トラック島で「捨て石」体験 戦争における生と死の実態とはどのようなものなのか。そこに皇軍の誉れはあったのか。帝国海軍主計将校として、南洋のトラック島に“捨て石”とされた体験を持つ俳人、金子兜太(とうた)さん(95)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 敗戦を迎えたトラック島での1年3カ月の捕虜生活を終え、日本への引き揚げ船となった駆逐艦の甲板上で、詠んだ一句です。最後の引き揚げ者200人とともに、島を後にしました。小生の所属部隊を含め、戦死者はらくに1万を超していた。その人たちを思い、復員後の生き方を決意した一句です。