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ブックマーク / blog.livedoor.jp/shimuratakeyo (44)

  • 12月8日の一日遅れだが : 志村建世のブログ

    2023年12月09日11:55 カテゴリ思い出すこと 12月8日の一日遅れだが 今年も「あの日」が巡ってきた。私は小学校(当時の名称は「国民学校」)の2年生だった。目が覚めて起きたときから、家の中が妙に騒がしかった。兄が興奮した様子で「米英軍と戦闘状態に入れり…」と、ラジオのニュースを繰り返していた。資料によれば、「大営陸海軍部発表、帝国陸海軍は、八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という内容だった。これは今のベトナムやマレー半島などに上陸作戦を行ったことを指している。この時点では、ハワイへの攻撃には触れていない。ハワイは西太平洋には属していないのだ。やがてハワイのアメリカ艦隊を攻撃して戦果をあげたことが報じられて、そちらの方が大ニュースになるのだが、それは昼ごろにかけての続報だった。この日の朝は、なぜか新聞の配達がなかった。そして午後になってから、「米英に宣戦布告」

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    zakinco 2023/12/12
  • 中野サンプラザとの別れ : 志村建世のブログ

    2023年06月08日19:00 カテゴリ思い出すこと 中野サンプラザとの別れ 中野サンプラザが、この7月2日をもって閉館することになった。この施設には、長らくお世話になった。当面のおつきあいとしては、毎週水曜日に通っていた「ボウリング教室」が、私の近年の生活の大事な部分となっていた。教室と言っても堅苦しいものではなく、要するに仲間がいて、受付で指定されたレーンに行くと、顔なじみの仲間がいて、3ゲームの試合を2時間ほどかけて行なうのだった。ボールは、私は施設の備品の11ポンドを使っていたのだが、長くやっていて、マイボールを預けてある人も、けっこう多いようだった。 私のボウリング歴はかなり古くて、埼玉の草加団地に暮らしていて娘たちがまだ小学生だった頃、近くの松原の道路わきにできた会場に通ったのが最初だった。ボウリングが日に入ってきた第一次ブームの時期で、「さわやか律子さん」というプロボウラ

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    zakinco 2023/06/12
  • 桜満開の中野通り : 志村建世のブログ

    2023年04月02日12:04 カテゴリ思い出すこと 桜満開の中野通り たぶん昨日のことだが(昨日のことなのに「たぶん」をつけなければならないのは不意だが)、散歩に出て「春らんまんの中野通り」を見て来た。薬師公園のすぐ横にある歩道橋の上から眺めるのが、よい風景である。かなりの大木に育った桜の並木が、中野通りの両側に並んでいて、ほぼ桜のトンネルに近くなっている。思えばこの並木道は、私たちが草加の田舎から中野へ引っ越してきた昭和51年(1976年)当時には、まだ造成の途中だった。道路の幅さえも、中野駅近くでは、今の半分ぐらいだったと思う。今はもうなくなってしまった、いろいろな店で買い物をした記憶もある。それらが取り壊されて、往復四車線に拡張されて行ったのだった。その両側に点々と植えられた桜の苗木が、今は堂々とした大木になり、両側から枝を伸ばして、文字通りに花のトンネルを作るまでになっている

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    zakinco 2023/04/03
  • 2.26事件の記憶 : 志村建世のブログ

    2022年02月26日11:25 カテゴリ思い出すこと 2.26事件の記憶 きょうは、日政治史の上で独特の意味を持つ「2.26事件」の当日なのだが、今朝の新聞でもテレビでも、言及は全く見られなかった。 この事件は1936年(昭和11年)の2月26日に起きたもので、日政治史上空前の軍事クーデター計画に基づくものだった。皇道派と呼ばれた陸軍内部の青年将校の一部が、「天皇の親政による抜政治改革」を目指して、配下の部隊1483名を指揮し、政府の要人を襲撃・殺害した上で、東京の中枢部を占拠しようとしたのだった。動機は「政治の腐敗による堕落と、農村の疲弊を救う『昭和維新』の断行」だった。 この計画は当初は是非の判断がつかず、マスコミは単に「蹶起部隊」とのみ呼称していた。しかし部隊が期待していた天皇の理解は得られず、昭和天皇は逆に激怒して、直ちに「反乱の鎮圧」を命じた。「近衛師団が信用できな

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    zakinco 2022/02/26
  • たった一度のクリスマスプレゼント : 志村建世のブログ

    2021年12月24日12:26 カテゴリ思い出すこと たった一度のクリスマスプレゼント クリスマスになると思い出すことがある。昭和33年(1958年)のことである。が静岡の家から出奔して、私と結婚した年のことである。住居は池袋の線路わきの四畳半アパートだった。その頃の銀座は、クリスマスの夜は何となしに集まってくる人波で混雑することで知られていた。私は実家から出たものの、まだ満足できる就職も出来ておらず、手探りで暮らしている状態だった。でも東京へ来て最初のクリスマスを、には何とか楽しんで欲しかった。そこで夜の銀座へと出た。 夜の銀座は華やかだった。そしてミキモト真珠の店に入り、銀細工のバラの花の中央にパールをあしらったブローチを、のために買ったのだった。それは実家を捨てて私を頼って来てくれたのための、私は決して貧しい人生を送るつもりはないという、決意表明でもあったと思う。 店を出て

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    zakinco 2021/12/24
  • 「真珠湾攻撃総隊長の回想」を読む : 志村建世のブログ

    2021年12月04日13:54 カテゴリ読書・評論 「真珠湾攻撃総隊長の回想」を読む 例によって、何がきっかけだったかは記憶にないのだが、書店へ行ってこのを探して買ってきた。講談社の文庫ではあるが、330頁もの大冊で、初版は2007年に単行として発行されている。今年は太平洋戦争の勃発から80年目になる。いま88歳である私は、そのとき小学(当時の呼称では国民学校)の2年生だった。朝起きたら、家中が異常な興奮状態だった。長兄が「西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と、ラジオニュースの言葉を繰り返していた。ちなみに「西太平洋において」というのは、マレー半島に上陸したことを意味している。ハワイ攻撃は、それから後の続報だったのだが、その辺の事情は私の記憶の中でも、ごちゃごちゃになっている。 その話はまた後日に書くが、もと「軍国少年」だった私としては、何としても冒頭の真珠湾攻撃の場面に心

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    zakinco 2021/12/04
  • 伝えておきたい空襲の怖さ : 志村建世のブログ

    2021年08月29日14:15 カテゴリ思い出すこと 伝えておきたい空襲の怖さ 8月になると、戦時の思い出が語られることが多い。私は1945年(昭和20年)に国民学校の5年生から6年生になった。そこで連日連夜の空襲を体験したのだが、200名近くいた筈の同窓生の中で、都内で空襲を実体験した者は、他に誰もいなかったと思う。みんな集団疎開(学校単位の疎開学園)か、縁故疎開(家族単位)かの何れかで東京を離れていたからだ。文部省の方針として、国民学校の3年生以上、6年生までは、原則として東京在住を禁じられていたのだ。ただし特別の事情がある場合は例外が認められていて、出版業を営み町で有力者の一人でもあった父は、その特例を利用したのだと思う。 私の「少国民たちの戦争」は、その時期の経験を基礎にして書かれている。基礎資料にしたのは、私の日記帳だった。私の父は、青年期からずっと日記を書く習慣があったそうで

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    zakinco 2021/08/29
  • 「戦艦大和の最期」を読み直した : 志村建世のブログ

    2020年06月05日11:32 カテゴリ読書・評論 「戦艦大和の最期」を読み直した 一昨日の「雪風」の記事に関連して、「戦艦大和の最期」も読み直したくなり、書庫を探したら無事に保管されていた。そのの見返しには、著者人による達筆の献辞が記されており、その相手が私の父親になっているので、ちょっと驚いた。この初版の発行日が昭和27年(1952年)8月30日だから、その直後に贈呈を受けたと思われる。当時は、私の下の姉が、何かの縁で吉田満氏と交際していて、箱根芦ノ湖の元箱根港の近くで貸しボートに乗っていたとき、観光船と衝突しそうになって危なかったという話を聞いた記憶がある。当時の吉田氏は視力に障害があって、黒い眼鏡を掛けており、最後の一瞬に元海軍士官の直感でオールを突っ張って急ブレーキをかけ、助かったということだった。 当時の私は、大学に入ったばかりの18歳だったと思う。戦争体験というのは、

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    zakinco 2020/06/08
  • ママ去って娘を残す : 志村建世のブログ

    2019年01月21日11:13 カテゴリブログ広場 ママ去って娘を残す が亡くなって1か月と10日が過ぎようとしている。亡は、生前は家の中で「おばあちゃん」と呼ばれていた。家の中での各人の呼び方は、その家族の最年少者を基準にして決まるというのが、通則であるらしい。だから、最近の10年間以上は、は「おばあちゃん」、そして私は「おじいちゃん」と呼ばれるようになっていた。しかしそれ以前の、娘たちが小さい頃は、当然ながら「ママ」が絶対的な名前だった。ただし、私は「ひさ江さん」と呼ぶのを常にして、面と向かって話しかけるときは、別な愛称で呼びかけることにしていた。だから今も毎朝、その呼び名で祭壇に「おはよう」のあいさつをしている。 家の中からは消えたが、幸いにして二人の娘が残った。二人とも結婚したから、来は別な家族になるところだが、長女は今も同じビルの3階に、次女もすぐ近くのマンションに住

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    zakinco 2019/01/23
  • 志村建世のブログ : 妻が死にました

    2018年12月12日15:49 カテゴリ思い出すこと が死にました きょうの朝6時ごろ、が死にました。浴槽での急死でした。朝のまだ暗い時間に、「お風呂に入ってくる」と言い出し、「気をつけてね」と送り出したのが最後の会話になりました。それからどれくらいの時間がたったのか、ふと気がつくと、まだ帰っていません。浴室へ様子を見に行き、軽くノックしても返事がないのでドアを開けると、浴槽の中に、左肩を下にして沈んでいるの姿がありました。頭部がすっかり水中に没しているのを見て、「もう死んでいる」ことを理解しました。 浴槽から引き出し、洗い場のタイルの上に横たえたところで、同じフロアにいる孫に声をかけ、3階の長女に知らせるよう頼みました。それから119番に通報したのですが、非常に落ち着いて話せたことを覚えています。「水没しているので救急の事案ではないと思いますが、とりあえずお知らせしました。」とい

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    zakinco 2018/12/18
    お悔やみ申し上げます
  • 公明党は安倍政権から離脱せよ : 志村建世のブログ

    2017年10月27日10:50 カテゴリ政治・政党 公明党は安倍政権から離脱せよ (熊さん)こんどの選挙で議席を減らした公明党が、内部でぎくしゃくしてるようですよ。自民党への不満があるんだって。 (ご隠居)そりゃご愁傷様だな。もともと自民党は公明党の票が欲しくて連立を組んでるだけだよ。気で公明党を助けようなんて思ってないさ。公明党と連立なんたって、閣僚には国土交通大臣を一人入れているだけだよ。 (熊)そうなんですか、形ばかりの連立ですね。そう言えば、自民党が公明党の応援演説をしてる場面なんて、見たことがないや。 (隠)そうだろう。そもそも自公連立のルーツを探ると古い話になるが、落ち目になってた自民党が、長いこと敵対してた社会党に抱きついて政権に復帰した、村山内閣の時代というものがあったんだ。自民党と社会党が連立するという奇策で、世間をあっと驚かせたものだよ。そこから連立の相手を公明党に

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    zakinco 2017/10/27
  • 国連に対しても「唯我独尊」の安倍官邸 : 志村建世のブログ

    2017年05月31日15:12 カテゴリ政治・政党 国連に対しても「唯我独尊」の安倍官邸 msnニュースに載った産経新聞によると、 (以下引用) 萩生田光一官房副長官は31日午前の記者会見で、国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイ氏が日の「表現の自由」の現状についてまとめた対日報告書について、「日政府の立場が十分に反映されていない内容の報告書が公表されたことは、極めて残念だ」と述べた。 報告書は英語版で計19枚。メディアへの政府の直接的・間接的な圧力に対する懸念などが盛り込まれているが、萩生田氏は報告書が指摘している報道の独立性や歴史教育への介入などの論点に関しては、政府の立場についてこれまでケイ氏に丁寧に説明を重ねてきたと強調した。 萩生田氏は「政府としてはわが国の状況が正しく理解されるように、引き続き特別報告者との対話を継続していきたい」とし、国連人権理事会の場などでも説明

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    zakinco 2017/06/01
    『「丁寧に説明してきた」という言い草には、毎度のことながら何の意味もない。譲歩の気持がなく、「要するに言うことを聞け」が内容なのだから、時間をかけても討論が深まることはない』
  • 結核菌と戦うことになった日の新聞 : 志村建世のブログ

    2017年05月26日18:51 カテゴリ社会時評 結核菌と戦うことになった日の新聞 いつまでも治らないカゼと思っていた病状に、新しい展望が出てきました。主治医をお願いしている地元の内科医から、肺のレントゲン写真に疑点があるとの指摘があり、警察病院呼吸器科への紹介状を貰って転院することとしました。警察病院には、私の豊富な医療データが保存されています。一度は「非結核性マック症」との診断を受けましたが、「当面は悪さをしないようだから卒業にしておきましょう」と判定されたことを思い出しました。しかし呼吸器科は非常に混雑しているということで、病院側の判断で「総合内科」を受診することになりました。結果的に、これが正解だったように感じました。 警察病院の各種検査が充実していて、かつ効率的に運用されているのには、いつも感心させられます。痰のサンブル出し、血液検査、胸部レントゲンの正面と横位置撮影などがテキ

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    zakinco 2017/05/27
  • 安倍首相への酷評がアメリカから出た : 志村建世のブログ

    2016年11月29日15:42 カテゴリ政治・政党 安倍首相への酷評がアメリカから出た 11月27日の「花てぼ」さんのブログに、「アメリカの安倍評価 は危険人物」という記事が出ていた。花てぼさんは独特の情報源と鋭い感覚をお持ちのようで、時々驚くような特ダネをブログで紹介して下さることがある。今回の記事は、大御所のキッシンジャー博士がニューヨークで次期大統領のトランプ氏と会談して、「安倍晋三は右翼思想に取りつかれた危険人物だから早く潰さなければ……」と語ったというのだ。 http://blog.livedoor.jp/shography/archives/1062706494.html ヘンリー・キッシンジャーと言えばアメリカ政治学者で、ニクソン政権とフォード政権では国務長官を務めていた人だ。当時は「キッシンジャー外交」と言われるほど世界を駆けまわって活躍していた。その大御所の発言だから

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    zakinco 2016/11/30
    『厚生年金を減らし、負担増を押しつけておいて、防衛装備という名の武器の拡充をしようとする政権を私たちは支持しない。そのことを自分たちの言葉で言わなければならないと思う』同意
  • 市長選挙3連敗と参院選の見通し : 志村建世のブログ

    2016年01月26日11:19 カテゴリ政治・政党 市長選挙3連敗と参院選の見通し 沖縄の宜野湾市、東京の八王子市、山口の岩国市と、この24日には3つの市長選挙があって、いずれも自公推薦の現職市長が当選した。3市とも対立候補は1名のみで、安倍政権を批判するオール野党と市民団体の協力が実現した形だった。地方選挙では現職が強いという傾向があるにしても、自公政権の基盤の強さを見せつける結果になった。 とくに沖縄の宜野湾市は、普天間基地の地元だから、辺野古への新基地建設の可否を問う「政権・対・沖縄」の民意の動向が注目された。現職市長は辺野古への移転の問題には触れることを避け、基地負担の軽減だけを強調して、選挙運動も商工団体への工作などに力を入れて、街頭宣伝はあまりしなかったということだ。対する野党側は、翁長知事が先頭に立って辺野古新基地反対のムードを盛り上げ、市民の関心も高まって投票率も上がった

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    zakinco 2016/01/26
  • 小説・昭和からの遺言(10)ベルリン・オリンピック : 志村建世のブログ

    2015年05月01日12:07 カテゴリ昭和からの遺言 小説・昭和からの遺言(10)ベルリン・オリンピック 沈な日の世相を明るくしてくれたのは、同じ昭和十一年(1936)年夏のベルリン・オリンピックだった。わずか三年前に政権についたばかりのヒトラーは、天才的な手腕で経済の復興をなしとげたばかりでなく、このオリンピックを絶好の機会としてドイツ復興を世界に印象づけた。オリンピアで採火した聖火を競技場まで運ぶ聖火リレーも、この大会で初めて取り入れられた。 この大会では日の選手団も活躍した。競泳男子八百メートル自由形リレー、女子二百メートル平泳ぎ(前畑秀子)、男子二百メートル平泳ぎ(葉室鉄夫)、男子千五百メートル自由形(寺田登)の四種目で金メダルを獲得して「水泳ニッポン」の名を高め、ラジオ中継放送の「前畑ガンバレ」のアナウンサーの声は、レコードにまでなった。 さらに田島直人が三段跳びで優勝

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    zakinco 2015/05/01
  • 「亡国の集団的自衛権」を読む : 志村建世のブログ

    2015年03月01日17:18 カテゴリ読書・評論 「亡国の集団的自衛権」を読む 「亡国の集団的自衛権」(柳澤協二・集英社新書)を読みました。この2月に出たばかりの新刊です。著者は1946年生れ、防衛庁長官官房長、防衛研究所所長なども歴任した生え抜きの元防衛官僚です。自民党4代の総理大臣の下で、自衛隊海外派遣のための法整備と現場指揮を主導してきました。戦争自衛隊をもっともよく知る立場から、集団的自衛権容認の閣議決定とそれを根拠とする法整備が、百害あって一利もない愚策であることを論証しています。 まず「序章・集団的自衛権の視点」では、真の政策目標がどこにあるのかわからない、そして自衛隊を出動させることの重みが感じられないという、根的な疑問を投げかけています。「友達が殴られそうになったら守る」といった粗雑な理屈で説明できるものではありません。アメリカは世界最大の軍事強国です。自衛隊が出て

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    zakinco 2015/03/01
  • 「市場と権力〜『改革』に憑かれた経済学者の肖像」を読む : 志村建世のブログ

    2015年02月20日17:42 カテゴリ読書・評論 「市場と権力〜『改革』に憑かれた経済学者の肖像」を読む 「市場と権力」(佐々木実・講談社・単行2013年)を読みました。副題の「改革」に憑かれた経済学者とは、竹中平蔵のことです。小泉首相と組んで「構造改革」路線を推進し、郵政民営化、規制緩和、ゼロ金利政策、雇用の流動化などを進めて「日の国のかたち」を大きく変え、その影響は今に及んでいます。彼のビジョンの中心には何があったのか、そもそも竹中平蔵という人物の実体とは何であったのかを、著者は解明しようとしています。 話は生い立ちから始りますが、経済学者として一人前になるまでの経過は順調ではありませんでした。一ツ橋大学を卒業し銀行員から経済研究員を経てアメリカに渡り、大蔵省とも人脈を作るまでになってから、ようやく博士号を取得しています。経済学者として独自の分野を開拓するというよりも、人脈づく

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    zakinco 2015/02/22
    『竹中平蔵はその「取り返しのつかない災い」だった』
  • 「国民無視の民主主義」と「危険な安全保障」 : 志村建世のブログ

    2015年02月06日16:51 カテゴリ言語について 「国民無視の民主主義」と「危険な安全保障」 いま「言葉と歩く日記」(多和田葉子・岩波新書)を読みはじめている。不思議なで、目次がなくていきなり一月一日の日記からはじまり、それが四月十四日まで続くらしい。著者はドイツ在住で、日語とドイツ語小説を書き、両方の国で文学賞を得ているということだ。この人の言語感覚が、日常の暮らしを通して語られるのが、なんとも面白い。 暗い話題に疲れてネット漂流していたら、立ち読みでこのの魅力に取り付かれたという人の記事があったので取り寄せてみた。読み始めてすぐ、一月五日のところにスイスの温泉に行った話があり、「熱い湯」とか「冷たい湯」とか、いろいろな種類の湯があると説明しながら、日語では「冷たい水」と言わなければならないことに気づく。日語では温度によって「水」は「湯」という別物になるのだ。 ここで著

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    zakinco 2015/02/06
  • 戦争の悲惨が戦争を止める力にならないという逆説 : 志村建世のブログ

    2015年01月07日14:36 カテゴリ政治・政党 戦争の悲惨が戦争を止める力にならないという逆説 元記事は神奈川新聞の元日号に掲載されたもののようですが、ネット上で読んだ「過ち繰り返さぬために『火垂るの墓』高畑監督に聞く」という記事が印象的でした。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150101-00119041-kana-l14 何度見てもつらくなる戦災孤児の物語を伝えるアニメ映画の傑作ですが、これを監督自身が「反戦映画とは思っていない」と語っているのが衝撃的でした。悲劇ではあるが反戦ではない。言われてみて思い出すシーンがありました。 主人公の少年が戦災に追われて絶望的な孤児になってからも、心の支えになっていたのは、父親が乗っていると信じる重巡洋艦・摩耶(帝国海軍の新鋭で、その美しい姿が広く知られていた)の存在でした。いつか必ず帰ってきてくれると

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    zakinco 2015/01/07
    『「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくい』『為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているから』