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ブックマーク / hasenka.hatenadiary.org (14)

  • 痛いニュースと朝日新聞が瓜二つに見えてきた - hasenkaの漂流記

    痛いニュースもちっともユニークな視点がなくて付和雷同で多数の意見の表出でしかなくって最近増々朝日新聞と何ら変わらない論調を見るにつけがっくりします。結局は日人の多数派の意見の集積でしかないのだからどちらも限りなく近づくのはやむを得ない事なのでしょう。お互いを対象化した時は互いの悪口を言っても第三者的な事象には同じ目を向けます。そういう意味ではメディアが変わったくらいで論調が変わるなんて幻想なわけでそういう意味でネットは何も変化を齎さないでしょう。いや余計にネットはページランクの仕組みのように少数派の意見を抹殺するように振る舞うでしょう。ネット工作が激しいのもネットが影響され易く影響力を発揮し易いからでしょう。ネットの普及で増々日は操り易い国へとなっていくような気もします。ネット、自由、幻想ですね。これから増々厳しい世界になっていくような。

    痛いニュースと朝日新聞が瓜二つに見えてきた - hasenkaの漂流記
  • みんな分かってないよ - hasenkaの漂流記

    みんなって誰、失礼、一部の自分の記事をはてブした人達。なら宗教ってなに? 宗教と科学が別な物とハッキリ区別できるなら19世紀に神は死んだなんて誰も叫ばなかったろう。そういう考えは共通一次以降の問題が初めに在りきで答えは○か×を答えればいいという考えが習慣化しているからだ。宗教とはこの世界はどうして始まってどうなっていてどう生きればいいのかに応えてくれるものなのだ。この宇宙がどうやって始まったのか。神が開始したのか、ビッグバンで全てが始まったのか。さぁどちらを取るのだ、とした時殆どの人はやっぱりビッグバンを取るのでなかろうか。その採用理由は自分で考えたわけではなかろう。科学界が概ねその意見を採用しているからという理由にすぎない。そこでも様々な考えは分かれてビックバンはなぜ始まったの。そこに神の介在があるのではと考える人もいるかもしれない。だとしたら科学が解けない部分で神を介在させて科学の上位

    みんな分かってないよ - hasenkaの漂流記
  • 科学という一神教 - hasenkaの漂流記

    科学は科学以外の考えを排除しようとする力が働く。水伝批判も学校の授業で使われているからという危機感あっての反応もあったろうが基は非科学的な事を信じないようにという布教活動であった。血液型性格判断を激しく攻撃する傾向もある。先日の運転免許更新講習で血液型による事故率の記事も現実に実害が発生する危険を予感しての反応があったようだ。マイナスイオンも一部の人が激しく攻撃する。もちろん勝手に信じる人は信じるがいいさという賢い人間もその姿は見えづらいが存在するだろう。 しかしそういう人々も含めて科学は科学でないものを排斥しようとする。勝手に信じればいいさと思っている人も心の中ではそういう人々を軽蔑するだろう。どうして共存できないのか。もしかして科学の信望者は無意識のうちに科学を信じていないのではないかと思ってしまう。自分たちの科学が崩壊する事を恐れているから必死に守ろうとする力が働く。だって絶対的信

    科学という一神教 - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2007/07/29
    not「すべて科学的でなくてはならない」but「科学と名乗ってよいのは科学だけ」
  • まったくもう日本には飽き飽きしたよ - hasenkaの漂流記

    同じ事をいつまで繰り返しているのだろう。どこの国だって同じ事を繰り返していたら飽きるものだろう。あのソ連だってもうこれ以上の繰り返しはご免だと次の場面に移ったというのに。ここまで変化を求めない国は世界広しといえども日だけ。いやいや日ほど変化に富む国は無いと云われているのでは。それは見かけの表面の変化だけ。その内部は驚くほど変わらない。もしかして500年位変わっていないのでは。いやいやそれはなんでもオーバーだろ。 交通の取り締まりも全部テレビカメラで速度違反も一旦停止も検挙すればいい。そうすれば殆どの国民が罰金を払い国庫は満杯、財政赤字も解消である。誰が運転していようと所有者が罰せられれば気軽に人に貸す事もなくなるし同罪という事が常識になる。恣意的な取り締まりもなくなって不公平感も解消である。IT社会とはそういうものを言うのである。パトカーの追いかけも無くなって悲惨な逃走の事故もなくなる

    まったくもう日本には飽き飽きしたよ - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2007/07/11
  • ルールの中で仕事をしていては他社に勝てない - hasenkaの漂流記

    ルールを破るのではなくルールを変えてしまうという事。それがApple、ジョブズの強さだ。 まずそれをiTunesで実証してみせた。オンラインで音楽を販売するという事をレコード会社に納得させたのはジョブズが最初で誰も始めようとしなかった、というかできなかった。それがiPhoneでも起こってること。 日もルールの中で何とかしようと思っているうちは小手先の技術で終わってしまう。もちろんその小手先の技術を武器にしてシェアを拡大していったのが日の企業何だけど。それも後進国に譲るしかない。ルールそのものをそれってもう古いんじゃない、もっといい方法あるんだ、これで行こうよと提案できなければ日は沈没するしかないわけでそれができるのがジョブズというわけ。 Life is beautiful: iPhoneのおもてなし:買った瞬間から目に見えて違うおもてなし

    ルールの中で仕事をしていては他社に勝てない - hasenkaの漂流記
  • 人間は何度でもコペルニクス的転回を必要とする - hasenkaの漂流記

    あるいは社会はと言ってもいいかもしれない。常識を疑うとか言っても知らず知らずのうちに当たり前に思っていることに身の回りは囲まれている。回っているのは太陽ではなく大地の方だと言われてみれば現代人は様々な証拠から納得もするがそれ以外の部分では相変わらず強固に伝統的価値観に生きている。そういった慣習が馬鹿馬鹿しい習性や慣例や誤解を引きずらせる結果になる。それらが何度も同じ間違いを引き起こしたり新しい一歩を踏み出せない人類の足踏み状態を生んでるとしたら残念な事だ。どうしても同じところをグルグル回ってしまってそこから脱出できない。な〜んだ今まで間違いと思っていた事は正しかったのだ。あるいは正しいと思っていた事は間違いだったんだという事がいろんな場面で起これば社会はもっと流動的なる。余り起こっても困るのだろうが今の価値観の固定化はかなり酷いのではないのか。これだけの変化が起こっているのにそこから目を背

    人間は何度でもコペルニクス的転回を必要とする - hasenkaの漂流記
  • 同じ人間は同じミスを何度も繰り返す - hasenkaの漂流記

    それはその人にとってはミスではないから。周りの人が全員ミスと判断してもその人にとってはそれが自己実現したい世界だから何度でも繰り返す。それで同じような失敗になってもそれは結果論でしかない。それは失敗したからミスを問われるが成功していれば問われ無いものなのだ。ミスとは結果論でしかない。 と言える場合もある。 追記:これは人が意識していない場合もある。人も同じ間違いは二度としないとその時は思うのだが同じ判断を何度も繰り返す。どうしてかと深く思い巡らすとどうやら自分はそうしたいようなのだ。自分がそうなって欲しい世界を願うなら同じ失敗を何度も繰り返す。その世界が実現するまで。明日のジョー。

    同じ人間は同じミスを何度も繰り返す - hasenkaの漂流記
  • なぜ子供が減ったか - hasenkaの漂流記

    それは子供を育てる閾値が上がってしまったからではないのか。昔は放っといても子は育つなんて言われていて事実野放し状態で育ったなと思う自分の子供時代を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし今はそんな事許されるはずもなく歳とともに周りの子供と合わせる事が求められます。あくまで自分流に育てる、テレビゲームも一切禁止なんて親が現在でも存在するのか。それ位同化圧力が強いのが現状ではなかろうか。その同化圧力から逃れるには子供を作らないという選択しかないわけでそれで気ままに世間から幽体離脱できるわけで距離を保つ事ができ、神経すり減らさなくて済むというメリットを享受できる。世間との関わりは殆ど子供を通じての関わりだから子供がいないと浮世離れできるという事はある。多様化なんて言われているけど言われるほど選択肢は多くなくて子供がいるとそれが更に狭まってしまうようでは現状は変わらない。つまり多くの国民は現状の社会

    なぜ子供が減ったか - hasenkaの漂流記
  • 水伝は非科学的とは言えない - hasenkaの漂流記

    美しい言葉を書いて見せると水の結晶が美しくできる。この主張に対して水に視覚があるのかとか部分的に問題を分解して間違いを指摘しても全体的な実相は見えない。ここでは美しい文字を書いたと認識した人間がいてその人間がその水は美しい結晶ができるはずだと思っている事が肝要なのである。では思いが通じて水が美しい結晶ができるのかというとそう単純ではない。これはサイコロを振って1が出るように念じると1が出る確率が上がるのかという問題に通じるものがあるだろう。これは印象としてはあり得る話である。なぜなら振った人間にとって1は特別な意味を生じるからである。他の2〜6が出た時より1が出たとき特別な印象が残るだろう。そのとき自分の思いが通じたからだと思うのは人の勝手である。それを続けていると1が出た時は他の数字が出た時より印象が強く残るので例え1/6の確率でも1が強く印象に残っている。それで人が1が多く出たと思

    水伝は非科学的とは言えない - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2007/01/13
    んー、要するに、科学は非科学的だと。
  • 感覚が主で思考が従 - hasenkaの漂流記

    例えば自転車に乗れるようになる事もこれに当てはまる。いくら頭で考えても自転車に乗れるようにならない。自転車に乗れるというのは感覚的なもので思考ではどうにもならないものだ。しかし乗れるようになってからこれはどのような事が起こっているんだろうと考える事はできる。それは乗れるようになる前では決して分からない事が解明される場合もあるかもしれない。 こういった頭だけ思考だけでは分からない事がスポーツの世界ではある。最近は科学的分析がかなり進んできているが少し前まではホームランを打つときのイメージトレーニングとかはそういう感覚的なものもと理解されてきた。しかしいつまでも感覚的なものであるではスポーツも進化しないので分析的解明が進むのだろう。しかし入り方として感覚的に自然を把握して、思考で反省や分析を進めるというのが大事なのだろう。そこを感覚を無視して思考だけで進めるとうまくいかなくなってしまう事がある

    感覚が主で思考が従 - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2007/01/07
  • 誰でもイナゴになります - hasenkaの漂流記

    群衆心理や野次馬になってヤジを飛ばしたり石を投げる行為は昔から説明されていてそれがネットで起きても全然不思議はないのです。ネットは不毛というよりまさしく群衆の態度がそのままネットに現れているに過ぎない。これはブログでいくら立派な事を言っていたって始まらないものでしょう。 自分はイナゴではないと区別化しても始まらない。誰も自分がイナゴだと言う人はいないのです。人はイナゴになるのです。群衆という隠れ蓑は人を変えます。満月のオオカミのようにあなたを豹変させます。自分がイナゴになっている時はそうと意識する事もできずに気がついた時はやってしまっているのです。カッとなってやってしまった、今は反省している。と未来永劫続くもの。

    誰でもイナゴになります - hasenkaの漂流記
  • ブログとは何か? - hasenkaの漂流記

    しかしながら、やがて私は自分のブログ観覧の方法に疑いを抱くようになりました。ひとつには自身でも、ものを書くようになったせいもありましょう。自分は何のためにブログを読んでいるのだろう? ブックマークをするため――つまりは記事を最後まで読み終えるために、ブログを読んでいるようなものではないか。と、そんなふうに思ったのです。いつのまにか私は、誰もが陥りやすい誤解に陥っていました。それは、 「一の記事を最後まで読み終わらなければ、読んだ事にならない」 という考え方です。おそらく普通は国語の宿題などで、ブログ感想文を書かなければならない必要に迫られたりすることから、この「読了の義務感」が生じてくるのでしょう。だから私を含め、多くの人たちが、難解だったり、面白くなかったりしても、何とかして一の記事を最後まで読もうとします。そして途中で断念したりすると、「自分は頭が悪い」とか「自分はブログが苦手だ」

    ブログとは何か? - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2006/03/29
    まあ、いろんな読み方があるわな。
  • 科学も最終的には信じるしかない、という事では - hasenkaの漂流記

    サイコロを振って1が出る確率は1/6。これは実験をやって結果を集積すれば1/6の近似値が出る。回数を重ねれば1/6に近づくように見える。よって1/6になるだろうと予想する事が可能になる。 - これは単純な場合。もっと複雑で1億回に1回位で現れる現象があったとする。でも確信が持てず実験の途中で2億回に1回の頻度があった。このテストを含めなければほぼ1億回に1回の法則が当てはまるというのに、何てこった! 悪魔の誘惑が忍び込むチャンスです。今回のケースはエラーがあったに違いない。実験環境に予期せぬ要因が忍び込んだに違いない。その思いは確信に変わる。その実験データ破棄して1億回に1回という方程式をこしらえて論文を発表する。 それは学会に認められ一躍脚光を浴びる。もう言い出せない、テスト結果を一部破棄したなんて。信じるしかない1億回に1回が正しいんだと。 - この場合ももっと実験を重ねれば自ずと答え

    科学も最終的には信じるしかない、という事では - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2006/03/11
    最終的に、自分の存在ですら無条件に信じ込まなければならないのです…。
  • 夢を持たなくてはならないのか - hasenkaの漂流記

    自己実現しなくてはならないのか。少なくても昔の人はそんな事考えなかったわけで、それどころかその日その日を暮らしていくだけでした。立身出世とかも以外と最近の風潮で江戸時代なんか武士でも家の出所で決まってしまう出世コースですから最初から努力なんか無かったかもしれません。最近の夢は将来はとすぐ求める風潮はまぁ聞く方もそんな真剣ではないのですが。どんな社会が到来するか分からないのに夢も将来も計画する事は不可能。そういう仕事がこの先存在するかどうかも分からない。別にそれが不幸というわけでなく、どうなるか分からないというのは展開の分からないストーリーのようにドキドキものですがそれを楽しめなくなってしまっているのは精神が硬直していると思う。予め決まった社会もコースも無いのが当然でそういうのができてる社会は停滞しているのでいずれ崩壊は必然。どうなるかわからないは不安になることでなくて楽しい事なんだというの

    夢を持たなくてはならないのか - hasenkaの漂流記
    zonia
    zonia 2006/03/02
    楽しく生きようよ。
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