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『珍説14・長春包囲戦で中国軍は南京事件以上の犠牲者を出した』
長春包囲戦というのは、第二次大戦後の中国国内の国共内戦での戦闘のひとつです。 満州国時代には新京と... 長春包囲戦というのは、第二次大戦後の中国国内の国共内戦での戦闘のひとつです。 満州国時代には新京と呼ばれ満州国首都であった都市で、毛沢東の共産党軍が反撃を開始した1948年時点では戦後進駐してきた蒋介石の国民党軍に支配されていました。1948年5月中共軍は長春を包囲し、飛行場も占領。国民党軍約10万人が長春市民ともども包囲され、中共軍は強襲を避け兵糧攻めを行います。10月半ば、国民党軍は降伏し長春は陥落しますが、このとき多くの長春市民が餓死するなど悲惨な状況にあったことが知られました。国民党も共産党も共に責任は相手にあると主張しています。犠牲者数は一説によると20万人とも言われます。 【珍説】 《長春包囲戦》 ・9月半ば過ぎから餓死者が急増しはじめた、と、長春市長が記録を残している。最後の食料だった木の葉が散りはじめたからだ。5ヶ月にわたる包囲戦が終わる頃には、50万あった長春市の人口は1
2009/07/11 リンク