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リヴァイアさん、日々のわざ: 結局疫学に帰ってきた……「犯罪不安社会」2
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リヴァイアさん、日々のわざ: 結局疫学に帰ってきた……「犯罪不安社会」2
第二章は、「凶悪犯罪の語られ方」と題される。 89年の宮崎事件で、メディアは、「識者」や言論人たちは... 第二章は、「凶悪犯罪の語られ方」と題される。 89年の宮崎事件で、メディアは、「識者」や言論人たちは何を語ろうとしたか。 当時、被害者についての興味はせいぜいインターフォン越しに問いかけるとても無礼でデリカシー欠く「遺族インタビュー」くらいなもので、むしろ、メディアも言論人もむしろ、宮崎が何者か、ということばかりを追究した。そして、宮崎は時代の象徴とでも言うべき立場に立たされた。大塚英士が「宮崎勤はわたしだ」と述べたように、言論人たちは宮崎と宮崎を生み出した時代を理解しようと言葉のかぎりをつくした。加害者について考えをめぐらせ、ああでもないこうでもないと述べることは、当時、ある種のエンタテインメントとして、マスに受け入れられていたフシがある。「あっち側」の出来事として。 それが、今ではそうならない。 小林薫の内面が問題にされ、小林を生んだ時代の象徴性を担うようなことはなかった。「わ