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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (18)

  • 現代日本の社会主義 - 狂童日報

    最近民主党の分配政策について、自民党やエコノミストなどから「社会主義」的だという批判の声をしばしば聞く。それ自体は単なるレッテル張りでしかないし、また増税策を回避しているからそう言われても仕方のないところがあるが、そこで気になるのは、しばしば「社会主義体制は働かなくてもえるので経済が停滞してしまった」と理解されていることである。 私のこれまでの常識的な理解はそうではなくて、社会主義体制では「いくら頑張って働いてもそれが評価されることがなかった」から、働くことへの積極的な動機がなくなり、経済が停滞してしまったのである。一党独裁の社会主義体制では売り上げを伸ばすために頑張って働くことは、下手したら「資家の手先」としてブラックリストに載りかねなかった。 今の日で社会主義的なものを見出すとすれば、いくら頑張って働いても評価されることのない「ワーキングプア」や低所得正社員層だろう。彼らの働く風

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    zyugem 2009/11/03
  • 不幸の平等化 - 狂童日報

    民主党の目玉政策のひとつである児童手当ての世論をネット上で見てみたら、相変わらずというより、想像以上にひどい。 2009年9月22日 16時11分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う4,288点私はそう思わない155点生活保護+母子加算+子供手当て これがどれだけの額になると思ってるんですか。 働く気が無くなります。 働いたら負けの国にしないでください。 2009年9月22日 16時15分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う3,481点私はそう思わない27点 働いても働いても貧乏という人にこそ、 税金は使われるべきであり、 仕事したくないから生活保護という人を、 増やしてはいけません。 2009年9月22日 16時14分goo*****さん削除/違反報告私もそう思う2,338点私はそう思わない138点 マイナスになる家庭もある中ごり押しで進めようとする政策 まずは 見直

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    zyugem 2009/09/24
  • ■ - 狂童日報

    しかし、数人の方が述べていますが、所得に応じて入学金をスライドさせたり、授業料をスライドさせるといった発想はなぜ生まれてくるのでしょうか? そもそも、自らの努力であれ、親が残した物であれ高い所得を得ている人間からたくさんのお金を取ろうという根性が納得いきません。既に所得税では累進課税がしかれており、年間400万円しか稼がない人と年間1億稼ぐ人では100倍以上納める税金が違います(もちろんサラリーでうけとった場合です)。類い希な才能をもっていたり、人がやらないような努力をして得たお金に対して国が必要以上に持っていく現行の制度こそ不平等な気がしてなりません(それを解消する平等な税システムが消費税だと思っています)。年間400万円しか稼げなくても死ぬほど努力している……なんて声も聞こえてきそうですが、そんなことは資主義の国では通用しないのだと思います。 http://mainichi.jp/s

    ■ - 狂童日報
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    zyugem 2009/05/19
  • 新自由主義はなぜ支持されたのか - 狂童日報

    特に「派遣切り」の問題以降、2000年代の「小泉改革」が「新自由主義」「市場原理主義」などとして厳しく批判されるようになっているが(その一方でその中心メンバーたちの社会的地位は基的に安泰のままなのだが)、そこまで「間違った」政策が大きく批判されてこなかったのは、いったいどうしてなのだろうか。そろそろ、そもそもこうした「アメリカモデル」の「規制緩和」政策がなぜ支持されてしまったかの、政治的な流れを振り返っておく必要もあるだろう。結論的に言えば、それは「新自由主義」の勢力だけが強まったというのではなく、その周辺に多種多様なシンパサイザーが存在していたからである。どういう勢力かを、ノートして簡単にまとめておく。 (1)軍事主義派 外交・軍事を中心に政治を考える人たち。だから「親米派」以外の選択肢が事実上ない。経済については基的に無知・無関心で、結果的にアメリカ的な新自由主義を支持。とくに20

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    zyugem 2009/01/16
  • yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報

    ネット上のヘイトスピーチというと「2ちゃんねる」が有名だが、あきらかにそれ以上にひどいところがある。それはyahoo!ニュースのコメント欄だ。この欄のコメントの偏見の凄まじさにはときどきびっくりさせられる。 例えば先日の総務省の坂政務官の「派遣村」に対する「働く気があるのか」という、失言というよりも「暴言」としか言いようのない発言について、そのコメントが途方もなくひどい。「派遣村に集まったヤツだけ見てれば、あの発言は仕方ないだろうな」とか、「この派遣村だって露骨に政権与党批判のために集まってるじゃねーか」とか、「一般人はみんな必死で仕事してるんです。公園でタバコすってたむろして,9条がどうしたの旗掲げてるやつら,まさに”まじめに働こうとしていない”やつらばかり」などといったものだ。国籍法改正のときもとんでもないひどさだったが、ネット上とはいえ、ここまで露骨なヘイトスピーチは日ではありえ

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    zyugem 2009/01/06
  • 筑紫哲也と新自由主義 - 狂童日報

    冷戦崩壊以降の政治的な対抗軸を、市場競争重視の「新自由主義」と、再配分重視の「社民主義」(第三の道)の対立として総括できるとすると、日における顕著な特徴は両者が90年代から2000年代にかけて、ほとんど共闘関係にあったことにある。 その象徴が、先日亡くなった筑紫哲也である。筑紫哲也は普通に考えれば日の社民主義勢力を代表する人物であるが、靖国問題を除く「小泉改革」には(少なくとも郵政解散選挙までは)概ね肯定的であったし、竹中平蔵が入閣する際にはかなり熱い期待を寄せていた。田原総一朗などは筑紫などよりもさらにもっと明快で、今でもなお懸命に声を張り上げて「小泉改革」を全面的に支持している。 社民主義の政治思想には当然ながら、市場原理の負の側面に対する懐疑や警鐘が伴っているはずである。しかし日では、奇妙にも社民主義者のジャーナリスト・学者が、「民間でできることは民間に」という構造改革路線をこ

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    zyugem 2008/11/11
  • チベット問題と日本の言論 - 狂童日報

    世界では「北京オリンピックをボイコットしろ」という声が、普段はごく「リベラル」と思われる、著名な映画俳優や文化人から多く出ている。日ではどうかと言うと、これが不思議なほどいないのである。今日の朝日新聞の社説なんかが全く典型的だが、中国のチベット政策を型どおりに批判しつつ、「五輪は政治とは切り離せないが、成功させるためには、政治に引きずり回されないようにする知恵が必要だ」という、「だからその『知恵』が何なのかを知りたいんだよ!」と突っ込まざるを得ないような無内容な論評が全く多い。 中国政府がチベットで何をやってきたのかをか知らぬ者は誰もいないし、これからも改善に向かう兆しがあまりないことは、今回の事件ではっきりしてしまった。だから来なら、「政府首脳が北京五輪の開会式に出席すべきではない」という声が(私もこの意見だが)、政治家やマスメディアといった公的な言論において、一定数の力を持っていな

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  • やはり中国問題は存在しない - 狂童日報

    前回の続きというか繰り返しかも。 今回の冷凍餃子問題は、「貧困層を多く抱える国が急速に『世界の工場』になり、大量の品や製品が世界中に出回るようになった」という以上の意味は基的にないと思う。「中国品は危険」ということは必ずしも否定しないが、そこから出てくる対応が中国産は買わないとか、日人同士で中国の悪口を言い合うというのは最悪である。それは仲間内で悪口を言い合いながら、「悪いのはあっちだから」として、問題の解決をほったらかしにするという態度を正当化することにつながりやすい。 農薬が中国で混入したか日で混入したかで、中国でも日でも問題になっているようだけど(さすがに中国だとは思うが)、当のところはどっちでもいいはずである。中国の地方農村を含めた発展途上国で、品の衛生管理(さらには衛生管理の教育)が劣悪であることに何の変わりもない。日の企業や厚生省が管理の徹底を図ったところで

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    zyugem 2008/02/29
  • 既得権 - 狂童日報

    「既得権」という言葉がニュースを賑わすようになったのは、90年代後半くらいだろうか。「改革」を連呼する政治家や経済学者が、敵対的な政治家や成果の悪い官僚組織や企業経営者を「既得権にしがみついている」という名の下に一刀両断し、政治家は誰もかも「しがらみのなさ」を賢明にアピールしていった。最近「格差社会」が問題にされるようにつれて、流動性の高い市場競争社会に対する不信や不安が広がっているが、「既得権に胡坐をかいて・・・・」という批判は一向にやまないというか、むしろ強くなっている。こないだの佐世保の銃乱射事件でも、「警察官が保身に走って対応を怠った」という解説が真面目に行なわれていたのには、さすがに唖然とした。 少しでも社会について真面目に物事を考えたことにある人なら、「既得権」批判が何の意味もないことはすぐわかるはずである。最貧困層以外のほぼ全ての人が、必然的に「既得権を守る人」に当てはまるだ

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    zyugem 2007/12/20
  • 石原都知事の詭弁 - 狂童日報

    地方の東京の格差の話題ばかりで恐縮だが、石原慎太郎都知事が聞き捨てならないことを言っていたので。 http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/tomin.htm 石原都知事は「東京都は昼間人口370万人のためにインフラを整備・維持している」と力を込めているが、「昼間人口370万人」というのは直感的にというか、いくら考えても「やはり東京ばかりが得している」ということの証拠にはなっても、その逆には決してならないように思われる。この「370万人」の人たちは当然ながら、単に東京で仕事や雑務だけをしているわけはなく、その行き帰りに東京で事もすれば買い物、娯楽をしているはずであり、電車やバスの交通機関を利用することも、東京にとってプラスでこそあれマイナスではない。 そもそも、「370万人」の医療や福祉の負担に目を転じれば、そのほとんどは東京ではなく彼らが居住している近隣の県

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    zyugem 2007/12/10
  • 首都圏と地方の格差 - 狂童日報

    『アエラ』を読んでいたら姜尚中が先の参院選の自民党大敗を、地方が切り捨てられることに対する「草の根保守の反乱」と要約していた。 これは自民党中枢の人たちもそう思っているようなのだが、おそらく正しくないと思う。そうであれば地方の衰退などまるで無関心・無頓着だった小泉政権のときに、とくに郵政解散選挙の時にとっくに「反乱」してなければおかしいだろう。 だいたい政治学者である姜尚中がいちばんわかっているはずだが、「草の根保守」というのは自民党以外に投票することは基的にない。「草の根保守」は選挙の公約やテレビやインターネットで政治を判断しているのではなく、「知り合いだから」「お世話になっているから」という理由で投票しているのである。地域の町内会長のような人たちを自民党系の市議会議員がお世話して、その市議会議員を国会議員がお世話する・・・というパターンで自民党は「草の根保守」を緩やかに動員してきた。

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    zyugem 2007/09/03
  • 自己責任論 - 狂童日報

    「自己責任論」再浮上 韓国政府、拉致被害者らに費用請求検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070831-00000904-san-int かつて日でも散々話題になったが、これは一体全体「自己責任」なのか。実は日では、あまり議論が詰められることなく終わってしまったのではないかと思うが、また起こる可能性の十分にある問題である。 私の結論は「まったく自己責任ではない」、つまり国が被害者に医療費や輸送費などを請求することなど断じてあってはならないというものである。理由は単純で、日の国籍をもつ人々の生命財産を無条件に保護するということは、日という国家の基的な義務であるからである。 たぶん「自己責任」論というのは、「現地の危険さに対する十分な備えもせずに渡航した」ことへの甘さに対する叱責なのであって、それ自体はその通りかもしれない。ただ、救出にかかっ

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    zyugem 2007/09/02
  • 労働と年金問題 - 狂童日報

    ・NHK「日の、これから」 先日NHKで労働・雇用問題に関する討論番組があった。会場の意見が結構半々なのに、視聴者の投票では圧倒的に差がついたのが印象的だった。いろいろややこしいことを言っているが、要するに結論は二つだ。 (1)フリーターを含む非正規雇用の労働者も正社員と同じように「社会人」として処遇すべき (2)企業の従業員を大幅に増やすべき (1)については、「同一労働同一賃金」という言葉で括られることが多いが、私はこのスローガンにあまり賛成していない。その人の年齢や立場によって給料が異なることは、私には非常に自然なように思われる。「同一労働同一賃金」を言い立ている人は、要するにその人が働いている局面だけしか見ていない。この原則を字義通りに解釈すると、20年間同じ会社で懸命に働き続けても、仕事の内容が同じなら新入社員と給料が同じであるべきだとということになるが、やはりそれはおかしい。

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    zyugem 2007/06/25
  • NHKスペシャル - 狂童日報

    NHKスペシャルの「高速ツアーバス」のドキュメンタリーを観たが、さすがNHKのドキュメンタリは―すごい。公共放送の必要性を強く感じるのは、こうした手間隙がかかる番組は民放ではとてもつくれない(実際作っていないどころか、議員や官僚(ときどき「だらしない若者」)など「叩きやすいやつ」ばかり批判して正義ぶっている!)からである。 あそこに登場した、下請けのバス会社をピンはねしているとしかいいようのない旅行会社の社長はたしかに「ひどい」の一言だが、むしろ問題なのはだれが見ても「ひどい」話が、当事者の感覚として全くなくなっていて、「一生懸命いいことをしている」と当に信じていることである。そら恐ろしいのは、テキパキと饒舌に「コスト削減と安全管理は両立する」という例の社長の語り口が全く理屈だけが宙に浮いていて、人間を相手に話している感じがないことである。思い起こしてみると、キャラが強かったとは言え逮捕

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    zyugem 2007/05/01
    高速ツアーバスドキュメント
  • 集団主義的な自己責任 - 狂童日報

    長らく「日人は集団主義」だと言われてきた。会社も学校も「個人化」しているといわれる現在、これが変わったのだろうか?繰り返すように、日の労働・経済政策に大きな発言力を持っている某社長は「過労死は自己管理の問題」とまで言い放っている。この発言は大きく非難されているが、今でもこの社長の社会的地位に全く影響が及んでいないように、非難の力は圧倒的に弱い。そう考えると、もう日的集団主義は死んでしまったのだろうか。 しかし、私のみるところ全く変わっていない。某社長など財界人の発言を聞いていると、いろいろ言っているが要するに「甘えて楽するんじゃない。もっと競争社会の中で苦労しろ」という以上のことを言っていないような気がする。つまり、「苦労して働いていないやつがいるなんてけしからん」というわけである。これが個人主義の社会だったら、人がどう働くかは個人の問題で良いも悪いもない。ヨーロッパで失業率が高い理

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    zyugem 2007/02/28
  • ホワイトカラー・エグゼンプション - 狂童日報

    ホワイトカラー・エグゼンプションがここのところ大きな批判の的になっている。ここまで露骨な「残業代ゼロ法案」には、さすがに与党内にも慎重論が出ている。 ただ導入する側の理屈にも少し真面目に付き合って見る必要はある。その理屈とは、労働の価値を時間ではかることをやめることで、効率のよい働き方が促進され、結果的に生産効率が上がるとともに、労働時間が減少されるというものである。少なくとも、時間に換算できない「クリエイティブ」な仕事が増え、成果主義が広がっている現状に対応できるというのである。「ホワイトカラー・エグゼンプションは少子化対策になる」という、失笑ものの安倍首相のコメントも、この論理に忠実に従ったものであると言えるだろう。 もちろんこの論理は建前でしかないと批判することはできるし、またその通りなのだろうが、私が考えるに問題はそれ以前の「効率のよい働き方が促進される」というところにある。という

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    zyugem 2007/01/07
  • 安倍晋三が総理大臣に - 狂童日報

    正確にはまだ「総理大臣」ではないが、安倍晋三の評判がネット上でのあまりにひどさに驚いている。この理由はいまひとつわからないが、小泉政権末期に露呈し始めた「負」の部分をまともにかぶってしまったようだ。 私自身、安倍氏を全く評価していない。期待していないというより心配だ、という点では今までの総理大臣の中で最悪である。それは彼の主張が「右」だからではない。「美しい国」とか内容空疎な薄っぺらなスローガンが多いから、というわけでもない。この2週間ほど自民党総裁候補三人がテレビに出演して議論を戦わせていたが、ほかの二人が私とは意見は違うにしてもいろいろ熟考した跡がそれなりに感じられたのに対して、安倍氏はどんなときでも理路整然とテキパキと議論を展開しようとする。要するにテレビの討論番組向けの口調なのだ。言っていることの筋はそれなりに通っているような気もするのだが、そうした筋を通すことによって国内および国

    安倍晋三が総理大臣に - 狂童日報
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    zyugem 2006/09/22
  • 飲酒運転事故の増加 - 狂童日報

    飲酒運転撲滅キャンペーンが盛んである。それ自体は別に構わないが、酒飲みでマイカー持ちに飲酒運転の「前科」のない人などほとんどいないと思うのに、「どうして自制できないでしょうかねえ」などと無邪気に言い放つ人が多いのには、正直なところ腹立たしいものを感じる。 もし飲酒運転が当にそんなに多いのだとしたら、その人のだらしなさだけではなく、飲酒運転を取り巻く環境ににも問題があると考えなければならないのだろう。そもそも特に地方の人間にとって飲み会をするにも車がないとほとんど不可能という現実を、「どうして自制できないんでしょうかねえ」と言い放つコメンテーターたちは理解しているのだろうか(理解した上で言っているとしたらとんでもないことである)。地方では車がないと遠出はできない。飲店はほとんど大通り沿いにある。明らかに飲み屋としかいいようない店も乱立していて、特にほとんどビールが必需品である焼肉屋が多い

    飲酒運転事故の増加 - 狂童日報
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    zyugem 2006/09/11
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