→紀伊國屋書店で購入 「デモクラシーの可能性と不可能性」 ロバート・ダールはアメリカの政治哲学者で、デモクラシーの理論の専門家といっていいだろう。ぼくがこれまで読んだのは『ポリアーキー』の一冊で、すっかり過去の人かと思っていたが、今回イタリアで編まれたインタビューは、九・一一のテロの直後に行われたものであり、まだまだアクチュアルな理論家であることを知らされた。 ダールのポリアーキーの理論は民主主義の理論であるが、デモクラシーではなく、ポリアーキーという言葉を使うのは、現代の民主主義のありかたか、デモクラシーという用語の発祥の地である古代ギリシアの民主制とは、一つの点だけで異なるものとなっているためだ。ダールが示す民主主義の必要条件は次の五つだ。 (1)メンバーが決定に参加する平等で現実の機会をもっていること (2)メンバーの投票が同じ重みをもっていること (3)メンバーが問題となっている方
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き
責任担当制とは、入所している子どもの担当を決めてその担当者がその子に関わること全てを担っていく児童養護施設の仕組みの一つです。子どものことをどこまで担当者が行うかは施設によっても様々なようですが、チーム重視の支援ではなく担当と子どもの関係重視の支援と言えばよいでしょうか。前回の記事を受けて、メールで幾つか指摘を受けまして表現が難しいと感じています。 とにかく、この責任担当制によって、担当者と子どもとの関係が深まる一方で、さまざまな弊害もあるようです。実際に私が聞いた話も含めてそのまま載せた方がわかると思いますので以下に挙げていきます。 l 担当の子が問題を起こしたとのことで担当者が休日でも夜中でも施設に呼び出される。 l 担当の子が夏休みの宿題を終わらせることができなかったと直属の上司から叱られる。 l 学校行事の準備物など担当者しか知らず(または他職員は手をつけず)、担当者と子ども
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