家人は、某作家さんの熱心なファンでした。 現在は、過去形で書くしかない状況に追い込まれていますが……。 今年の連休辺りだったでしょうか、その作家さん(以降はAさんと記します)から、未発表作品の自費出版に取り掛かって欲しいという要請がありました。 作家がファンに自費出版の要請なんて書くと、「てにをは」を間違えているのでは? と思われそうですね。若干の補足説明が必要になるでしょう。 Aさんは、素晴らしい作品を書く方ですが、色々な事情があって、現在は商業出版が出来ない状態に置かれています。 そこで、熱心なファンの中から「自分達の手で出版しようじゃないか」という声が持ち上がり、実現の運びとなりました。それが一昨年の冬のことです。1冊5000円というとんでもなく高価な本であったにも関わらず、予約受付開始時刻になった途端に注文メールが殺到し、即日完売になりました。 校正を行なうだけで出版に漕ぎ着けるこ
週刊朝日に、四方田さんの「先生とわたし」の長薗安浩による書評が載っていた。いやあ各紙誌絶賛、これなら小林秀雄賞もとれる! 長薗は最後に、今でもこういう師弟関係は成り立つのだろうか、それとも学生の知的レベルの劣化でそれもならないのか、と書いている。知的レベルの劣化、って日本語が何か変で、普通に「低下」と書けばいいのだが、まあそれはいい。 今ではも何も、これは東大だから成り立ったものである。京大や早慶でも成り立つかもしれないが、マーチレベルでこんな師弟関係が成り立つことは、平野謙−中山和子の昔ならいざ知らず、どのみちありえまい。『先生とわたし』は青山光二の『われらが風狂の師』に似ているが、こんな昔の話でさえ、ヤクザ小説の書き手だった青山は東大卒だ。まあ明治だって陣野俊史くらいの人なら何か書けるだろうし、陣野さんくらいなら、教えた教師もさぞ嬉しかったろうと思う。もっとも陣野さんだって学部は早稲田
みすず書房の元重役の回想録を読んだことがある。題名を失念してしまったが。そこで印象的だったのは、戦後みすず書房でも小説を出版していたというくだりだった。現在みすず書房の中心は人文書、とくに社会学や哲学、歴史などではなかったか。なぜ小説の出版をやめたのか。 元重役は書いている。人文書の著者は大学などの先生が多い。先生方は大学の俸給で食べているので著書の印税をあまりあてにしなくてもすむ。ところが小説家たちは印税で食べているため、早急に印税の支払いを求めてくる。それで小説の出版を取りやめたのだという。つまりみすず書房ですら印税をすぐには支払わなかったのだ。 文藝春秋からノンフィクションを出版した友人に聞いたところ、発行翌月に印税全額が彼女の銀行口座に振り込まれていたという。岩波書店から写真に関する著書を出版した写真家も印税の支払いは翌月だったという。さすが大出版社と思ったのは、そうではない出版社
うーん、、、、、この本についてなにを書けばいいのかわからない 名古屋市郊外に住む1人の少女の中学1年春から夏にかけての物語 自伝なのか創作なのか、そんなことはまあどうでもいい 狂っていく家族、最悪な学校、愚鈍な教師と生徒、淡々と一人称で綴られる悲惨? 滑稽? な物語 主人公にはこれっぽっちも共感できないのに4時間ほどで一気に読了してしまった 時代は異なるがこの本の主人公と同じ中1の時、状況的にはオレも似たような環境にいた 管理教育、無能な教師、不良、いじめ、ムラ社会、(部落・民族・性)差別、恐喝、シンナー、ヤキ入れという名のリンチ、、 だが似ていたのは「最悪である」というその状況だけだ やはり少女と少年は根本的にまったく違う生き物だ オレは少女であったことがない つまり主人公の気持ちは想像できてもわからない 直截的な心理描写が続くこの本を読んでもまったくわからない たぶん一生わからない 同
戦後教育の陰画 あのころ、ぼくのクラスも班競争だった。授業中の班学習から給食や掃除など班当番まで、学校生活のすべてが班単位で評価されていた。「班のある学級」はソ連の集団主義教育理論に基づき、日教組傘下の全生研(全国生活指導研究協議会)の運動から広まる。軍隊の内務班が消滅して死語となった「班」は、一九六〇年代になって小学校の教室で甦(よみがえ)っていく。 本書を読みながら、ビリ班と連帯責任、反省会での自己批判、代表委員会の選挙演説など、忘れていた幼い記憶が浮かんでくる。一九七〇年代のチャイルド・ソーシャリズム体験を私も著者と共有している。共産主義の理想が世間一般で通用したのは、一九七二年連合赤軍事件までだろう。だが、全共闘世代が大量採用された教育現場では、少し遅れて「政治の季節」が到来していた。 こうした現象は、革新自治体が相次いで誕生した大都市近郊で特に顕著だった。小学校はPTAを巻き込ん
→紀伊國屋書店で購入 もっとストイックなドラコニアをという欲ばり そもそも2006年が読書好きにとってとんでもない「驚異の年」になったのは、松岡正剛『千夜千冊』(求龍堂)と『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)二点の刊行のせいである。貪欲な博読家松岡正剛が毎日毎日書きだめ、編集工学研究所の電子環境から数年がかりで発信したものに、千冊の区切りをつけて猛烈に加筆して巨大冊子体に変性せしめた異様な企画は、十万円にも手が届くものであるにもかかわらず、早々に重版した。 大企画は大企画ながら、故澁澤龍彦蔵書の目録は一万余点の書目の一覧表であって、一点一点がレヴュー・アーティクルとなっている『千夜千冊』と比べようがないが、1960年代から幾つか山を迎えつつ世紀末にいたるあたりの書物界について雄弁に証言してくれるという点では、両者何径庭も遜色もない。 澁澤邸書目は全体何のジャンルなのだろう。数年
松本清張は終わらない 2007年07月22日 本人は「死んだら、良くて2、3年しか読まれない」と考えていたらしい。 亡くなる直前まで複数の連載を抱える売れっ子で、長者番付の常連作家にしては、ずいぶん謙虚ではないか。 30年にわたって担当編集者として付き合い、現在は北九州市立松本清張記念館長を務める藤井康栄によると、清張は「これという一作を持っている作家が意外と残るんだよね。私はたくさん書いたので一つに絞れないだろう」とみていたそうだ。 もうすぐ没後15年になる。本人の「推理」に反し、1000編に及ぶ膨大な著作の多くが増刷を続けている。しかも、テレビドラマの世界で、今なお清張の作品が引っ張りだこになっている。 今秋も、テレビ朝日が『点と線』を2日に分けて放映する。半世紀ぶりの映像化だ。チーフプロデューサーの五十嵐文郎は「人間の嫌な面を描いている」ことが作り手の心をくすぐるとみる。ドラマから小
→紀伊國屋書店で購入 虚無の大海もトリヴィア泉の一滴に発す マーティン・ガードナーのファンである。1914年生まれというから、少し頑張ってもらえばめでたい百歳も夢でない。アメリカ版・竹内均先生と大学生に紹介しても、肝心の竹内氏が科学雑誌『ニュートン』他を宰領したポピュラーサイエンティストの大物だったことさえ知らない時代だから、ガードナーの偉さはなかなかわかってもらえない。『自然界における左と右』(紀伊國屋書店)で、DNAやアンチマターの説明を、ごく卑近のたとえ話を駆使して巧みにやる啓蒙科学の名手。それもそのはず、最先端科学を一般読者に紹介する名雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』誌の伝説的編集長だった。繰りだす話柄に事欠くはずもない。整数論や幾何学にみられるパラドックス現象のコレクションや解説が『ガードナーの数学サーカス』、同『数学カーニバル』で余りに見事なものだから、数学の万年落第生
76歳、谷崎潤一郎の手紙公開 お手伝いの女性に 2007年07月29日 作家の谷崎潤一郎(1886〜1965)が晩年、谷崎邸を去った若いお手伝いの女性に送った手紙が、兵庫県芦屋市の市谷崎潤一郎記念館で公開されている。当時20歳だったこの女性に戻ってきてもらおうと、短歌を詠んで引き留めを図ったことが文面から伝わってくる。同館の永井敦子学芸員は「谷崎は気に入った人にはとことん好意を示したと言われる。晩年までそうした執着が強かったことがうかがえる貴重な資料だ」と話している。 今回公開された谷崎潤一郎の直筆の手紙=芦屋市伊勢町で 手紙は、谷崎が静岡・熱海に住んでいた時に雇っていたお手伝いの女性にあてたもの。亡くなる約3年前の1962年秋、谷崎が76歳の時に書かれた。当時は若い女性のお手伝いが7、8人いたが、この女性は谷崎に特に気に入られていたため、周りの人との関係を気遣って半年ほどで辞めて兵庫県の
この文章は以下の記事の続きです。 ●これは盗作とちゃうんかいっ ●続・これは盗作とちゃうんかいっ ●新・これは盗作とちゃうんかいっ ●これは盗作とちゃうんかいっ・途中経過 ●これは盗作とちゃうんかいっ・途中経過2 ●これは盗作とちゃうんかいっ・だらだら篇 ●これは盗作とちゃうんかいっ・無断引用篇 ●これは盗作とちゃうんかいっ・これは困った篇 お騒がせしております。 『新・UFO入門』ブログ記事盗用事件に関する、わたしと唐沢俊一氏および幻冬舎との交渉は、決裂いたしました。 もう少しで合意できそうな気もしていたのですが、甘かった。最後の最後になって、唐沢俊一氏と幻冬舎は、これまで互いに同意できていた重要項目をチャラにする要求をしてきました。 ◆ わたしの最初の意図とは違いましたが、二か月にわたる交渉の結果、ほぼ同意できていた主要な部分は以下のとおりです。 (1)『新・UFO入門』の幻冬舎社内在
※唐沢俊一まとめwiki http://www13.atwiki.jp/tondemo/ (2008/02/05追記) http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_604f.html 6月初旬の発覚以来、交渉が続いていた漫棚通信さんと唐沢俊一氏・幻冬舎ですが、最悪の展開になったようです。 この後、漫棚通信さんがどうされるのかはわかりませんが、ともあれ、疲労されないようにと思っています。 唐沢氏や幻冬舎は、わざわざ話がこじれるように、こじれるように持って行っているふうに見えています。 彼らは、一体、どういう解決を望み、何をしたいのでしょうか? 以下、申し訳ありませんが自分の話です。 実はこのブログで自分から話題にするのははじめてなのですが、私は9年前、唐沢俊一らを名誉毀損で提訴し光文社「小説宝石」などに謝罪文を掲載させるこ
→紀伊國屋書店で購入 由良君美という「敗者の精神史」 もう60冊は簡単に越えているのだろうか、四方田犬彦氏の仕事には無条件に脱帽してきた。とにかくアクチュアルであることに憑かれてパレスチナへ、クロアチアへ、韓国へと飛ぶ。どこまで知っているのかという博読ぶりにも驚くが、だから現地ルポがルポルタージュに終るはずもない。過激な政治的スタイルで文章が荒れる虞(おそ)れなどなく、『摩滅の賦』を頂点とする、澁澤龍彦ぶりの小さな対象へ感入していく微細玄妙の感覚と文体を放すこともない。つい先日も阿部嘉昭氏が『摩滅の賦』収中の「オパールの盲目」の精緻を激賞していたが(『d/SIGN』14号)、本当に主題の自在、観察の巨細、驚くばかりで、ぼくは実は世間的に言えば氏の「先輩」ということになるが、この「後輩」にはずっと頭が上がらないで今日に至っている。 中でも特別の才と感じるのが、『モロッコ流謫』に極まる評伝の書
雪の晩げに道を歩くと雪ジョロがでるすけオッカネぞとおらとこのオトトもオカカもオラたちに云うてオッカナがらすろも、オラそんげのこと信用(しんよ)しねわい。そらろもオレもオッキなってガキどもができると、そんげのこと云うてオッカナがらすかも知れねな。人間てがんはショウがねもんだて。そらすけオラいまから諦めてるて。 雪の夜道を歩くと雪女郎がでるから怖しいぞとオレのウチの父も母もオレたちに云ってこわがらすが、オレはそんなこと信用していない。けれどもオレも大きくなって子供ができると、そんなことを云ってこわがらすかも知れない。人間というものは仕様がないものだ。それだからオレはいまから諦めてるよ。 小学校四五六年生くらいの子供の言葉と思っていただけばよい。新潟県は土地々々で非常に方言がちがい新発田あたりだけはまるで仙台弁のように鼻にかかる少地域なぞが介在したりするが、いま書いたのは新潟市の方言だ。新潟の子
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