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トルコ南西部、古代カリアのギリシア都市を結ぶヘカテー神殿への「神聖な道」が発見
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トルコ南西部、古代カリアのギリシア都市を結ぶヘカテー神殿への「神聖な道」が発見
発見されたムーラ県一帯は古代にはカリア(Caria)の名で知られる地域であった。カリアはヘロドトスの「... 発見されたムーラ県一帯は古代にはカリア(Caria)の名で知られる地域であった。カリアはヘロドトスの「歴史」やホメロスの「イーリアス」など古代ギリシアの文献にも頻繁に登場し、カリア人は精強さで知られた。ヘロドトス「歴史」によれば、エジプト第26王朝のファラオ・プサメティコス1世(前664~610年)の求めに応じて傭兵として王に従わない下エジプトの制圧に貢献したという。(巻2,152) カリア一帯にはドーリア人やイオニア人のギリシア都市が多く築かれて地中海交易の中継地として栄え、ハリカルナッソスを始めとして、諸都市が発展した。その後、ペルシア帝国、アレクサンドロス大王のマケドニア、セレウコス朝、ペルガモン王国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、そしてイスラーム諸王朝の支配下となった。このような歴史背景により、ムーラ県を含む古代カリア一帯は古代ギリシア時代からイスラーム時代まで多くの遺跡が残り、世界遺