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ブックマーク / blog.gururimichi.com (16)

  • 「すごい」「やばい」「考えさせられる」〜保留された感想の言語化 - ぐるりみち。

    先日、10代の9割が「やばい=すばらしい」という意味で使っているという調査結果が話題になっていました*1。でも、これはもはや一種の「相槌」とか「感嘆符」的な表現であり、そこに具体的な意味を求めるものでもないんじゃないかと思う。 打てば響くようにポロッと零れ落ちた、素直な「感情」であり「感想」。味が好みのべ物を口に入れれば「おいしい」、痛覚に訴えるような衝撃が身体に加われば「痛い」、興味深い・心惹かれる・笑えるコンテンツに触れれば「おもしろい」と口にするような、自らの感情の発露に過ぎないのでは……? そんな「端的な感想」や「感情の表現」について、思うことをつらつらと。 スポンサーリンク 「一言の感想」に付随して伝わる、多彩な「感情の情報」 冒頭に挙げた表現はいずれもまったく具体性のない言い回しではあるものの、それが対面コミュニケーションであるかぎり、「余計な言葉は必要ない」という指摘もあな

    「すごい」「やばい」「考えさせられる」〜保留された感想の言語化 - ぐるりみち。
    zeromoon0
    zeromoon0 2015/09/27
  • 文章の〈敬体〉と〈常体〉の使い分けについて - ぐるりみち。

    「文章のお作法」を説明したを読むと、決まって書いてある文言がある。 曰く、「わかりやすい文章を書こうとするのなら、文体は〈敬体〉か〈常体〉のいずれかに統一しよう」というもの。いわゆる「です・ます調」を選択するか、「だ・である調」を選択するか──という視点ですね。 遡れば小学校の作文教育の頃から、ずーっと言われ続けていたような記憶がある。 基的には「ですます」で書くのがルールであり、決まったルールのない感想文のような場合でも、どちらか一方に統一しなければならないと。混在していれば、赤ペンで修正されるのが当然でした。 大人になった今でも、何かの文章を書く際には、どちらかを選ぶのが基中の基です。学校の小論文や卒業論文、会社の資料作成、あとはどこかのウェブメディアを記事を執筆する際にも、やはり〈敬体〉or〈常体〉が決められている印象が強い。 だから──というわけではないのだけれど、このブロ

    文章の〈敬体〉と〈常体〉の使い分けについて - ぐるりみち。
  • ネット炎上10周年を前に考えた「炎上」を避ける7つの考え方 - ぐるりみち。

    炎上」という言葉も今やすっかり定着し、「炎上こわい」が合言葉のように囁かれたのも昔の話。昨今では「炎上こいよ!」と自ら油を被って突っ込むような人もたびたび見られます。大半は残念な結果に終わっているような気もしますが……それはまあ置いといて。 2015年はあの「きんもーっ☆」事件から10年ということもあり、そうした切り口で「炎上」を話題にしている記事が散見されます。事件が発生したのが2005年8月のコミックマーケットということで、あと半月ほどでちょうど10年。そんな節目の時期に、自分なりに「炎上」という言葉を改めて考えてみました。 「炎上」ってなんぞ? (比喩的に)インターネット上のブログなどでの失言に対し、非難や中傷の投稿が多数届くこと。また、非難が集中してそのサイトが閉鎖に追い込まれること。 (炎上(エンジョウ)とは - コトバンク) 端的に言えば、このようなもの。中には大小さまざまな

    ネット炎上10周年を前に考えた「炎上」を避ける7つの考え方 - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2015/07/19
    炎上事例の一番上が思い出せない/一番下について何かを思い出そうとすると頭痛がする……。
  • ブログは「個人の日記」じゃダメなの?未完成を楽しむ自分メディアの魅力 - ぐるりみち。

    「『個人の日記レベル』のブログは公開しちゃいけないの?」という話題が一部で賑わっていたのは、ちょうど1年前くらいのことだっただろうか。 それ以来「ブログ」という媒体がどのような性質を持っているのか、自分はそこで何をしたいのか、どうあるべきなのか──といったことを、たびたび考えてしまいます。 ブログ運営者がしばしば語りがちな、「ブログ論」の類の話。決められた共通のルールはなく、そもそも定義も曖昧で、しかも続々とさまざまな形態の「ブログ」が登場していることもあり──結局のところ、「あるべき姿」なんてものはないのだろうけれど。 「ブログ」とは、いったいなんだろう。 「ブログ」の幅が広がりすぎた 件の「個人の日記レベル」の話題について言及したときにもまとめましたが、そもそもの「ウェブログ」としての「ブログ」は、ほぼ「日記」と同義と見て間違いないと思う。単なる「日記」ではなく、「ウェブ上の」という言

    ブログは「個人の日記」じゃダメなの?未完成を楽しむ自分メディアの魅力 - ぐるりみち。
    zeromoon0
    zeromoon0 2015/02/11
    同意。でも伝えたい人には絶対伝わらない話だなぁと思いました。
  • 「巧い」文章と「美味い」文章/「文章力」を考えるための視点 - ぐるりみち。

    「文章力を身につけたい!」という声はよく耳にしますが、「そもそも『文章力』って何?」という部分については、意外と整理されていない場面が多い――そんな気がする今日この頃。 ちなみに自分はといえば、「文章力」を以下の3つに分類して考えていました。 「文章力」の3分類 ・作文力:「ことば」を組み合わせて意味を持つ文章にする ・語彙・表現力:言葉あるいは文体の多様性、幅広さ ・構成・編集力:読者目線のわかりやすさ、コンテンツ化 世に出ているハウツーなどで語られているのは、主にこのあたりの要素なんじゃないかと思ってる。多くの人が口をそろえて「読みやすい!」と話すような、共通項としての「文章力」。 けれど、よく耳にする「文章がうまくなりたい!」という欲求に直結する「文章力」は、そのような型どおりのテンプレートとは異なるんじゃないかと思う。というのも、 “うまい” 文章の基準がどうも曖昧で、具体的にど

    「巧い」文章と「美味い」文章/「文章力」を考えるための視点 - ぐるりみち。
  • 「批判」できる人に憧れるだけの人生だった - ぐるりみち。

    ある物事に対して「批判」できる人がすごいと思う。誰かの主張や言説、既存の制度や社会的枠組みに対してその是非を問うた上で、さらに自身の意見を論理的に明示できる人。 長年にわたって大きな疑問も持たず、「当たり前」や「多数派」に乗っかって生きていきた僕のような人間からすれば、それはとんでもなくすごいもの。 もちろん、何の疑問を持たず違和感も怒りも持たず流されるままに過ごしてきたわけではないと小声で主張したくはあるけれど、それでもやっぱり「批判」できる人を尊敬しています。僕は、違和感や疑問のその「次」まで考えが瞬時に及ばないので。 そんな、「批判」について思うことをば。 「それってどうなん?」という違和感や疑問、そしてツッコミ 「ん?その話って、ちょっとおかしくね?」 「いやいや、その考え方はどうかと思うぜよ」 「それは違うよ!絶対に良くないよ!」 ──などなど、違和感や疑問を抱いて「ツッコミ」を

    「批判」できる人に憧れるだけの人生だった - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/12/05
    適度にいちゃもんつけられる環境にいると自然に強くなる気がする。
  • ネットコミュニケーションで「句点」を使わないのはどうして? - ぐるりみち。

    フォーマットが変化すれば、それに合わせてコミュニケーション文化も変化していくのは当然のこと。前時代のフォーマットに慣れている人間がみたときに、多少の違和感を感じてしまうということだけの話なのでしょう。 このように考えるようになってからは、「これが彼らの文化なのだ」と思うようになり、特に気にせず受け入れるようになりました。 (最近の若い世代はメッセージに句点を打たないというお話。 | 隠居系男子) 「即レスが当たり前のスマホ世代は、句点をあまり使わないの?」という話。結論は引用部分のとおりだと思うのですが、これって最近の10代学生に限ったものでもないと思うんですよね。 メールやSNSを含めたネットコミュニケーションにおける、句点の扱いについて。自分の経験を振り返りつつ、まとめてみました。 00年代初期、チャットで遊んでいた頃の文末表現 自分がインターネットに親しむようになったのは、00年代初

    ネットコミュニケーションで「句点」を使わないのはどうして? - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/11/20
    句読点が使われないのは文章を書いている自覚がなくて思った通りにだらだらとかいているからであってそれとあと改行でくぎればいいとか考えてるんだろうけど普通に読みにくいからそういうのやめたほうがいいと思うよ
  • 中学生がJ-POPの歌詞を小説にするのはどうしてなんだぜ? - ぐるりみち。

    photo by m01229 はい……私です……(震え声) た、たぶん、書きやすいから、じゃないかな? おそらく、分かる人にしか分からない話だと思うんだけど、中学生のくらいの時期に、そんなこと、ありましたよね? ――え? ない? あ、はい。ごめんなさい。 好きな歌をイメージした創作小説 今はどうなのか分からないけれど、僕が中学生くらいのときには、そんな個人サイトが結構多くあったような記憶がある。自分の好きなアーティストの、好きな歌詞からイメージした、創作小説。ショートストーリー。 いわゆる二次創作小説、“SS”とは別物になるのかな? 好きな歌から“イメージした”というよりは、“着想を得た”の方が近いかもしれない。 自分が好きな歌詞から物語を描き出して、それを自分のオリジナルキャラクターや、時にはマンガやアニメのキャラに投影して、ひとつの小説とするような。そんな文化圏がありました。夢小説*

    中学生がJ-POPの歌詞を小説にするのはどうしてなんだぜ? - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/09/18
    次はゼロから世界を構築するんだ!
  • すべての文章は自然と「嘘」になってしまう?文章の《物語化》問題について - ぐるりみち。

    「文章力」という言葉がある。なんとなく当たり前に使っている言葉ではあるけれど、一口に「文章力」と言っても、実は複数の要素に分けられるんじゃないかしら。 自分の考えを言語化する「作文力」。それをわかりやすい言葉・伝わりやすい表現に差し替える「語彙力」や「表現力」。論理の展開、文脈などを整理し、読みやすいよう再構成する「編集力」。 そのような「文章力」を磨き、より魅力的な文章を書きたい! と思う人は、少なくないんじゃないかと思う。実際、書店に行けば、その手のハウツーはたくさん見つかりますしね。 ところがどっこい。言葉を操り、文章を時におもしろく、時に伝わりやすく編集することによって、ひとつの問題が現れてくる。それが、過剰な表現による事実との解離──文章の《物語化》と呼ばれるものです。 これは、先日読んだ『危険な文章講座』の文中で触れられていたもの。なかなかに興味深い内容だったので、今回は文章

    すべての文章は自然と「嘘」になってしまう?文章の《物語化》問題について - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/09/16
    特にネットは事実と虚構の境が曖昧だから、虚構を書いているつもりで事実だと思い込む恐れがあるのが怖い。一昔前のケータイ小説なんかがその微妙なラインに存在していた。
  • あなたが高めたい「文章力」はどんなもの? - ぐるりみち。

    ネットをぶらぶらとしていると、「瞬く間に文章力が向上する◯つの方法!」とか、「文章力を鍛えるために実践した◯個の考え方」なんて記事をよく目にするような気がします。 そこには大抵、具体的な方法論が羅列されていて、読んでいるときは、「これは為になる! よし、僕もやってみよう!」となるのだけれど。多くの場合は、それもいつの間にか忘れてしまって、また新しい「文章力向上法」を見つけて奮起することになるのです。無限ループって怖くね? 実際、それらの記事やに書かれている方法論は、実践的で効果のあるものだと思います。だけど、どうしてもそれが身につかない。なんでや。やる気はあるのに。 その理由としてひとつ、考えられるのが、自分の身につけたい「文章力」がどのようなものだか理解していない、というものではないでしょうか。漠然とした「文章力」というスキルを欲してはいるけれど、 “何を学びたいか” という具体性が伴

    あなたが高めたい「文章力」はどんなもの? - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/07/28
    現代は「名文」のお手本がないから難しいね。
  • 1989年生まれが過ごした2002年の文化圏を振り返る〜FLASH黄金時代、ピンポン - ぐるりみち。

    ドラミちゃんの「ダイナマイト」.mp4 - YouTube 先日、こちらのツイートが目に入りました。 このエントリで思い出したけど平成生まれの「あったあった!!なつかしー!」を掘り返しまくる同人誌「REPLAY」新しいやつもおもしろかったよ〜巻頭でいきなりコロコロコミックとボンボンの連載作品プレイバックレビューだよ pic.twitter.com/gJ0zdUN2yt — もぐもぐ (@mgmgnet) June 2, 2014 なにこれ超すてき! これはぜひ欲しい! と探しに行ったところ、「中学生編」である新刊の方を入手。ざっと読んで、当時を懐かしみつつ、何度も笑わせてもらいました。これはいいものだ。むちゃくちゃおもろい。 ただ、その中で感じたのが、たとえ同世代で同時代を生きていた人であっても、触れてきたカルチャーは結構異なっているんだなー、ということ。 テレビっ子じゃなかった僕は、特に

    1989年生まれが過ごした2002年の文化圏を振り返る〜FLASH黄金時代、ピンポン - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/06/22
    数年しか違わないのに、何かが断絶してる気がする。
  • 適切な一人称とは? “私”で“俺”で“ワシ”にもなる“僕”と一人称の話 - ぐるりみち。

    ども。一人称が結構な頻度でブレブレになる僕です。 突然ですが、日語の魅力──というか「わかりやすさ」のひとつとして、一人称の豊富さが挙げられるんじゃないかと思うんですよ。英語では「I(アイ)」に限定されてしまうけれど、日語では〈僕〉〈私〉〈俺〉〈自分〉あたりがメジャーで、〈儂〉〈某〉〈我〉なんてものまである。 言ってしまえば、一人称なんてひとつの記号に過ぎない。等しく〈私〉を表す言葉であって、基的には他に余計な意味は付いてこない。厳密に言えば、使い分けることによって身分差なんかを表す場合もあるようだけれど……まあそれは置いといて。 でも実際問題として、一人称ひとつ取ってみても、それが周囲に与える印象は看過できない。男性が〈俺〉と言うと気が強そうに感じるし、女性が〈僕〉と言うと中性的な印象を覚える。 また、小説漫画、アニメなどの創作作品においては、一人称の存在感が特に大きい。一人称を

    適切な一人称とは? “私”で“俺”で“ワシ”にもなる“僕”と一人称の話 - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2014/05/28
    フリーザさまでわかる日本語の一人称。
  • ネットにおける文字コミュニケーション(`・ω・´) - ぐるりみち。

    やっほぉ〜けいろーだよ〜ぉ 今日もマックでノマドごっこコーヒーおいひぃ コトバだけで感情を伝えるのって大変だよね(´・ω・`) 怒ってないのに怒ってると思われたり…そんなことないのにorz ……やべえ、なにこれ超疲れるんですケド。。。 文字コミュニケーション、主にインターネットでの交流における感情表現って、その時の流行りはもちろん、その人のネット歴なんかも関係してくると思うのですよ。 やたら〈絵文字〉を使う人や、(´・ω・`)を多用する人、「!」「♪」「w」などにまみれた人、などなど。そんな、文字コミュニケーションについて考えてみた。 〈絵文字〉を使うのは楽しいヨ 〈絵文字〉と言えば、僕にとってはまだ「スマホ」が「ケータイ」だった時代にまで遡る。画面サイズは320×240、QVGA。フリック入力なんて便利なものはなく、ものっそい早さでボタンを連打してメールを打っていた頃のお話。「逆パカ*1

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    zeromoon0 2014/05/02
    絵文字は他社変換できないから顔文字使ってたら「ネット詳しいですね」と言われたあのころ。
  • 小学6年生の「ぼく」が24歳無職の「僕」を笑顔でぶん殴ってくる - ぐるりみち。

    どうも、無職です。せっかくの週末なので、友達と一緒に映画を観に行ってきました。「無職なのに週末も何も関係ないやろ!」とか突っ込まないでください。無職だって、週末はわくわくするんです。そう、プリキュアとか。見てないけど。 れりごー!れりごー! 映画館の1st Dayに観に行きそびれていたところ、友達が「観に行こうず!」と誘ってくれたので、一緒に行って観て参りました。『アナと雪の女王』。いやはや、ひっじょーに楽しめました。 見どころは、なんといっても彼でしょう。夏に憧れる雪だるまこと、オラフ。美人の姉妹とか、イケメン王子とか、トナカイ男とかはどうでもいいんです。僕の視線は、常に彼に釘付けでした。 ちくしょう、こいつかわいいな! うちに欲しい。高麗人参を刺したい。ヒロインを救うヒーローなんて、いらなかったんや! ママー! 今年の誕生日は雪だるまが欲しいー! 冬生まれだし、行けるべ! 高麗人参はサ

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    zeromoon0 2014/04/14
    中学生の頃の日記開いたら「これ読んでる未来の自分、ねえねえ今どんな気持ち?恥ずかしい?ハハハ苦しめ」と書いてあった自分が来ましたよ。
  • 平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。

    Nightmare City どうも、平成(初期)生まれです。 相当数の日人が多かれ少なかれネットに関わっているわけで、もうメディアの「ネットで話題」という言葉は「日で話題」ぐらいの意味しかない (あなたの知らないインターネット - 脱社畜ブログ) 日常的にネットに接していると、意外と忘れがちなこと。何でもかんでも “ネットで” と一括りにするのは、たしかにおかしい。考えてみれば、昔からWebサービスはそれぞれが別個のコミュニティを持ち、住み分けがされていたように思う。2ちゃんねるの「住民」に代表されるように。 たまには、自分の知らないインターネットを見にいくのも楽しいのかもしれない。 閉鎖的なコミュニティにとどまるよりは、普段からさまざまな価値観に触れていたほうがいいように思う。特にWeb上では、似通った価値観を持った人たちが自然と同じ場所に集まりやすいから。 そんななか、ふと「僕の

    平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2013/11/29
    ネットの高度経済成長期に立ち会えてよかった。
  • これからの「マナー」の話をしよう - ぐるりみち。

    一部で話題になっていた画像。「盗撮だ!」とか「年寄りはマナーを守らない!」とかいう議論は別にして、「なんだかなー」という、違和感というか、疑問というかを持った。ちょっと考えてみまする。 スポンサーリンク 改めて「マナー」とは何か考える 「座席取り」や「携帯電話の通話」、これらは「電車では控えるべき、守るべきマナー」とされている。……はて、「マナー」とは何ぞや。 「マナー」とは、文化・社会においての作法・行儀のことであり、自分や周囲の人間が心地よく生活するための立ち振る舞い方のこと。守らなかったからといって罰則を受けるでもなし、特にペナルティがあるわけではない。周囲から、白い目を向けられることはあるだろうけれど。 マナーと一口に言っても、その社会や文化圏、場面場面によって要求される行動は変わってくる。外国に行けばその国の作法があるし、和と洋でも行儀が異なる。他にも、公共の場で守るべきマナ

    これからの「マナー」の話をしよう - ぐるりみち。
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    zeromoon0 2013/11/20
    「道徳」じゃなくて「心遣い」の特別授業なら意義はあると思う。
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