タグ

三國志に関するzusannnu4のブックマーク (54)

  • 趙雲子龍の強さの秘密!歴史を動かしたその力とは?

    趙雲子龍ちょううんしりゅう、名前も字も並べてみるととてもカッコいい趙雲(ちょううん)。某ゲームでも趙雲(ちょううん)は蜀(しょく)のメインキャラクターと言った立ち位置で、強さもさることながら性格も清廉でほれぼれしちゃいますね。 しかし三国志演義から三国志に入ってきたりすると、正史の趙雲の描写の少なさに驚いてしまうことも……。今回はそんな趙雲の強さとは?に注目して見ました。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム

    趙雲子龍の強さの秘密!歴史を動かしたその力とは?
  • 曹操が天才と呼ばれる理由!魏書武帝記から探る天才の源泉

    曹操そうそうが天才と呼ばれる訳!彼の「天才」はここだ!かの人は「治世ちせいの能臣のうしん、乱世らんせいの奸雄かんゆう」と呼ばれた。そして後の世で人々はこう呼び始める、天才、と。 曹操そうそうは天才だ、三国志さんごくしにおける当代きっての天才だ……ではどんな所が天才なのか? ふとそう思ったことはございませんか。天才天才と軽々しく呼んでいるだけではないか……そんな風に思われないように。ここらで再度、曹操そうそうのどの辺りが天才なのか、それをお話ししたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやF

    曹操が天才と呼ばれる理由!魏書武帝記から探る天才の源泉
  • 物資不足はここまで来た帝国陸軍の断末魔【国民簡易小銃】

    大東亜戦争末期、連合国の日土上陸に備えて帝国陸軍は国土防衛の任務を国民に課すと共に製造を簡略化した国民簡易小銃を制作していました。町工場でも製作できるようにというコンセプトでつくられた国民簡易小銃とは、どんな銃だったのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC

    物資不足はここまで来た帝国陸軍の断末魔【国民簡易小銃】
  • 400年続いた漢王朝はどんな風に始まりどうやって[三国志]につながるの?

    三国志で漢王朝(かんおうちょう)というと「既に終わった時代」「劉備(りゅうび)が皇帝になった時にそんな話をしていたような」くらいしか印象に残っていない気がする漢王朝。 また三国志が始まった時代はほぼ後漢(ごかん)であり、漢王朝は後年から三国志を見ていることも起因して、終わりの時代を迎えています。 しかしこの漢王朝、漢時代は三国志の英雄の一人・劉備のルーツ(ということになっている)とも言えるので、たまにはこの時代を振り返ってみよう……という訳で、前漢(ぜんかん)、後漢を合わせて解説して見たいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも

    400年続いた漢王朝はどんな風に始まりどうやって[三国志]につながるの?
  • 世界一長い曲と世界一短い曲は?それぞれなに?

    音楽の長さは変幻自在ですが、商業ベースに限ってみると、大体、一曲3分~5分の間が多いようです。理由は、これよりも長いとラジオで曲紹介されにくく、また、人間が好みではない曲を聴ける忍耐力が3分程度であるからだそう…では、世界一長い曲と、世界一短い曲は、どの程度の長さなのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑

    世界一長い曲と世界一短い曲は?それぞれなに?
  • キングダムの[秦と次の漢王朝の大きな違いはどこ]にある?ポイントはワンマンか合議制か?

    広大な中国に成立した王朝である秦(しん)と漢(かん)は「秦漢帝国(しんかんていこく)」という具合に一括りにされることが多いです。時代が繋がっているというのが大きな理由の1つとして挙げられますが、漢と秦に共通点が多いことも両国が併称される所以でしょう。 しかし、共通点はたくさんあれど何もかもが同じだったり似ていたりしていたわけはないはずです。今回は秦と漢の違いについて徹底分析していきたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディ

    キングダムの[秦と次の漢王朝の大きな違いはどこ]にある?ポイントはワンマンか合議制か?
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/02/09
    #キングダム
  • 蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?

    劉備玄徳の子であり、蜀の二代目の皇帝でもある劉禅(りゅうぜん)は、 暗君であったとされています。 その幼名の阿斗(あと)を取って「扶不起的阿斗」 (救いようのない阿斗)ということわざが残されているほどです。 しかし、当に劉禅はそこまで貶められなければならないほどの暗君だったのでしょうか? 諸葛孔明亡き後、彼の置かれた境遇を見直してみると別の一面が見えてきます。 関連記事:君たちはどう生きるか?アホ劉禅に学ぶ聡明な生き方 関連記事: 蜀滅亡後、安楽公として余生を楽しんだ劉禅の最期と心情 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組ん

    蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?
  • 周瑜の死因と三国志の英雄たちの死因を調べたら判明したことを紹介

    三国志の時代には曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)、諸葛孔明(しょかつこうめい)など数えればきりがないほど魅力的で歴史に名を刻んだ人物がいっぱい登場します。 赤壁の戦い(せきへきのたたかい)で曹操軍を撃破した孫呉の名将・周瑜(しゅうゆ)も歴史に名前を刻んだ一人ですが、上記で紹介した魅力ある人物や周瑜の死因はいったいなんのでしょうか。今回は三国志に登場する人物の死因と周瑜の死因を調べてみましたので紹介したいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、

    周瑜の死因と三国志の英雄たちの死因を調べたら判明したことを紹介
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/02/06
    #周瑜 #三国志
  • 張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]

    ゲーム「真・三国無双」で登場する先端がうねうねした武器。それが蛇矛(だぼう )。 特徴的な形から張飛(ちょうひ)の武器というイメージを持つ読者もいるでしょう。 ここでは、蛇矛の使い手と蛇矛の威力について紹介していきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並

    張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]
  • 姜維が蜀に降伏したのは諸葛孔明の策略によるものではなく、上司の[不信感]によるものだった

    姜維(きょうい)は蜀(221年~263年)の将軍です。最初は魏(220年~265年)の将軍でしたが、諸葛亮(しょかつりょう)の第1次北伐で降伏して、以降は蜀の将軍として従軍します。 さて、小説『三国志演義』で諸葛亮は姜維の母親を人質にして、彼に降伏をせまります。 やっていることは、徐庶(じょしょ)の母親を人質にとった曹操(そうそう)と一緒です・・・・・・それでは史実はどうだったのでしょうか? 今回は正史『三国志』の姜維の降伏について解説していきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまに

    姜維が蜀に降伏したのは諸葛孔明の策略によるものではなく、上司の[不信感]によるものだった
  • 董卓軍に呂布以上の名将がいた!曹操を破った百戦錬磨の漢の将軍徐栄とは?[真実の三国志]

    董卓(とうたく)の軍勢で最強の武将は誰だと思いますか? それはもちろん呂布(りょふ)と答える人が多いでしょうが、実はそうではないのです。 個人の武勇としては呂布が最強でしょうが、董卓軍には、孫堅(そんけん)と 曹操(そうそう)を撃破した名将が存在していました。 その名を徐栄(じょえい)と言います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任

    董卓軍に呂布以上の名将がいた!曹操を破った百戦錬磨の漢の将軍徐栄とは?[真実の三国志]
  • 夏侯惇と夏侯淵、2人の夏侯氏のエピソードを紹介![ネタ三国志]

    夏侯惇(かこうとん)と夏侯淵(かこうえん)は魏(ぎ)(220年~265年)の将軍です。曹操(そうそう)が挙兵した当初から付き従った人物であり、魏の基礎を築き上げました。 今回は正史『三国志』から彼らの逸話について紹介いたします。 ※記事中の歴史上の人物のセリフは、現代の人に分かりやすく翻訳しています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作

    夏侯惇と夏侯淵、2人の夏侯氏のエピソードを紹介![ネタ三国志]
  • 長坂の戦いで劉備が逃げ遅れたのは劉琮が[曹操襲来の情報]を劉備に教えなかったせいだった!

    建安13年(208年)に荊州の長官の劉表(りゅうひょう)が亡くなりました。前年に袁尚(えんしょう)を滅ぼした曹操(そうそう)は急いで南下して征服します。 これに驚いたのは劉表の客将だった劉備。慌てて退却開始です。曹操も負けじと劉備を追って長坂で戦うことになります。さて、今回は正史『三国志』の長坂の戦いについて解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍

    長坂の戦いで劉備が逃げ遅れたのは劉琮が[曹操襲来の情報]を劉備に教えなかったせいだった!
  • 陳平と賈詡の共通点はアドリブ力?ノリと機転で[乱世]を生き抜いた二人はとても真似できない(笑)

    陳平(ちんぺい)と賈詡(かく)って、なんだかタイプが似ていると思いませんか? どちらも天才としか言いようのないほどの計略家でありながら、どこか人間としてはいかがわしさがつきまとうあたり。才能のある人間としては尊敬できるものの、心からのお付き合いはできない相手のように思えます。 「この二人の生き方を真似たい!」という人がいるかどうかはわかりませんが、少なくとも乱世を彩ったキャラクターということでは、彼らには独特の魅力があることは確か。 そこで今回は彼らのキャラクターの共通点を、双方の逸話から読み解いてみたいと思います! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を

    陳平と賈詡の共通点はアドリブ力?ノリと機転で[乱世]を生き抜いた二人はとても真似できない(笑)
  • 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」は三国志の呂蒙が語源?

    有名な慣用句に「男子、三日会あわざれば刮目(かつもく)して見よ」というものがあります。実はこの慣用句、三国志で有名な武将「呂蒙(りょもう)」のエピソードが語源だという事をご存知でしょうか。 今でもたまに使われるこの慣用句の意味と、その成り立ちを今回の記事では解説していきます! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄

    「男子、三日会わざれば刮目して見よ」は三国志の呂蒙が語源?
  • 弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介

    三国志において、弓の名手として知られる武将は何人か登場します。代表的なのは呂布(りょふ)や黄忠(こうちゅう)ですが、実は知られざる弓の名手として有名なのが呉の太史慈(たいしじ)です。 今回はそんな太史慈の弓に関するエピソードをご紹介したいと思います。なお、今回の記事の内容は基的に正史三国志に基づいています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテ

    弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/01/26
    “弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介 ”
  • [卑弥呼の死の真相]殺害か、戦死か、老衰か、自殺か?

    今回も前回に続き、卑弥呼(ヒミコ)の死の謎について迫っていきます。 予告通り、作家・松清張氏の「卑弥呼殺害説」への異論として、 保坂俊三氏の意見を参考にしながら、書いていきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後

    [卑弥呼の死の真相]殺害か、戦死か、老衰か、自殺か?
  • 董卓がデブになったのは偉い人は肉体労働をしないという儒教の[教え]のせいだった!

    董卓が呂布によって殺された際、 その肥え太った身体からはおびただしい量の脂が流れ出したと伝えられています。 そして、その様を見て面白がった兵が董卓のへそに灯心を挿して火をともしたところ、 その火は数日間揺れ続けたのだとか…。 そんなおデブ伝説を持つ董卓ですが、彼は元々おデブさんだったわけではありません。 ではなぜ、彼はおデブさんになってしまったのか? 董卓のおデブさんになるまでの軌跡を追ってみましょう。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やweb

    董卓がデブになったのは偉い人は肉体労働をしないという儒教の[教え]のせいだった!
  • 取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!

    ビジネスや人生の指針にもなると世界中で絶賛される孫子兵法(そんしへいほう)。「孫子」を活用する事でビジネスの勝者になれるみたいな事は結構、多くのビジネスマンに共有されているんじゃないでしょうか? 現在の孫子の兵法は、乱世の奸雄曹操(そうそう)が注釈(ちゅうしゃく)をつけて整理したものなんですが読んでいると、仮に孫子兵法を丸々実践してしまうと 「これ、かなりブラック企業に酷似(こくじ)してね?」なんて思ってしまったので、書いてみます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリ

    取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!
  • 諸葛恪を殺した孫峻は呉で一番の小心者?殺したはずの諸葛誕に夢の中で殴られて[死ぬ]ってホント?

    孫峻は呉の王族に連なる人物であり、諸葛恪を誅殺して後、独裁体制を敷き従弟の孫綝と併せ西暦253年から259年まで6年間呉で権力を握りました。 しかし、その政治は誅殺した諸葛恪同様、それ以上の独裁政治になり、暗殺計画が続いて健康を損ない、ついには、死んだ諸葛恪に殴られるという不思議な夢を見て以来、衰弱が激しくなり死んでしまうのでした。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務

    諸葛恪を殺した孫峻は呉で一番の小心者?殺したはずの諸葛誕に夢の中で殴られて[死ぬ]ってホント?