私の1960年代 作者:山本 義隆金曜日Amazon 山本義隆『私の1960年代』*1から。 「一九六〇年は、安保闘争の年であったと同時にいわゆる理工系ブームが始まった年でもあります」という(p.14)。 私が大学に入ったのは(略)一九六〇年ですが、その年、戦後初めて東大の理科系の一学年の学生定員が一五〇人増えています。当時の東大の教養学部の理科系には理科I類と理科II類があり、理科I類は工学部、および理学部の数学系の学科つまり数学と物理と化学、理科II類は医学部や薬学部、農学部、そして理学部の生物関係の学科が、その大体の進学先です。その当時、今のように理科III類というのはありませんでした。この理科I類の定員は戦後ずっと四五〇人だったのですが、六〇年に初めて六〇〇人に増えたのです。寮で一学年上の人たちから、お前たち、一五〇人の定員増のおかげで入れた口だろうなどと皮肉を言われたのを覚えてい