たかだか150年だというのに横浜の歴史には謎が多い。港崎遊郭もそのひとつだ。歴史の専門家に尋ねても、「港崎」を、なぜ「みよざき」と読むのかわからない。この遊廓は、波止場や運上所と同じく、開港と同時に開業した。 初期の横浜にいたのはほとんど男性だ。道や橋や建物を造るための労働力として大量の男手が必要だった。また、入港してくる外国船の船員達も男ばかり。港に遊廓はつきものだが、横浜の場合、より切実だったのである。約1万5千坪の敷地に、大きな妓楼、長屋風の局見世、茶屋など、100軒を超す店が並んだ。遊女の数は最盛期で約1400人という。 港崎遊郭は横浜絵にもよく登場する。桜並木、花魁道中、西洋人も清国人も日本人も入り交じった宴会……。この遊廓の特徴は、外国人専用の「らしゃめん」と呼ばれる遊女達がいたことだ。これも語源がはっきりしないもののひとつである。 トラブルを恐れたのか、幕府は「ら