ブックマーク / ameblo.jp/scopedog (11)

  • マッカーサーは日本は自衛のために戦った、と言ったのか?

    ”太平洋戦争は、日にとって自衛戦争であった、とマッカーサーが公式に述べた”というのは、産経や渡部昇一、小堀圭一郎、ネトウヨの間で人気の言説である(言うまでもないが、渡部も小堀も産経のお気に入りで産経の「正論」の常連)。 「マッカーサー」「自衛」でgoogle検索すると、うじゃうじゃひっかかる。 http://members.at.infoseek.co.jp/tou46/re_03_06.htm http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/jiei_sensou.html http://www.senyu-ren.jp/MAGO/09.HTM http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/50846670.html http://toron.pepper.jp/

    マッカーサーは日本は自衛のために戦った、と言ったのか?
    Apeman
    Apeman 2012/03/31
    こんな「アインシュタインの予言」並の与太話が東京都の教材に。http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm
  • 『珍説14・長春包囲戦で中国軍は南京事件以上の犠牲者を出した』

    長春包囲戦というのは、第二次大戦後の中国国内の国共内戦での戦闘のひとつです。 満州国時代には新京と呼ばれ満州国首都であった都市で、毛沢東の共産党軍が反撃を開始した1948年時点では戦後進駐してきた蒋介石の国民党軍に支配されていました。1948年5月中共軍は長春を包囲し、飛行場も占領。国民党軍約10万人が長春市民ともども包囲され、中共軍は強襲を避け兵糧攻めを行います。10月半ば、国民党軍は降伏し長春は陥落しますが、このとき多くの長春市民が餓死するなど悲惨な状況にあったことが知られました。国民党も共産党も共に責任は相手にあると主張しています。犠牲者数は一説によると20万人とも言われます。 【珍説】 《長春包囲戦》 ・9月半ば過ぎから餓死者が急増しはじめた、と、長春市長が記録を残している。最後の料だった木の葉が散りはじめたからだ。5ヶ月にわたる包囲戦が終わる頃には、50万あった長春市の人口は1

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    Apeman 2009/07/11
  • 『珍説4・(追記あり)白燐弾は昔からあったが2005年の報道でいきなり非人道兵器として捏造された』

    【珍説】 白燐弾は問題化したのがつい最近の話 JSF (軍事学的考察上の必要性に鑑み,必要部分を引用しています) http://obiekt.seesaa.net/category/909880-1.html 【事実】 おそらく、2005年のイタリアのTV番組が白燐弾非難の嚆矢だと言いたいのでしょうが、それは嘘です。 白燐弾を問題視する意見はそれ以前からあります。ベトナム戦争時には、ナパーム弾と並んで黄燐(爆)弾の使用が非難されています。 (1965年5月12日 衆議院外務委員会) --------- また、さらにアメリカ軍は、大臣も御承知のとおり、ナパーム弾を使っている。しかも、そのナパーム弾は大半が日においてつくられておる。一発の爆弾でもって二キロ四方にあるところのものが一切焼けただれてしまうというような日製の爆弾を無差別に南ベトナムの農村地帯にたたき込んでおる。黄燐爆弾あり、毒ガ

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    Apeman 2009/04/23
  • 『第六師団のモラル状況・1937年9月保定攻略時』

    「岡部直三郎大将の日記」に以下の記述がある。 昭和12年1937年10月4日 ○保定に赴ける谷萩中佐の報告の一端 1 保定市街は惨憺たる状態に破壊せられあり。 2 軍隊が民家を荒し被害大なり。軍隊の言い分は、糧の補給続かば、かくの如きことなしと。恐らく物あさりが昂じて掠奪となりしものか。 3 軍隊が勝手に列車を使用し、甚しきは軍需品を勝手に卸して乗るもの、糧秣を勝手に途中の部隊が消費するものあり。 伊田兵站監の言。 1 軍隊が装備品を無監視、無届にて放置して出発するもの。 2 過剰品を勝手に売却し、又は他のものと交換して平気なるもの。 3 軍隊列車が停車場司令官に強要して、発車順序を恣に変更するもの。 兵器部々員の言。 1 戦地到着早々弾薬を定数以外に要求し、戦場に於てこれを荷厄介として、出発点又は途中に遺棄し、而も何等これに関し関し通告等のお処置を取らずして前進するものあり。 2 良

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    Apeman 2008/02/19
  • 『当時の呼称と、「支那」に拘る人に対して』

    えー、なんか久しぶりに更新です。 年末年始が忙しかったとか、めんどくさかったとか、色々勝手な理由がありますが、所詮勝手にやってるブログなので、まあいいや、とか、そんな感じ。 とりあえず、「支那」呼称について書いてみました。 なんでかというと、中国のことをことさら「シナ」と呼びたがるネトウヨが多いのでねえ・・・。 と言っても、別に言葉狩りをするつもりはなく、実際、うちの奥さんの祖父は中国とビルマで従軍経験があるのだが、普通に「支那」と使ってます。こういう人の(そういう環境に生きていた)経験に基づく場合は、特にどうとも思いません。 でも、そういう体験もない若造が、意図的に「支那」と呼ぶのはなんとも違和感ありありです。 で、こういう人たちに限って、太平洋戦争は後から政治的意図でつけた呼称で正しくない。当時の閣議決定である「大東亜戦争」にすべき、とか言うわけです。 さて、では「支那」呼称について

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    Apeman 2008/01/29
  • 『1938年正月の杭州』

    以前のエントリで顧維均演説を引用した際、気になっていた点がありました。 http://ameblo.jp/scopedog/entry-10054903709.html 演説はこれ(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070620/p2 の Stiffmuscle さんのコメントから) 「Another authentic account of the atrocities perpetrated by Japanese soldiers at Nanking and Hangchow based on the reports and letters of American professors and missionaries is to be found in the Daily Telegraph and Morning Post of January 28

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    Apeman 2007/12/19
  • 『未だに軍の関与はなかったとか虚言を弄するネトウヨに騙されないために』

    ネトウヨは3行以上の文章を理解できないので資料を読み取る能力が著しく低いのですが、ネトウヨ以外の人(注:自分も含む)のために、実際の資料から何が読み取れるか考えてみましょう。 お題は、 「政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成1 警察庁関係公表資料・外務省関係公表資料」 (財)女性のためのアジア平和国民基金編、龍渓書舎 から。 このPDFファイルは以下からダウンロードできます。龍渓書舎さん太っ腹。 http://www.awf.or.jp/index.html 従軍慰安婦関連資料集成1 P163 PDF P188/581 9-1.南洋方面占領地に於ける慰安所開設に関する件[台湾総督府外事部長](昭17・1・10) 昭和17 九六四 略 台北  1月10日後発  南米 省   10日後着 東郷外務大臣           蜂谷外事部長 第10号 (南方占領地に於ける慰安所開設に関する件) 南洋

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    Apeman 2007/12/13
  • 『李容洙証言は否定できるか?』

    李容洙氏は複数回の証言において、拉致時点の年齢が変わっており、慰安婦否定派やネトウヨたちからは「嘘つき」と誹謗されている。李容洙氏が虚偽証言をしていると仮定しても、全ての慰安婦の証言が覆るわけでもなく、事件全体としてはほとんど影響しないはずなのだが、ネトウヨ得意の「一部の否定を全体に適用する手法」が多用されています。 とりあえず、今回は李容洙証言は虚偽と言えるか、について検討してみます。 ネトウヨの主張する虚偽とは、年齢と勤務期間に関することのみである様子。 まず、李容洙氏が1928年12月13日生まれであることを前提として以下の記事を考えてみよう。 赤旗新聞(2002/6/26):拉致時点「14歳」、証言時点73歳(数え年74歳)(記事内:74) 朝日新聞(2007/4/27):拉致時点「15歳」、報道時点78歳(数え年79歳)(記事内:年齢記載なし) 朝鮮日報(2007/4/30):拉

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    Apeman 2007/05/12
  • 『産経症・陰謀論にはまる人』

    ここまで陰謀論にはまってる人を見るのは、ある意味痛快。 要するに、大日帝国は悪くない。悪いのは、アメリカ中国の中枢にスパイを送り込んだ共産主義者だ!ということらしい。 なるほど、それが当なら確かに大日帝国は悪くない。というより頭が悪い。自虐的だなあ。 ところで、ソ連が国内をどうにか掌握したのが1920年以降、1940年ごろにはアメリカ中国の中枢に多数のスパイを送り込んでいた、とすると建国後20年も経たないうちにソ連は世界を操れるようになったということ。国内では新経済政策や権力闘争に力を入れる傍らでそんな神業のようなことやったんだ。 ソ連すげー(棒読み)。 「深田君、君は想像力があるから、作家になりなさい」と言ってあげたい。あ、作家か。 (以下、引用) 【正論】作家・深田祐介 太平洋の新覇権時代に甘い危機意識 作家 深田祐介 ■中豪接近に日は対応できるのか ≪進む中豪関係の親密化

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    Apeman 2007/02/04
  • 『産経抄・ただし、これだけは見るなよ。』

    ■【正論】上智大学名誉教授 渡部昇一 富田メモの真相を国会も調査せよ/産経2006/9/6 まあ、歴史資料においてその真贋を検証することは重要である、というのは同意できる。 しかしそれならば、渡部氏がするべきは、現在までに富田メモに対して行われた検証内容を確認し、他にどういった検証をするべきか語ることであろう。 ところが、 「今までの報道から私の知る限り、右のような文書鑑定の手続きを一切無視して発表が大々的に行われた"ようである。"」 「鑑定を頼まれた人たちも、そんな重要な検定をするのに十分な時間や手段が与えられていた"のだろうか。"」 という憶測・推測しか語ってはいない。真贋の検証が重要であると考えるのなら、なぜその程度のことを調べていないのか? もし、鑑定の手法に重大な瑕疵があったのなら、徹底した調査が必要であろうことは全く賛成できるのだが、どこがどう問題なのか、については上記の憶測以

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    Apeman 2006/09/07
    田中“改竄”正明編纂の松井大将日記を鵜呑みにした渡部昇一にそんなこと言う資格はないよなぁ…
  • 『南京事件・20万人しかいないのに30万人殺すことは可能か』

    南京事件否定論者のいう根拠のうち、よく聞くのが 「当時南京には20万人しかいなかったのに30万人殺せるわけがない」 というのがある。 しかし、否定論者は、南京事件犠牲者数30万人は怪しい、と思っているにも関わらず、当時の南京人口20万人というのは全く疑わない。また、20万人の根拠を伴った主張も非常に少ない。 「ショーコ、ショーコ」という割には、20万人という非常に根拠の薄い数字は、証拠もなく鵜呑みにする。ダブルスタンダードの典型の一つと言えよう。 ところで、1937年6月(南京事件の6ヶ月前)については、人口統計が残っている。 南京城区:853,781人 南京郷区:161,669人 合計:1,015,450人 ざっと100万人である。 この後、8月から日軍による空爆が始まるが、地上戦自体は12月から始まっている。 避難の必要性を感じるのは、早くとも上海戦が終結する11月ごろと考えるのが自

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    Apeman 2006/09/06
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