度があったかは大いに疑問があり、カムルス/カムロドゥヌム語源説はあくまで説の一つに留まる。 また、キャメロットの名の初出である「ランスロまたは荷車の騎士」の著者クレティアン・ド・トロワがアーサー王最後の戦いである「カムランの戦い」の地名を改作して名付けたとする説の他、ウェールズ語の「カンボランダ(cambolanda:円形の囲い地の意)」や「カンボグランナ(camboglanna:湾曲した岸、または囲い地)」などに関連付ける説や、「カムランの戦い」の舞台となったとみられるコーン

    アーサー王の宮廷キャメロット――語源、伝承、想定の候補地まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yamifuu 2021/01/26
  • 九世紀頃のアングロ・サクソン少女の頭蓋骨、皮剥ぎ・鼻削ぎ刑が加えられていたことが判明 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    分析された八~九世紀頃のアングロ・サクソン人少女の頭蓋骨。 © Garrard Cole, Antiquity Publications Ltd., 2020 イングランド南部で1960年代に発見された八~九世紀頃のアングロ・サクソン系の人骨を調査していた考古学者たちが、アングロ・サクソン時代の法典類に記載されている皮剥ぎ・鼻削ぎ刑の古い例となる痕跡を発見した。CNNが報じている他、詳しくは、調査にあたったユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London, UCL)考古学研究所(Institute of Archaeology)のギャラード・コール(Garrard Cole)氏らがジャーナル” Antiquity”で調査結果についてサマリーを公開している。 Garrard Cole, Peter W. Ditchfield, Katharina Du

    九世紀頃のアングロ・サクソン少女の頭蓋骨、皮剥ぎ・鼻削ぎ刑が加えられていたことが判明 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yamifuu 2020/10/31
  • ポンペイの邸宅跡の壁から少女の落書きが発見され古代ローマの名族の可能性が高まる

    ポンペイ考古学公園(Archaeological Park of Pompeii)のプレスリリース(注1)によると、イタリア・ナポリ市郊外の古代ポンペイ遺跡にある住宅遺構チヴィタ・ジュリアーナ(Civita Giuliana)でフレスコ壁画が描かれた屋根付き回廊(cryptoporticus,注2)が新たに発見された。今回発見された回廊の壁画は真っ黒な壁に白い花が描かれている。 また、壁には「ムンミア “Mummia”」という女性名の落書きがあった。落書きは地面から4.5フィート(約1.39メートル)の高さにあり、まだ幼い少女が自分の名前を壁に書いたものだとみられる。また、当時、女性の名前は一族の姓の女性形を名付けることが一般的であったことから、古代ローマ時代の名族ムンミウス(Mummius)一族であった可能性が高い。 発掘プロジェクトを率いる考古学者マッシモ・オザンナ(Massimo O

    ポンペイの邸宅跡の壁から少女の落書きが発見され古代ローマの名族の可能性が高まる
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    yamifuu 2020/06/08
  • ジャンヌ・ダルクの主な戦友30人まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    まえがきジャンヌ・ダルクの戦友というと、認知度の高さはほぼジル・ド・レに限られ、少し詳しい人でラ・イル、ジャン・ド・デュノワ、アランソン公ジャン2世、リッシュモン大元帥などが挙げられる程度だと思うのだが、ジャンヌ・ダルクほどの著名な人物ともなれば関連人物の研究も進んでおり、また、戦友たちはそのまま百年戦争の終結に活躍した有力な軍人たちということもあって、実はその事績なども詳しく知られている。そんな、日ではあまり知られていないだろうジャンヌ・ダルクの戦友たちの中から主な人物を30人ほどピックアップしてまとめてみたい。 この記事ではジャンヌ・ダルクの関連人物のうち、一緒に戦闘に参加した軍人・貴族たちが中心で、ジャンヌとともに戦っていない有力武将(例えばヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールや著名な老騎士アルノー・ギーレム・ド・バルバザンなど)、文官(ジョルジュ・ド・ラ・トレムイユやル

    ジャンヌ・ダルクの主な戦友30人まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yamifuu 2019/10/17
  • ジル・ド・レの生涯――百年戦争後期のある中小領主家の興亡 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジル・ド・レ――フランス王国元帥、ジャンヌ・ダルクの戦友にして数々の軍功を重ねた百年戦争の英雄、フランス王よりも富裕とまでいわれたフランス屈指の大貴族・・・しかして、その栄光の陰で快楽の赴くままに百数十名にも上る子供たちの大量殺戮を行ったとして異端審問裁判により処刑された男。恐怖の民話「青髭」のモデルとも云われる、眩し過ぎる光と深すぎる闇を併せ持った彼の生涯をたどってみよう。 ジル・ド・レについて語られるとき、快楽殺人者、悪魔崇拝、瀆神といった描かれ方が多いが、記事では少し趣向を変えて百年戦争(1337-1453)の中に彼を位置付けて、中世末期フランスのとある中小領主家の盛衰という視点で見てみようと思う。 レ男爵家はブルターニュ公に臣従してロワール川河口付近一帯に領土を持った有力領主であったが、十四世紀末、賢女(ラ・サージュ)との異名を持つ女当主ジャンヌ・ド・レ” Jeanne de R

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    yamifuu 2019/10/09
  • トルコ南西部、古代カリアのギリシア都市を結ぶヘカテー神殿への「神聖な道」が発見

    発見されたムーラ県一帯は古代にはカリア(Caria)の名で知られる地域であった。カリアはヘロドトスの「歴史」やホメロスの「イーリアス」など古代ギリシアの文献にも頻繁に登場し、カリア人は精強さで知られた。ヘロドトス「歴史」によれば、エジプト第26王朝のファラオ・プサメティコス1世(前664~610年)の求めに応じて傭兵として王に従わない下エジプトの制圧に貢献したという。(巻2,152) カリア一帯にはドーリア人やイオニア人のギリシア都市が多く築かれて地中海交易の中継地として栄え、ハリカルナッソスを始めとして、諸都市が発展した。その後、ペルシア帝国、アレクサンドロス大王のマケドニア、セレウコス朝、ペルガモン王国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、そしてイスラーム諸王朝の支配下となった。このような歴史背景により、ムーラ県を含む古代カリア一帯は古代ギリシア時代からイスラーム時代まで多くの遺跡が残り、世界遺

    トルコ南西部、古代カリアのギリシア都市を結ぶヘカテー神殿への「神聖な道」が発見
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    yamifuu 2019/07/12
  • イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

    2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ

    イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見
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    yamifuu 2019/07/01
  • ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史

    ブリテン諸島史「五世紀のアングロ・サクソン人のブリテン島移動」 著作権:my work [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)] ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルのローマ皇帝によって承認されるまでの時期を想定している。』(近藤33頁) ブリテン諸島史においては、広義には410年のローマ皇帝ホノリウスによるブリタニア属州放棄から、アングロ・サクソン諸族の侵攻と七王国時代を経て九世紀半ば~十世紀初めのウェセックス王国による統一王権の形成までの約500年の時期を指すが、ここでは狭義のポスト・ローマ期、すなわちローマ

    ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史
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    yamifuu 2019/05/04
  • 古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ

    シュメールかシュメルか「シュメール」という日語表記については、小林登志子『シュメル――人類最古の文明』で以下の通り指摘されている。 『なお、我が国では「シュメル」ではなく、「シュメール」と「長音記号」を入れて表記されることが多いが、これには理由がある。第二次世界大戦中に「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した。そこで、我が国におけるシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生(京都大学名誉教授)が混同されないように音引きを入れて、「シュメール」と表記された。』(はじめにより) 特に古代オリエント史における固有名詞の和訳の問題については小川英雄著『古代オリエントの歴史』でも死語も多い古代語でセム語系や印欧語系を始め多くの言語とも関係している点で、『一定のシステムで音写の仕方を統一することは不可能』(注1)で

    古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ
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    yamifuu 2019/04/21
  • 『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』岡田明子,小林登志子 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    現代より遡ること5000年。紀元前3000年頃、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方で人類最古の都市文明を築いたシュメル人が信じた神々とその神話がどのようなものであったか。後世、多くの神話に影響を与えたと思われる洪水神話、未だに読み継がれる英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』をはじめとしたシュメル神話の全体像を描く一冊。 シュメル人の文明はキシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ラガシュ、ウルク、ウルなどの都市国家を主体として成立した。都市国家はそれぞれ都市神というその都市の守護神を持ち、その都市国家の力が強まれば都市神の地位も向上する。ニップルの都市神エンリル、ウルクの都市神イナンナ(イシュタル)、ウルの都市神ナンナ(シン)、アダブの都市神ニンフルサグ、ラガシュの都市神ニンギルス(ニヌルタ)・・・などだ。また個々で信仰の対象としていた個人神や神格化された実在の王など、最

    『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』岡田明子,小林登志子 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yamifuu 2019/03/27
  • 『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著

    日記の主である紀州和歌山藩士酒井伴四郎は万延元年(1860)当時28歳、25石の下級武士で、上司にあたる叔父・宇治田平三、同僚の大石直助らとともに、装束に関する着用の指導にあたる衣紋方として同年から一年七カ月の江戸勤務についた。日記は万延元年(1860)五月十一日から十一月三十日までの約七カ月である。 直前に大老井伊直弼は暗殺されるわ、紀州藩内も政争で重臣が失脚するわ、アメリカ公使ハリスらをはじめ外国人が来日しはじめるわ、攘夷の嵐が吹き荒れるわで、幕末の江戸は大わらわ・・・なはずだが、下級武士の彼にはそんな激動は特に関係なく、毎日の生活とか、倹約生活とか、江戸観光でどこ行ったとかの話で占められているのが、実に等身大という感じで面白い。 書で紹介されるのも大半が彼らが何ったかである。紀州から江戸への道中だけでもあんころだうなぎだわらびだ柏だ葛だ栗だ力だとばっかりだけど道中

    『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著
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    yamifuu 2019/03/08
  • ロビン・フッド伝説の誕生と普及の歴史まとめ

    中世のロビン・フッドロビン・フッドはまず中世のバラッドで唄われることで民衆の間に広まった。バラッドは中世ヨーロッパに広くみられた、吟遊詩人などを介して口伝えで広がる「物語唄」である。特に中世バラッドで人気を博したのが十五世紀前後に成立したとみられる『ロビン・フッドの武勲(” A Gest of Robyn Hode ”)』であった。 上野美子氏の名訳が実に当時の中世バラッドの雰囲気を感じられてよいので冒頭部分を紹介したい。 いざ聴き召され紳士方 自由生まれの殿方よ、 語りいだすはかのヨーマンの ロビン・フッドの物語。 ロビンこの世にありしとき 誇りも高きアウトロー、 いまだこの世に見あたらぬ、 礼節ふかきアウトロー。 LYTHE and listin, gentilmen, That be of frebore blode; I shall you tel of a gode yeman,

    ロビン・フッド伝説の誕生と普及の歴史まとめ
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    yamifuu 2019/03/02
  • 中世前半期のゲルマン人部族法典と卑俗ローマ法の成立

    476年、西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスが追放され、ゲルマン諸部族は支配体制が崩壊した旧帝国領土に次々とゲルマン諸国家を建国した。 しかし、彼らはローマ帝国から完全に独立した王国を築いたわけではなく、残った東ローマ皇帝を宗主と仰ぎ、あるいは同盟者として振舞った。ロムルス・アウグストゥルスを追放したオドアケルは東ローマ皇帝によってパトリキウス、ついでコンスルに任命され、ブルグント王グンドバットはガリア総督、東ゴート王テオドリック大王もコンスルに任命され、フランク王クローヴィス1世も西ゴート王アラリックを倒した後東ローマ皇帝からコンスルに任命されている。 ゆえに彼らは王国を統治するにあたってもローマ帝国時代からのローマ法を踏まえた統治体制を築こうと努力している。当時のゲルマン諸王に大きな影響を与えた法典として、437年、東ローマ皇帝テオドシウス2世によって編纂され439年に西

    中世前半期のゲルマン人部族法典と卑俗ローマ法の成立
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    yamifuu 2019/03/02
  • 古ゲルマン人部族社会の「民会(ディング)」についてまとめ

    民会とは民会の参加条件は部族に属する武装能力を有する自由身分であることで、年一回か二回の定期集会と、必要に応じて随時開催される臨時集会からなる。主な議題は開戦・和平の決定、重大な裁判、若者への武器の授与、郷や村など個々の地域で裁判権を行使するプリンケプスと呼ばれる者たちおよび軍事指導者の選出などであった。会議の参加者は全員武装して集まり、賛意を示すときにはフラメア(手槍)を互いに打ち鳴らしたという。 『11 会議(民会) 小事には首長たちが、大事には部民全体が審議に掌わる。しかしその決定権が人民にあるような問題も、あらかじめ首長たちの手許において精査されるという仕組みである。図らざる、そして突発の事件が起こらないかぎり、彼らは一定の時期、すなわち新月、あるいは満月の時を期して集会する。これが事を起こすに、最も多幸なるはじめの時と、彼らは信じているからである。しかし彼らはわれわれのように昼の

    古ゲルマン人部族社会の「民会(ディング)」についてまとめ
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    yamifuu 2019/02/28
  • 歴史の中の『女王陛下のお気に入り』の時代と登場人物たち

    1603年、女王エリザベス1世の遺言によりスコットランド王がイングランド王を兼ねる同君連合が英国に誕生しますが、その支配は不安定でした。1640年、国王の専制的支配に反抗して議会派とプロテスタント派の同盟による清教徒革命が起きて国王を処刑。しかし、その革命政権が独裁化すると、1660年、亡命していた国王の王子を復権させて王政復古が行われ、かと思えば復古した王政がカトリックを重視しはじめたことに反抗して、1688年、国王ジェイムズ2世を追放してオランダの君主オラニエ公を王に迎える名誉革命が発生と、十七世紀の英国は大きく揺れ動きました。 1688年の名誉革命によってスコットランド王兼イングランド王となったのがウィリアム3世です。彼は追放された王ジェイムズ2世の長女メアリの夫で、と一緒に即位しました。国王がウィリアム3世で女王がメアリ2世です。前国王ジェイムズ2世はカトリックを重視して、軍事力

    歴史の中の『女王陛下のお気に入り』の時代と登場人物たち
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    yamifuu 2019/02/24
  • 串刺公ヴラド3世の生涯を描く『ヴラド・ドラクラ(1、2巻)』感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    『ヴラド・ドラクラ』(大窪晶与作、ハルタ連載)は吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルの一人にして「串刺し公」の異名で知られる、最近ではFateシリーズでもお馴染みのワラキア公ヴラド3世(1431~1476年、在位1448,1456~62,1476~77)を主人公にした大河歴史漫画です。2019年2月15日に最新第二巻が発売されました。 残虐の暴君か、国を護りし英雄か――。 15世紀中期。南にヨーロッパを席巻するオスマン帝国、西に大国ハンガリー。 ふたつの強国に挟まれた小国・ワラキア(現・南ルーマニア)にひとりの若き公が戴冠する。 その名は、ヴラド三世。 国内政治は貴族に支配され、外交は大国の情勢に左右される中、 ヴラドは故国・ワラキアを護るため、そ... ヴラド・ドラクラのあらすじと魅力物語の始まりは1456年9月。1453年にコンスタンティノープルを陥落させて勢力を拡大するオスマン帝国と、神聖

    串刺公ヴラド3世の生涯を描く『ヴラド・ドラクラ(1、2巻)』感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    yamifuu 2019/02/21
  • 時代別Fate/Grand Orderサーヴァント一覧 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    Fate/Grand Orderのサーヴァントを時代別に分類しました。歴史上の人物および神話伝承文学等歴史上形作られた創作に由来するサーヴァントのみで、オリジナルサーヴァントは除きます。 ヨーロッパ、世界史、日史でそれぞれ実在人物、神話伝承物語等架空の人物とに分けています。実在人物は生年準拠で、生年不明で没年がわかっている場合は没年準拠、生没年不明な場合は活動時期(君主であれば在位期間)に基づいています。実装済サーヴァントのみの表でイラストだけ公開されているサーヴァントは含んでいませんが今後追記するかもしれません。 また、架空の人物については作中の舞台が明らかなものについてはその作中の時代に準拠し、そうでないものは成立の時代に配しています。(例、12世紀~16世紀にかけて成立した6世紀のブリテン島が舞台の円卓・聖杯伝説関連人物は6世紀ヨーロッパに、9~14世紀にかけて成立した作中の時代背

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    yamifuu 2019/02/07
  • 新たな北条早雲像で描く!ゆうきまさみ作「新九郎、奔る! 一巻」感想

    「月刊!スピリッツ」で2018年2月号から連載されている若き日の北条早雲物語「新九郎、奔る!」のコミックス第一巻が早くも登場です。 明応二年(1493年)鎌倉公方足利茶々丸を襲撃する室町殿奉公衆伊勢新九郎盛時(三十八歳)のシーンから始まり、一気に時代は遡って文正元年(1466年)の京都、十一歳の伊勢千代丸少年に戻ります。千代丸少年は伊勢盛定の子で室町幕府政所伊勢貞親を叔父に持つ御曹司として描かれています。 この最初の描写だけで歴史に詳しい人は伊勢宗瑞(北条早雲)の最新研究の成果がこれでもかと盛り込まれていることにおお!と思うのではないでしょうか。 新しい北条早雲(伊勢宗瑞)像北条早雲研究は1990年代に入って一気に進みました。”一介の素浪人から身を起こし、老境に入って一念発起、戦国大名に成りあがる大器晩成の下剋上を体現する梟雄”というイメージは一切が否定されます。現在では室町幕府政所伊勢氏

    新たな北条早雲像で描く!ゆうきまさみ作「新九郎、奔る! 一巻」感想
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    yamifuu 2018/08/10
  • ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて

    ジャンヌ・ダルクは戦場にあっても剣を振るうことを好まなかったことはよく知られているが、だからといって丸腰ではなく、ちゃんと剣を下げていた。しかも、その剣には不思議な、ある種の神がかり的なエピソードがある。 シノン城でシャルル7世との面会を果たし、オルレアン行を認められたジャンヌは装備を整えていく。そこで彼女は不思議なことを言い出した。サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワという町にある教会の祭壇の後ろの地面に剣が埋まっていると声がした、と。そこで人を遣って調べさせたところ、十字が五つ刻まれた錆ついた剣が発見された。この五つの十字架はキリストの聖痕に対応するデザインである。ジャンヌのもとに送られ錆を落とし整えられると、これを下げてジャンヌは戦場を駆け巡ることになる。のちに「フィエルボワの剣」と呼ばれるジャンヌ・ダルクの愛剣である。ちなみに発見されたサント・カトリーヌ・ド・フィエルボワ教会は現在

    ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて
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    yamifuu 2018/07/10