2019年6月、富士通の人事本部長(当時、現CHRO=最高人事責任者)の平松浩樹は強い危機感と覚悟を胸に、社長就任を直後に控えていた時田隆仁に相対した。 時田は会社のありようを大きく変えようとしていた。デジタルトランスフォーメーション(DX)を主軸に据えて攻めに転じる考えだ。実現するにはDXに対応した人材を増やし、存分に活躍してもらわなければならない。人事制度の抜本的な変革が不可欠だった。 「我々はこの日のために準備してきた。最速でやれる。ジョブ型だって1年で導入できる」。平松はこう大見えを切った。 臥薪嘗胆の日々 人事改革は入社以来、一貫して人事畑を歩んだ平松の悲願だった。 バブル崩壊後の1993年、富士通は成果主義を導入した。やる気のある社員に報いるのが狙いだった。だが年功的な要素が残っていたこともあり、鳴り物入りで導入した成果主義は散々な評価を受けることとなった。社内は混乱し、現場は