タグ

ブックマーク / president.jp (5)

  • 橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方 (3ページ目)

    成功のカギは「手続き的正義」の考え方だった 絶対的に正しいものが分かりにくい時にこそ、その正しさを追い求めるプロセス・手続きをきっちりと踏んで、できる限り正しいものに近づけるというアプローチをとる。これが「手続き的正義」の考え方だ。表現の「内容」で判定するというよりも、「手続き」をきちんと踏んでいるかどうかで判定するアプローチだ。 結論から言えば、「公金を使っている以上、反日的な表現はダメだ」という理由で、アウトの判定をしてはいけないというのが僕の持論だ。世間では、慰安婦像は反日! という理由で撤去を迫っているようだが、反日かどうかというラインの設定は極めて危険だと思う。 僕のラインは、公金を使って「一方的な」政治的表現をサポートすることは許されないというものだ。政治的かどうかという内容面で一切許されないとするものではない。一方的かどうか、対立側にも表現のチャンスを与えているかどうか、その

    橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方 (3ページ目)
    yuyaiwsk
    yuyaiwsk 2019/08/08
  • 密室で物事を決める時代は終わった

    だけが世界のロビー情勢から大きな後れをとる 今、日の政策決定のあり方が大きく変わってきている。 実務を担う省庁と強力なパイプを持ち、豊富な専門知識と幅広い人脈をもとに、政策立案に関与する。これは洋の東西を問わず政治やロビイストが果たす役割のひとつである。とりわけ多様なコミュニケーションのチャンネル、問題に関する専門的知識を有能な政治家やロビイストは必ず有している。企業も当然、そのような有能な政治家ないしロビイストに頼ろうとする。このことは決して日だけの特殊な現象ではない。米国も欧州もそうである。 ただ、ひとつ日と欧米が大きく違うのは、日では主に「水面下」で物事が運ばれてきたこと(もちろん欧米といえども政治に完全な透明性などというものは存在しないが)、比較的狭い範囲のステークホルダーだけが参加して物事が決められてきたということである。かつては、欧米でも同様であった(そしてその限り

    密室で物事を決める時代は終わった
    yuyaiwsk
    yuyaiwsk 2016/10/15
  • 聞いてはいけない 残酷すぎるデータ4

    自殺率 昭和30年代は20代が高かったが、今世紀は…… いつの間にか、連載も18回目になりました。「データで社会を読み解く論稿」ということで、自由奔放に書かせていただいていますが、「たまには、読者のビジネスマンの参考になるようなネタを……」というのが編集部さんのホンネでしょう。 私はビジネスのノウハウなど微塵も知りませんが、データを効果的に表現するユニークなグラフ技法の紹介はどうかな、と考えました。現代は「エビデンス」の時代。企画立案の会議などでは、データを交えたプレゼンテーションが求められることが多いでしょう。 その時に力を発揮するのがグラフですが、このような見せ方のグラフ技法はどうか、という提案をしてみようと思います。私のエゴが入った作品ばかりで、皆さんの参考になるか分かりませんが、気軽に読んでいただければ幸いです。 まずは、自殺率のグラフです。 初っ端から物騒な話題ですが、社会病理

    聞いてはいけない 残酷すぎるデータ4
  • なぜ、カルビーは「会議不要、資料不要」なのか

    “ノーミーティング・ノーメモ”を合言葉に、カルビー社内の会議と文書のムダを一掃した松会長。その厳しい会長が理想とする資料はどんなものか。 儲かる会社へと変貌させた立役者が「ノーメモ」を掲げる理由 2009年にカルビーの会長兼CEOになったとき、社内資料の多さにびっくりしました。売り上げデータ、在庫データ、エリア別データ、商品別データなど社内の帳票は実に1100以上あった。1100枚ではなく、1100種類ですよ。「すべての資料に目を通したら不眠不休で4日かかる」と笑えない“社内伝説”もあったほどでした。 各種データはグラフ化され、会議資料はパワーポイント一面に9つのグラフを載せた通称「9面グラフ」が基でした。グラフが9つもあると、どこがポイントなのかひと目ではわからない。しかもそのことに疑問を持たない資料病、データ病が蔓延していました。 そのような状況を見て、就任早々に訴えたのが「ノーミ

    なぜ、カルビーは「会議不要、資料不要」なのか
  • 高校に通わなかった東大教授が語る「独学の極め方」

    古来、勉強には独学というやり方がある。しかし「意志薄弱な自分には無理」と思い込み、敬遠する人が少なくない。普通の人が、学校や先生の助けを借りずに満足のいく結果を出すことはできるのか。高校・大学時代を独学で過ごし、東大教授になった柳川氏は「心配ご無用」と太鼓判を押す。その理由とは? 「唯一の正解」を学ぶだけではダメ いまでこそ大学で学生に教える仕事をしていますが、私は中学校卒業以来、大学院に入るまで「学校」へ通ったことがありません。高校生に当たる時期には、父の仕事の関係でブラジルに住んでいたこともあり、日から取り寄せた教科書と参考書で自習していました。その後、大学入学資格検定(大検)に合格すると、今度は慶應義塾大学経済学部の通信教育課程を受講しました。 そんなわけで、東京大学大学院に入学して伊藤元重教授(現学習院大学教授)のもとへ通うようになるまで、私にとって、勉強とはほとんどが独学を意味

    高校に通わなかった東大教授が語る「独学の極め方」
    yuyaiwsk
    yuyaiwsk 2016/06/14
  • 1