球陽堂を「沖縄・国際通り物語—「奇跡」と呼ばれた一マイル/大浜 聡」(以下国際通り物語)を参考にしてまとめてみます。 国際ショッピングセンター建設以前の球陽堂はこんな感じで、それ以前は松尾の現山城時計店向いにあったようです。 創業者の山田親度さんは1901(明治34)年に松下町で生まれ、師範学校を出て長らく北部で教職に就き、戦時中は喜如嘉国民学校校長です。 本好きの山田はたくさんの本を買っては大切に保存していた。北部で教職についていたおかげで山田は生き長らえた。しかも、戦後、山田が書店を経営する元になった多くの蔵書は、国民学校の校長舎宅に一冊も失われずに残っていたのである。 国際通り物語 p78(抜粋と編集) この本がのちの元手になります。 終戦後はCP(シビリアンポリス)になるが、元教職ということで1946年に田井等高等学校辺土名分校(英語教師)、翌年奥間初等学校校長に就任しますが194