アマゾン様からメールが届き、「読め」という。 おまけに皮肉なことに、: 『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』を買った人にお勧めだそうだ。 でも、クリカルシンキングの題材としてはこの上ないだろう。 「思いやりの原理」を適用して読むべし。さすれば、地平の融合に至ることができるだろうか。
第二章は、「凶悪犯罪の語られ方」と題される。 89年の宮崎事件で、メディアは、「識者」や言論人たちは何を語ろうとしたか。 当時、被害者についての興味はせいぜいインターフォン越しに問いかけるとても無礼でデリカシー欠く「遺族インタビュー」くらいなもので、むしろ、メディアも言論人もむしろ、宮崎が何者か、ということばかりを追究した。そして、宮崎は時代の象徴とでも言うべき立場に立たされた。大塚英士が「宮崎勤はわたしだ」と述べたように、言論人たちは宮崎と宮崎を生み出した時代を理解しようと言葉のかぎりをつくした。加害者について考えをめぐらせ、ああでもないこうでもないと述べることは、当時、ある種のエンタテインメントとして、マスに受け入れられていたフシがある。「あっち側」の出来事として。 それが、今ではそうならない。 小林薫の内面が問題にされ、小林を生んだ時代の象徴性を担うようなことはなかった。「わ
安全神話が崩壊したといういうけれど、それって本当? 実は、「安全神話が崩壊した」神話なんじゃないの? という本。 ぼくの関心でいえば、PTAでの安全・安心対策に一石を投じるもので、そのことについては三章にくわしい。 あまりにツポにはまったので章ごとに書いていくことにする。 まずは第一章で、統計をみる。 犯罪統計の殺人も、人口動態調査の「他殺」も、長期的になだらかに低下。こと、「他人によって命を奪われる」リスクは、きわめて低い社会に我々は住んでいる。 じゃあ、なぜ、そんなに「安全神話の崩壊」したように見えるかというと、犯罪の増加(実は認知件数の増加)と、検挙率の低下、だという。 実はこれは警察の方針と密接に関係していて、99年の桶川ストーカー事件をきっかけに、これまで「認知」していなかった「軽微」な事件でも、きちんと事件として受け取るように指示した、警察庁長官の通達が効いているという
メルマガ@かかみはら 第9号 すでに行われた岐阜県での森氏の講演について、情報をいただいたので、一応、意見というか、情報提供のメールを、この高校と教育委員会にお送りしておく。 このメルマガの当該記事を書いた方も、鵜呑みにはしていない雰囲気がありありと伝わってくるのだけれど、それをもう一押し。 以下、引用文。かわりばえしませんが、またコピペします。「いわれない若者叩きに使われる」ことの不当性についても言及しました。 はじめまてして。 小説家の川端裕人と申します。 たまたま知人から、貴教育研究会にて森昭雄氏の講演行われたと知りました。 「ニセ科学」の蔓延やその教育現場への影響を憂慮する者として、注意を喚起させていただきます。 森氏のゲーム脳についての議論は、今や「ニセ科学」の代表格と目せられています。 今、書店に並んでいる「論座」のニセ科学特集では、山形浩生氏がこのような論文を
ゲームマンの府元さんからの情報。 町田市で教育委員会後援のゲーム脳講演が行われるそうです。 http://www.septjp.co.jp/~machidashi/framepage.html (音あり注意 「お知らせ」のページ) (主催:町田市私立幼稚園協会 後援:町田市教育委員会) いちおうやることはやっておこうと、ぺぺっと市長と市役所に意見をおくっておきました。おまえにそんなことやっている暇があるのかと突っ込まれそうですが。 以下、全文。 15分で書いて(以前書いたものを手直し)、誤字脱字が多いまま、慌てて送ってしまった後で反省。気づいたところは手を入れてありますが、文意はまったくこのままです。町田市役所の方、市長さん、一部、読みにくくてごめんなさい。 はじめまてして。 小説家の川端裕人と申します。 たまたま知人から、町田市私立幼稚園協会の主催、町田市教育委員会の後
まず、菊池誠さんが、NHKの「視点・論点」に出演。 Youtubeへのリンクや、「テープ起こし」はこちらで紹介されています。 うしとみしよぞ - 視点・論点「まん延するニセ科学」. 菊池さんも、f_iryo1さんもお疲れ様です。このエントリの最後のところに、この「コピペ」もさせていただきます。こういうのは流通してほしいので。 さらに、現在、書店に並んでいる『論座』2007年2月号での「蔓延するニセ科学」特集。 菊池誠、田崎晴明、左巻健男、山形浩生の四氏が寄稿しています。 そのうち、山形論文はこちらで読めます。 OPENDOORS:雑誌:論座. でも、このテーマに興味のある方は、購入をお勧め。 左巻氏の論考では、TOSSをめぐるあれこれや、教育現場におけるニセ科学の歴史的背景などが触れられていて勉強になります。単にこれまでぼくが知らなかったというのも大きいんですが。TOSSって、斉藤
カジュアルな会話の中で、言いたいことを言い合ううちに、出てきた知人の発言。 PTAの任意加入にこだわるなら、そういうところ(小学校)を探して子どもを入学させればいいじゃないか。この学校に来た以上、こういうPTAも選んで入ったってことになるのではないか。 これが、すごく暴論に聞こえる。 なぜだろう。 もちろん、ぼくが住んでいる場所で子どもに無理をさせずに通える範囲内で、そんなところがないという現実問題はあるのだけれど、そういう問題じゃないのだ。 ひとつは、とても巨大な不寛容を内蔵した発言だから。 排他的で、優しくないから。 でも、それだけでもない。 ぼくはその発言者に、なぜそれが暴論なのかうまく説明できなかった。 彼女は、正当な理由なくPTAにかかわらない人を「ずるい」と感じる感受性の持ち主。 寄って立つ感情的・論理的基盤が違う人にそれを伝えるのはとても困難。 意見の違いは違いとして
喫煙エントリでトラバ先を辿ったり、はてぶのコメントを見たりしているうちに、思ったこと。あるいは、きょうPTAの関係で、ある種の井戸端会議を二時間半ほどしてしまう事件があって、その時に思ったことでもある。 前者では、今の世の中、コミュニケーションを取れない人がどんどん増えていて、「話せば分かる」なんて絵に描いた餅ですらない、ちゃんちゃらおかしい、と思っている人が結構いるのを知ったわけで、それはそれで衝撃的だった。 後者は、今の世の中、自分だけよければいいという人が増えていて、PTAの活動の担い手がどんどん少なくなっているという話をしていて、その意見を結構な数の人が支持していてやはり驚いた(だって、ここにいるみんな、「担って」いるわけで、捨てたもんじゃないよ、とぼくは思うのだ)。 ぼくのエントリにもトラバをつけてくれた、ululunさん言うところの「個人主義ならぬ孤人主義」ってやつが、どんどん
ざて、一昨日の「駅で若者をキレさせてしまった」エントリ、びっくりするくらい反応があった。 たぶんきのう一日で1万ヒットくらいいったんじゃないかな。 で、コメント欄もそこそこついたし、はてなブックマークやら、トラックバックを通じて、こういった話題について他の人たちがどんな印象、感想、感慨などなどを抱くのか、そのスペクトルがどんなあたりにどう散らばっているのかなんとなく見えた気がする。。 こちらとしても、へえっ、ほうっ、ぐさっ、などと感じつつ興味深く読んだので、以下、概観とコメント。 支持、あるいは同情の声は、わりと多し。もっとも、コメントをするとところまでいくのにそういうバイアスがかかると思われるので、割り引いて考えた方がいいかも。 馬鹿なやつ、危険だからやめとけ、という類のコメントもちらほら。すみません。その通りだと思います。特に、直接的に心配かけてしまった人々。 正義ぶってい
きょうのこと。 京王線の某駅にて、二十代とおぼしき若者を「キレさせて」しまった。 いろいろ考えること、反省することがあったので、書きます。 まず、最初に書いておくと、ぼくはわりと「禁煙の場所での喫煙者」に、「注意を喚起」「やめてくださいとお願い」する人だ。 むかし、それを言ったら傘を突き立てられそうになった事件があったけれど、以来、話しかけのスキルも上達して、トラブルに発展することはまずない。 スタンスはあくまで「ここ禁煙ってご存じですよね」(注意の喚起)、「控えて頂けませんでしょうか」(お願い)の二点。 (追記、ここで「注意の喚起」にあまりに引っかかる人が多いみたいなので、コメント。このまま同じ言葉で言っているわけではないです。禁煙という情報を共有できていると思われる場合、「禁煙ってご存じですよね」って聞かずに済ますことは多いです。でも、実際に「知らない」人はいるのです。例えば首
まずリンクはこちら 坂東さんが、毎日新聞に寄稿した釈明。 なんか今更というかんじもすのだけれど、常々、町での捨て猫問題に関心を持っていた者として、やっぱり読んでしまう。 で、いきなり、追記。 エントリを書いたあとで、検索してみたのだけれど、あまりにもつっこみどころが分かりやすく、問題点は議論されつくされているようだ。 ぼくが書いたことも、たいして新しい観点でもないし、さらにいうと、残念ながら切れ味鋭くもない。 というわけで、あんまり深追いはしません。 ただ一点だけ、付け加えることができるなら、この「仔猫殺し騒動」で大事なことって、たぶん、坂東さんが自覚的にやってきたことを、多くの人たちがカジュアルにやりつづけていることだろうなあ(捨て猫問題のことを言っています)。坂東批判よりも、むしろ、そっちを意識化することの方が重要な気がする。 で、以下、もともとの本文です。 引用。 ……子猫を
新社屋になってから、はじめて中に入った。 報道フロアは天井も高く、そのままスタジオ仕様。中に入った瞬間に、もやもやと懐かしいような息苦しいような、総じて甘酸っぱい感覚が湧き上がってきた。日本テレビをやめて9年半、報道を出てからだと14年。これって、記憶がノスタルジーに変わるだけの時間だろうか。 番組はCSなので、それほど大がかりなものではない。報道フロアの片隅にあるごく小さなスタジオで約20分ほど、鼎談方式で話す。司会は「きょうの出来事」の後番組である「ZERO」のメーンキャスター、村尾信尚氏。コメンテイターが教育評論家の尾木直樹氏と、ぼく。 実は3人で20分というのは、かなり短い時間であって、なかなかまとめるのが難しい。 出演を承諾した時には、わりと「子育て」系の話題だと認識していたのだけれど、ここのところの世相を反映してテーマが「少年犯罪」に変わっている。 世田谷ゲーム脳講演事
Health treaty dilution: a case study of Japan's influence on the language of the WHO Framework Convention on Tobacco Control -- Assunta and Chapman 60 (9): 751 -- Journal of Epidemiology and Community Health. こういう論文がある。Journal of Epidemiology and Community Healthに掲載されたもので、たばこ枠組み条約(FCTC)が成立する際、日本政府がいかに上手に条約を「弱めた」か検証している。 著者らは、サマリー・リポート、文書での提言、会議での提出書類、スピーチなど、ぜんぶで六回行われたFCTCの準備会合での日本政府の発言をチェック(ぜんぶで9
きょうはわりと余裕があるので、基本文献紹介。ゲーム脳の話題などに興味ある方は食いついて必読のこと、です。 占星術や超心理学、創造科学といった擬似科学と、我々が科学と信じているものの間に明確な線引きはできるのか考えつつ、科学哲学がこれまでたどってきた道筋も大枠理解できるという趣向。 もっとも、「線引き問題」に明確な回答を求めるなら、失望することになる、かな。 意外に擬似科学はしぶといのですよ。 占星術は歴史的には「応用天文学」だったし、超心理学は立派な学会や査読付き専門誌を完備しているし。創造科学はたしかに「事実のつまみ食い」をするばかりでどう考えても科学的ではないけれど、とはいえ、じゃあ進化論はどうなんだと言われると、厳密な反論は、そうとう考え抜かなければできない、と。 総合的に「程度の問題」として、科学なのか擬似科学なのか、ざっくり言うことはできるというのが結論なのだけれど(逆に言う
レンタカーを借りて家族旅行するので、iPodからFMで車載チューナーに電波を飛ばす流行りの(?)デバイスを購入。 たくさん出ていて、どれがいいのか物色するにあたり、ヨドバシの販売員にいろいろ聞くのだけれどみんなよく分かっていない。 トランスミッタの周波数が自由に設定できるものと、あらかじめ数種類にプリセットされているものとがあって、どちらがいいかという話をしていて、「普通のラジオでも入りやすいところと入りにくいところがありますよね。だから、周波数は自由に変えられた方がいい」という。それって、たしかにそういう現象はあるのだろうけれど、むしろ、既存の放送との干渉が問題になるのであって、「入りやすい、入りにくい」の問題じゃないのでは? この販売員は自分では使っていないというので、じゃあ、詳しい人を、とお願いすると、「体験者」が紹介される。 「やっぱりトンネルの中みたいに、ほかの放送も入らない
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く