2012年3月19日のブックマーク (8件)

  • 大阪府、朝鮮学校に補助金不支給…「総連と一線」に疑問 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • / WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com

  • 【東京女子流SP】2ndアルバム『Limited addiction』 ロング・インタビュー - CDJournal CDJ PUSH

    多種多様なスタイルのグループがしのぎを削り、熱を帯びる現在のアイドル・シーン。その中でも、音楽の魅力を最大限に発揮し多くの人たちを魅了する5人組ガールズ・ダンス&ボーカル・グループ、東京女子流。昨年発表した1stアルバム『鼓動の秘密』が、さまざまなリスナー層から支持された彼女たちが、さらにその上を行くパワーを持つ2ndアルバム『Limited addiction』を遂にリリース! 平均年齢14歳の5人が放つクールで大人っぽい楽曲の数々は、問答無用のカッコよさがみなぎっている。ライヴを重ね、歌とダンスにますます磨きをかけた彼女たち。そこから生まれた自信、メンバーの結束力、歌に対するモチベーションは、前作からの1年で格段にアップ。キュートさの中に秘める熱い闘志を感じる、東京女子流の渾身の一撃をたっぷり味わってほしい。

    【東京女子流SP】2ndアルバム『Limited addiction』 ロング・インタビュー - CDJournal CDJ PUSH
  • 「社会」を「ソーシャル」に変えたスマホという機械:日経ビジネスオンライン

    スマートフォンを買おうと思っている。 これまでは、「どうせひきこもりなんだから」という理由で手を出していなかった。 実際、あれは、電話というよりは、移動仕様の簡易PCに近い。それゆえ、自宅にこもっていることの多い私の暮らしぶりからして不要なブツだった。 逆に考えれば、スマホは、ソーシャル(社会的)なツールだということになる。 従来型の携帯電話(以下「ガラケー」と略称します)は、通話なりメールなりという個別の関係を仲介してはいても、その持ち主を「社会」に接続する機能は持っていない。だから、コミュニケーションツールではあっても、ソーシャルなネットワークとは無縁だ。 が、スマホは、あれは、電話ではない。通信端末だ。その意味で、スマホの画面に指先を這わせている人間は、通話先の人間というよりは、もっと漠然とした「ネット社会」につながっている。ということはつまり、スマホというあの小さな窓は、外出中ない

    「社会」を「ソーシャル」に変えたスマホという機械:日経ビジネスオンライン
  • 岩波書店

    岩波書店公式サイト

    岩波書店
    yohyouyohyou
    yohyouyohyou 2012/03/19
    「本がとどくまで」
  • 【karoshi過労死の国・日本 第3部(2)若者に迫る危機】“正社員”餌に残業100時間 「マジで無理…」首つり(1/3ページ) - MSN産経west

    人には悪いが、息子は就職戦線での“負け組”でした」。長男を「過労自殺」で亡くした父親は、そう言葉を絞りだした。 平成20(2008)年8月2日朝、村井義郎(65)=仮名=は兵庫県尼崎市の自宅で長男、智志=当時(27)、仮名=の変わり果てた姿を見つけた。スーツのズボンに白い肌着という出勤時に着る服装のまま、首をつっていたという。 智志は、死のわずか4カ月前に「正社員」になったばかりだった。それまでの5年間を、アルバイトなどの非正規労働者として働きながら就職活動に費やしていたのだ。 智志が大学を卒業したのは、就職氷河期まっただ中の15年3月。前年10月時点での就職内定率は、64・1%だった。いまや24年3月の卒業予定者で59・9%というさらに厳しい時代を迎えているが、当時でも智志は3年生から応募を始め、書類選考だけで落とされ続けたという。 ようやく面接にこぎつけた会社からは、容姿をけなされ

  • 追悼、吉本隆明氏を送る

    87歳という高齢になるまで例えば糸井重里氏との対話など、批評家として時代を見つめていた活力もこの方らしかったように思いますが、その一方で、静かな亡くなり方にも吉さんらしさを感じます。エネルギッシュな言葉の奔流が暖かな余韻を残す一方で、ふっと立ち去るような訃報が不思議にバランスしているように思うのです。 バランスという意味では、60年近い間、厳しい発言を続けると同時に、言葉への責任感を忘れない方でした。吉さんの言葉はこれからも日の「戦後」の記録として古びることはないと思いますが、その説得力も責任感ゆえだと思います。 古びないということでは、私は吉さんの再評価というのは必要だと思います。漠然と学生運動や左翼運動の理論的支柱だったというようなイメージで、冷戦型の対立が消えたのと同じように、吉さんの思想も時代遅れになっていったと社会的には思われています。批評家の吉隆明というより「よしも

  • 震災瓦礫の広域処理、3月11日に声明を出すのは何とかならなかったのか?

    最初にお断りしておりますが、震災瓦礫の広域処理は進めるべきだと思います。また、この問題で敢えて踏み込んだ姿勢を示した野田政権を批判するつもりはありませんし、仮にこの材料を倒閣の材料にしようという勢力が出てくるのであれば、その非人間性には怒りを覚えます。 ですが、他でもない3月11日に他でもない野田首相が「災害廃棄物処理特別措置法に基づき、文書で協力を要請する考えを表明」したというのは、何とかならなかったのかと思うのです。野田首相の「国は一歩も二歩も前に出て行かなければならない。日人の国民性が試されている」というセリフも、主旨は分かりますが、3月11日に言うべき内容であったのかについては、疑問が残ります。 とは言っても、私の感想はそんなに単純に整理はできないので、箇条書きにすることをお許し下さい。 (1)3月11日には犠牲者の追悼や国際的支援への感謝に徹して欲しかったように思います。3月1