真田目線で本能寺の変を考えてみる(画像は産経ニュースより) 1582年(天正10年)6月。 本能寺の変が起こります。 現代の会社経営に置き換えて 前回のブログでお届けしました。 ⇒ リストラ社員が宴会あとの社長を襲ったのが本能寺の変。 その続きです。本能寺の変2 大河ドラマ真田丸の 主人公・真田信繁にとっては どういうものだったのでしょうか。 今回はそのあたりをふり返ってみますね。 まずは年齢から。 当時、真田信繁は16歳。 お父さん・真田昌幸は35歳です。 人生50年と言われる戦国時代。 35歳は立派な中年。いや初老の域です。 現代の平均寿命を 仮に80歳だとして 換算すると ・・・56歳ってことです。 ほら初老でしょ。 定年退職まで勤め上げる気持ち満々だったのに 3か月前に勤めていた武田株式会社が倒産。 あの武田株式会社がまさか・・・ 甲信地方の老舗上場会社がまじか・・・ 山梨に本店の
信長は本能寺で6月2日に討たれる。 今日は6月2日。 天生10年(1582年)の今日。 京、本能寺に宿泊していた織田信長が明智光秀に討たれました。 これが歴史的にも有名な本能寺の変。 日本史の教科書にもあったので ある意味、誰でも知ってるといってもいいぐらい。 昨年も6月2日に同じタイトルのブログを書きました。 ⇒ 6月2日。どうして本能寺は「変」なのか。 そうそうまだアメブロでしたね。 1年経ってよく似たタイトルのブログを書きます。 コピペじゃないし、リライトでもありません。 もう一度 よ~く考えてみたんです。 去年のブログでは 本能寺の「変」というのは本能寺にいた 織田信長を襲った明智光秀によるクーデターだから。 クーデターというのは反逆・反乱ってこと。 それも成功した反乱と書きました。 実はこれでは都合は悪くなりました。 今年の大河ドラマ『花燃ゆ』を見ていて気づいたんです。。。 もう
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