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ブックマーク / mizunohosi.jugem.jp (3)

  • Blog向上委員会 | 無意味

    どこからか記事を引っ張って来て、それに感想を付けて記事にするブログの書き方。もしくは似たようなものとして読書感想文、映画の感想、ドラマなどなど。あとで読み返すために、今そのときを刻む思いで更新されるブログ。仮に読み返さなくても、少なくても私は読み返さないだろう、今を書き記していく事に意味はあるのかどうか。 無意味と題した今回の記事。このブログの存在。無意味な事は無駄なのか、いま無意味と思っていても将来、意味のあることに変わるかも知れない。ただ、そんな将来の漠然とした不確かな存在のためにブログを書きつづけるのか。 ブログ論、と世間で言われている文章を書いてきたが、ブログ論を書いて何になる、というのが今の私の現状。自分でも読み返さない、あとになって何も残らないブログ論に何の意味があるのか、そんな事を「また」思ってしまう。10代の、何でも興味を持っては手を出していたあの頃とは違って、将来、自

    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/07/28
    いつでもその時に意味のあることばかりヒョイヒョイつまみあげるだけだとそれも寂しいかも。現状では無意味でも一生無意味かどうかはわからないし。無意味をどれだけ積めるか。有意義へのたたき台に応用するか。
  • Blog向上委員会 | みんなが認める当たり前なんてない

    個人ブログに書かれる文章なんてその書き手の一主張であって、それが「常識」になったりはしない。人間はそれぞれ物事に対して「こう思う」という考えがあり、その根底にはそれぞれの価値観が存在する。その考えが強ければ強いほど反対意見は受け入れ難いし、自分の考えを一般の「常識」として捉えてしまいがちになる。 ときに断定的な書き方をし、「常識」や「当たり前」という言葉で自分の文章を包み、読み手に誤解を与えてしまう。読み手も一般のネットマナーや、例えばブログなら「トラックバック論」の共通認識を過剰に求めてしまっている気がしてならない。「マニュアル人間」に似た傾向がネットにもあるということだ。仮にそのブログで「こんなの当たり前でしょ」なんて文章を目にしても、それをあなたの「当たり前」にする必要なんてどこにも無い。ネットの文章なんてコーヒー片手に「ふーん」くらいの気持ちで読めばいい。それがブログ論なんて曖

    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/05/31
    たくさんの価値観を知って引き出しを増やすのはいいが、いちいちなびいていては身がもたない。
  • Blog向上委員会 | 人様のブログにコメントを残しにくい理由

    まず一つのブログを、一つの記事と言ってもいい、真面目に読んでいない。すべて流し読みしていることだ。考えれば何か浮かんできそうなものだが、何かが浮かんでくる前に「ふーん」と軽く口にし、満足してしまう。 さらにはコメントを書く際に、このコメントによって誤読される恐れはないだろうか、私が誤読している可能性はないだろうか、とつい考えてしまう。こんな面倒なことならばコメントなんて書かなくていいや、と消極的になってしまう。 出会いは別れの始めである。 ブログの開設はそのブログの閉鎖の始まりを意味する。生まれた瞬間に死が間違いなく訪れるように。このブログだっていつか閉鎖するときが必ず訪れる。いつかネットから失われるのだ。それが明日かもしれないし、一年後かもしれない。私という個人の人間が存在していた唯一の居場所が失われる。ブログを開設していた頃に人様のブログにどれ程のコメントを残しただろう、ど

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