世界の「びじゅつ」をユニークな歌とアニメ(by井上涼)で表現。作品の魅力をあなたのハートに強烈インプット! #bijutune
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein 僕は「音楽は音楽で芸事、社会のことは社会のこと」と変に分けて考えていません。もちろん専門の事はそれとしてあるけれど、いま私達が直面する震災や原発事故、そこでの見えない未来に直面しながらモノづくりしなくてどうして時代の中でクリエイターだ等と言えるだろうか。その根を問われていると思う Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein 明治以前からの日本の芸事には「表現内容」が希薄なものがある。そこでは「形」が重視され、形ができていることをもって良しとする文化が成立している。これが遺伝した辺りに日本のクラシック音楽が国際的に通用しにくくなる一因があると認識している。形はカバーして見えるのだが中身を問われると難。 Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein 何か特定のスキルを問われると、キメの細かさも含め日本人は抜群の秀才ぶりを発揮する
Takuma Ishikawa @ishitakuma 現代美術で日常性という言葉はとても便利だ。だかその言葉が見えなくしてる部分は大きく、欺瞞を生む可能性もそれだけ大きい。日常性を生活性にした途端一気に使い勝手が悪くなる。そういう使いにくさこそ重要だろう。広く応用できない言葉を使うことは反省性を促す。 2011-03-30 12:35:43 okumura yūki @oqoom まさに。"@ishitakuma 現代美術で日常性という言葉はとても便利だ。だかその言葉が見えなくしてる部分は大きく、欺瞞を生む可能性もそれだけ大きい。日常性を生活性にした途端一気に使い勝手が悪くなる。そういう使いにくさこそ重要だろう。広く応用できない言葉を使うことは反省性を促す 2011-03-30 14:45:09
名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の壁面には、幅62.38メートル × 高さ2.17メートルの「高松次郎」がある。1989年制作の「高松次郎」のタイトルは、「イメージスペース・名古屋駅の人々」だ。現在は「東京三菱UFJ銀行」となった、嘗ては中京地区唯一の「都市銀行」であった「東海銀行(1941〜2002年)」の寄贈になる。 自分の血の半分は名古屋だが、名古屋に居住した事は無い。従って名古屋の住民がこの「バブル」時代の「高松次郎」をどう思っているかは判らないが、「よそ」から来た者にとっては非常に好ましい風景にも見える。その好ましさは「『高松次郎』だから」以上の理由による。 「高松次郎」は愛知県出身ではない。東京の出になる人であり、東京藝術大学卒の人であり、言わば名古屋にとっては「よそもの」である。その「よそもの」が、名古屋の「表玄関」である「名古屋駅」の壁面を独り占めしている。これが「荒川修作(
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