オタク趣味というものに後ろめたさは確かに存在します。それから目をそらしたくはない。でもやっぱり素晴らしさも存在するんです、だって大好きだもの。他では味わえないものをたくさん受け取って来ているもの。ただ後ろめたいから縮こまっていればいいなんてことは断じて思わない。 実際リアルに見かけるオタクを観察すると、「自虐して縮こまる」→「開き直って逆に自慢する」に移り変わっているような気がします。でも、僕はその先が見たい。見たいというか、その先に行きたい。ばかにされても揺らがず、過剰に意識もせず、好きなものをそのままで好きでいられるように。 ――「等身大のオタク」 うん、そうそう。 「オタクだから差別された!」と嘆くひとは大勢いるし、ぼくもその気持ちはわかるんだけれど、でもいつまでもそういう被害者意識に凝り固まっていてもどうしようもないと思うのです。 べつにオタクでなくとも社会に出れば何かしらの軋轢は