http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20071226/1198618893 >それは、文盲のひとが超人的な努力で「字が読める」かのようにふるまうのと似ています。 ああ! と腑に落ちた。 唐沢俊一という男のいかがわしさは、ルース・レンデルの「ロウフィールド館の惨劇」という小説の主人公の不気味さと似ているのである。 この本は、ミステリであるにもかかわらず、いきなり書き出しでこんな風に犯人と動機を割っていることで有名だ。 ユーニス・パーチマンがカヴァディール一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。 主人公ユーニスは中年過ぎた家政婦さんで、金持ちのカヴァデイール家に雇われるが、文盲であることを隠していた。 そして彼女は、必死の努力と知恵で、文字が読めるように振舞うのだ。 「そこまで苦労するなら読
北朝鮮が多くの日本人を拉致したということは許しがたいことだが、ひとりの人間の欲望のために、日本人の少年を連れ去ったとすれば、これも問題ではなかろうか。 戦時中から戦後にかけての日本の混乱期のことは体験したことのない、戦後生まれの人に理解してもらうことは難しい。 米軍の無差別な空襲によって、家を焼かれ親兄弟をも無くして孤児になった子供たちが、上野の地下道に寝泊りしていた。 アメリカのお金持ちが、それらの少年をアメリカに連れて行ったという話は、戦後の新聞紙上に美談として記事になっていた。 もちろん純粋な気持ちで少年たちをアメリカに連れて行って面倒を見た人もいたに違いない。しかし『薔薇族』の編集長として長い間、同性愛の問題に取り組んできたぼくとしては、どうしても少年愛のアメリカ人が日本の少年を連れて行ったのではないかと、推測して考えている。 何年か前にアメリカのカソリックの神父さんが少年に手を出
大東亜戦争末期沖縄での集団自決の実態再検証に世論の関心が高まっている。大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)の真偽を巡って係争中の裁判の報道もあった。その中に、えっと思う記述があったので『沖縄ノート』を読んでみた。 第九章にこうある。 沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は一九七〇年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは「二十五年ぶりの屠殺(とさつ)者と生き残りの犠牲者の再会」であった。 自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解での)を屠殺者になぞらえていることだ。 これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として部落解放同盟と屠場労組の苛烈(かれつ)な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。 一九八二年、俳優座のブレヒト原作『屠殺場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上
吉野仁氏の日記「孤低のつぶやき」12月24日の欄に、 なにしろ、自分の属するジャンルが最高であると、強引なこじつけのトンデモ論を延々と垂れ流してるエラい書き手の方もいるくらいだ。あれはひどいもんです、あいかわらず。よく読むと中身はメチャクチャ論理以前なのだから。その根底にあるのは、単なる村意識、自民族自賛なのだろう。オラさ村は最高だべ。隣村など屁でもない。××民族ン年の輝かしき歴史と伝統バンザイ。しかもつねにオレたちが最先端を行っている(ホントかよ)。 とあるのは、笠井潔氏のことに違いなかろう。吉野氏はかつて、同じ日記で、書名や著者名を伏せて笠井理論(と思われるもの)をトンデモよばわりし、ネット上の読者から、これは笠井の著作への批判だろうと、具体的な書名まで指摘されながら、否定し通したことがある。しかし、そのときも今回も、吉野氏の罵倒が笠井氏をさしていることは明白だ。私は自分一個の責任でそ
朝日新聞社の大仏次郎賞が決まった。ところで先日、東大の授業で、これを「だいぶつじろう」と読んだバカがいた。もちろん理系だが…。(しかしこれについては、ルビを振らないで読者の知能低下を招いている新聞も悪い) 最相葉月『星新一』と吉田修一『悪人』だが、どちらも既に別の賞を貰っている。これは疑問だ。そもそも他の賞を受賞した時点で候補から外す賞もあるくらいで、昨年の田草川弘もそうだったが、二作とも別の賞を受賞済みというのは、大仏賞史上初めてで、新味はないし、選び方として見識が疑われる。何も不作だったというのではない。四方田さんの『先生とわたし』や私市先生の『名編集者エッツェル…』、松浦理英子の『犬身』もある。最相の本はSF大賞も受賞しているが、これの発表はおそらく大仏賞の選考が終ったあとだろう。 あまり一つの作品が複数の賞を受賞するのは、いかに名著だとて好ましくない。さるにても星新一がかわいそうだ
九月にここで、ちくま新書が出たら荻上チキの実名を明かす、と書いたら、ほどなくチキから、やめてほしいという懇願メールが来た。会社で仕事をしているので、顧客などに知れるとまずい、というのだ。 チキは私が小山エミと論争している時に、「小谷野さんがぐずぐずになっている」と書いているし(私はぐずぐずになどなっていない)、林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思うのだが、一点、躊躇されるのは、私がチキの実名を知っているのは、当人が本を送ってきた時に封筒の裏に書いてあったからで、当人が知らせてきたのを、当人が嫌がっているのに明かすのは、どうか、と思うからだ。もっとも当人は、封筒の裏に書いたことは忘れていたらしく、筑摩書房から聞いたと思ったらしいが、それは個人情報保護法違反だから、ない(筑摩の編集者とはもちろん時々電話で話すから、「本名知ってるんですが、明かすとまずい
ジョン・レノビッチさんが今年も降臨している。ピース。 そして私はついにあのおじさんが死んだ年齢を越えた。同じく1967生まれのカート・コヴァーンは生きていれば今ラブ&ピースおじさんの死んだ歳ということだ。おっしゃる意味がよくわかりません。 amazonからお勧めメイル。 Amazon.co.jpで、以前に「R.D.レインの本」をチェックされた方に、このご案内をお送りしています。『天狗騒動記(大佛次郎セレクション)』、現在好評発売中です。\3,150で注文するには以下のリンクをクリック なにそのしぶい関連づけ。 と思ったら、大佛次郎の本の編纂者がレインの「好き好き大好き」や「結ぼれ」を翻訳した人と同姓同名、村上光彦氏だった。レインの方は訳者あとがきに「私は医学関係者ではない」とか書いてあったのは覚えているけどが、本当に同一人物だったりして。 好き好き大好き 結ぼれ ということで、最近、ひさし
集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて [著]竹井隆人 [掲載]2007年12月02日 [評者]北田暁大(東京大学准教授・社会学) ■他者を意識した緊張感ある共同体を かなり論争的な本だ。タイトルを見ると、集合住宅におけるコミュニティーや共同的なまちづくりの重要性が、生温かい理想主義的な雰囲気を伴いながら描かれているのではないか、と私たちは考えてしまう。しかしこの本は、私たちが何となく「善(よ)きもの」と前提しているような「コミュニティー」や「まちづくり」のイメージに違和を決然と表明する。 たとえば、住民たちの交流を推進するコミュニティーの構築について。著者はその重要性を一定程度認めつつも、それが多くの場合曖昧(あいまい)な形で語られ「はなはだ情念的で表面的な意味合いでの人間同士のつきあい」として捉(とら)えられているのではないか、と論じる。コミュニティーをめぐる言論空間のなかで、住民
子どもが忌避される時代―なぜ子どもは生まれにくくなったのか [著]本田和子[掲載]2007年12月2日[評者]香山リカ(精神科医、帝塚山学院大学教授)■「次世代を作る」を公的な営みと主張 私事になり恐縮だが、私には子どもがいない。決意や選択の結果というより、何も選択せずにいたら自然にこうなった、とこれまで思っていた。 著者は、少子化の根っこにあるのは「子ども忌避」の心性だとする。だとすると私も、自分でも気づかぬうちに「次世代の人間を作り出すという営み」を積極的に忌避していたのだろうか。これはただごとではない。 しかし著者は、この「子ども忌避」は現代女性の意識の変化のみによって起きたものではない、とする。それは、社会の近代化に伴ういくつかの変化の総体なのだ。そして、親子関係、生活空間、都市空間、情報ツールやメディア、犯罪など、それぞれの要素ごとに「子ども感」の変化の歴史を丹念にたどっていく。
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大学院に進学し、博士号まで取得したのに、大学教員の常勤ポストを得られる見通しはほとんどゼロで、企業の博士採用も消極的。収入は「非常勤講師とコンビニのバイトで月収15万円」(本書帯)という「高学歴ワーキングプア」な人々の窮状に対して、みなさんはどんな感想を持つだろうか。 最近、何かと取り上げられることの多い、非正規雇用の若年労働者に比べて、同情票は集まらないように私は思う。一般的な若年ワーキングプアは、平成不況のせいで正規の職にありつけなかった結果、低賃金の暮らしを余儀なくされている。対して「高学歴ワーキングプア」は、少なくとも大学院に進むだけの経済力はあったわけだし、「自分で選んだ道」でもある。 しかし、本書は、「高学歴ワーキングプア」が、ある政策の犠牲者たちであることを明らかにしている。その悪名高き政策こそ、文部省(当時)が90年代初頭に旗を振った「大学院重点化」だ。大義名分は「世界的水
ここらへんから一気に抽象度が高まる。そして一般人にとって何の役に立つのかわからなくなる。しかしとりあえずそのような問いは置いといて、論理学の思考に身体的に慣れる必要がある。あと高校レベルの数学は必修だよ。 2.1自然言語から人工言語へ 現代の論理学は記号論理学symbolic logicと呼ばれるほどで、普通の言葉から遠ざかって独特な記号を用いる。言語には自然言語natural languageと人工言語artificial languageがあるわけだが、論理学をやるには後者のほうが適する。ちなみにコンピュータのプログラミング言語も人工言語である。それこそ論理学での成果はプログラミング言語の開発などにかなり利用されてきた。そういう意味では論理学って役に立つ学問であることは理解できる。でも実際にいかに訳に立っているかを理解するのは難しい。 話はずれた。ともかく論理学は人工言語を用いたほうが
ジダン [著]バティスト・ブランシェ、チボー・フレ=ビュルネ [掲載]2007年11月18日 [評者]佐山一郎(作家) ■慎み深く、故郷を愛する人 サッカー・フランス代表、ジダン主将の頭突き事件で幕を閉じた感さえある06年ドイツ・ワールドカップ。イタリア代表DFマテラッティの挑発の言葉をめぐる大騒ぎが懐かしい。「髪形の乱れをからかった」説から「フーコーが死んで以来、フランス哲学はクズ同然と罵(ののし)った」説までもが当時ジョークとして飛び交ったものである。 本書によると、ジダン最後のレッドカードはキャリア14枚目。「別々の大会の本戦で、二度退場処分を受けた二人目のサッカー選手」として歴史に名を残してしまう。 類書が既に幾つかある中、この本に一日の長があるのは、ジダンの衝動性が情状酌量される理由を丹念に掬(すく)い上げて行くからだ。引っ込み思案と表裏一体の慎み深さや、愛郷心の強さを示す心温ま
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