子歳いろは「招福ねずみ」 ぜんをいのり まよわされぬひと ふくつかむ しろきねずみにも おそなえあげる ほらはこべ めでたや ちゅう 「イロハニズム」はことば遊び、特に「いろはぶみ」を追求する個人誌です。 サイズはA5・4頁、季刊で無料。2006年6月24日現在39号まで発行されております。 原則として手渡し配布です。無料なメディアですので、その辺はご勘弁を。郵送も引き受けていますけど、その場合郵便料金は頂戴させていただきます。切手でもよいですがお勧めは簡易書簡。 第46号は2008年2月に発行を予定しております。 ○いろはぶみとは? ○いろはみち on Web 「いろはは如何にして作られるか」:いろは文の作成過程を解説。 「仮名の使用頻度と困字との関係」:使いにくい仮名の特性について。 「いろはを作ってきた人々」:いろは文の歴史。 ○「イロハニズム」バックナン
「まあ、深く考えるな。きみたち地球人はダジャレをばかにするが、そもそも宇宙の摂理の根源はダジャレなのじゃ」 ──横田順彌『銀河パトロール報告』より ……まさか、こんなトンデモない本が、千葉大学付属図書館の、それも歴史学の書架に、堂々と置かれているなんて、思ってもみなかった。 木村鷹太郎(きむら・たかたろう 1870-1931)。 おそらくご存知ない方が多いだろうが、彼は、日本歴史学史上、最も壮絶で、最もパラノイアックで、最も脳天気で、なおかつ最もトンデモない異端歴史学説「新史学」を築き上げてしまった人物である。 この本は、その木村鷹太郎の代表作『世界的研究に基づける日本太古史』(1911-12 博文館)のダイジェスト版『日本太古小史』(1913 二松堂)を、自らも異端的な歴史学説を唱えていた作家の八切止夫(1916-87)が、変な註釈文らしきものを勝手に書き入れて、ただでさえおかしな
▼ 数学の表現の媒体としてのコンピュータつづき あのあとyoriyukiさんから有用な示唆をもらいました。 (これだけ書くのも大変だろうなあ。いつもお世話になってます。) 証明チェッカのあちら側とこちら側 私的にみたハイライトはこの辺りかな: 論理に関する部分はうまくいかなそうな気が(直観的には)します。言語や論理について一般の人が抱いている直観は誤っているか、すくなくとも混乱していることが多く、そのまま形式化しようとするとうまくいかないからです。例えば、名詞は何か対象を名指している、といった考えがその例になるでしょう。この場合、何の対象も指さない時や、複数の対象に当てはまるときにどうするか、といった問題が考えられてないのですが、にもかかわらず強固な直観としてなかなかここから自由になれないようにに思います。 言い方を変えると、自然言語に近いもの純粋に形式的に取り扱おうとすると
○ はじめに 著者は音 ( 音楽 ) と言えば CD などで聞くばかりで、音を作ったり加工したりすることに対する興味はあまり有りませんでした。それが、数年前に友人とバンドを組んでから少しづつ音を扱うことに興味が湧いて来たのをきっかけに音を扱うプログラミングに手を出し始めました。 本文書では、Linux® をプラットフォームとする Open Sound System ( OSS ) API を使用したサウンドプログラミングについて記述していきます。Open Sound System ( OSS ) とは、Unix 系プラットフォームにおける各種サウンドカード用のデバイスドライバを提供する商用製品です。Linux のサウンドサブシステムはカーネル 2.4.x までは OSS の非商用版である OSS / Free が取り込まれた形から発展したものです。カーネル 2.5.x 以降では ALSA
増田が提示しておりますところの電子文書 本日つらつらと考えたること 99-05-27 専攻分野反転の法則 99-04-01 生涯の10枚 99-03-18 たとえば、オレが死んだら 99-01-25 J=J・ナティエ『音楽記号学』(春秋社)再読の覚え書き 99-01-18 著作権制度と「作者の権利」 99-01-11 絶対音感とポラロイドカメラ トップページに戻る 「つらつら」インデックスへ 99-05-27 専攻分野反転の法則 院生稼業をそこそこの期間やっていると、それぞれの研究分野によって人格類型がなんらかの一定の傾向を示している事実に気づくことになる。ワタクシはさまざまな分野の学生・研究者と大酒を呑んできた経験から、とある法則をかねてより持論として見いだしてきている。それは「専攻分野反転の法則」とでも呼べるものである。 例えば、不肖ワタクシめが身を置く音楽学
中国の歴史書『魏志倭人伝』(正確には『三国志』中の『魏書』東夷伝倭人条)に記された邪馬台国の所在地に関しては、江戸時代以来、学者・アマチュアを問わず様々な人々が様々な説を発表してきた。だが、いわゆる「邪馬台国論争」について興味を抱いている方ならご存じのことと思うが、その説の大半は、『魏志倭人伝』の文章を勝手に修正したり、あるいは不自然な読み方をしたりして、邪馬台国を無理に自説の場所に持ってこようとするものであった。 ところが、ここに、明治末年に発表された一つの説がある。この説では『魏志倭人伝』の文章は、どこも訂正する必要もなければ、不自然な読み方をする必要もない。『魏志倭人伝』の語る地理が、何の矛盾もなく、そのまま現実の地理にぴたりと当てはまるのである。ある意味では、邪馬台国の所在地に関する最も完璧な説と言える──ただし、そのためには、正気の歴史家ならとうてい受け入れる気にならないような
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