何かと色々とやることが一杯で、起こっている諸々をはてなブックマークで追うのが精一杯であっても、夏は自動的にやってくる。まぁ、暑い暑いと思っていたらいつの間にか
何かと色々とやることが一杯で、起こっている諸々をはてなブックマークで追うのが精一杯であっても、夏は自動的にやってくる。まぁ、暑い暑いと思っていたらいつの間にか
去年の今頃といえば報道を見て回って精神的に消耗していたこともあり、ましてや肝心のモデルがいなかったので、エントリにすることはできなかった。 だがしかし、1年の
「沖縄情報うちなーぐちフェスタ」さんでは、「旧日本軍の第32軍司令部壕」をこう説明していた。この司令部跡は首里城と弁財天の間にあるのですが、看板もなく、どのサイトでもあまり紹介されていないため、誰も訪れることが有りません。 あるいは、「沖縄発!役に立たない写真集」さんによると、首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日本軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。 草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。 そんな旧日本軍第32軍司令部壕に、説明の看板が設置されるという話を目にした。説明文案はこんなだったというのだが…。 第32軍の創設と司令部壕の構築 1944(昭和19)年3月、南西諸島
3がつ28にちって、「ミー&ニャー」でねこのひなんだそうです。まいにちねこのひのくせに、なんでこだわりたがるんだろうね?
現実で対応しなければいけない諸々が大量にあるもので、すっかりブログを書く暇がとれない今日この頃であるが、関心方面の話題をチェックしてみると、そんな事が起こっていた。わざと紛糾を招くようにやってるのかと呆然とするレベルなのだが、報道は産経だけ、、、かな? 韓国ソウルの日本大使館前に「慰安婦の碑」が建てられた問題をめぐり、野田佳彦首相は26日の参院予算委員会で、碑に「日本軍性的奴隷問題」と記述されたことについて「正確なことが記されているかというと大きく乖離(かいり)している」と懸念を表明した。その上で昨年12月の李明博大統領との会談で碑の早期撤去を要請したことを強調した。 …あのう、碑文って確か『1992年1月8日から始まった水曜集会が1000回目を迎えたことを記念し、平和の碑を建立した』程度の文章が韓国語、英語、日本語の3カ国語で刻まれていたんじゃなかったっけ? と思ったら、3月27日に既に
はぁ…。 私は「竹島問題」に関しては勉強不足なのでそれへの意見は控えたいのだが、それにしても、「日本大使館の前に平和記念碑を立てたことへの報復」としての「竹島の碑」って、それでいいのかという巨大な疑問が頭をよぎる。確か、在韓日本大使館前の「平和碑」に関して「外交上非礼である」という意見を述べていたメディアがあったような気がしきりとするし、日本の首相やら官房長官やら外務省方面も「韓日間の外交活動に否定的な影響を与える」系意見を公にしていた様な記憶があるのだが、それに対する報復として「竹島の碑」在日韓国大使館前に建設って、国交断絶とか戦争でもお望みなのだろうか??? という訳で、他の情報も当たってみた。 2012/02/07(火) 「韓国大使館前に「竹島の碑」、保守系団体が報復を計画[サーチナ]」 日本の保守系団体が、南麻布の韓国大使館前の歩道に竹島(韓国名・独島)の碑を設置する要望書を、20
私が、その、吉元玉(キル・ウォンオク)さんの言葉を最初に見かけたのは、"Justice for Comfort Women - Remember and Respect, Amnesty International Australia"内のコンテンツだった。今ではそこにはリンクが切れてしまっているが、同じ言葉がAmnesty Internationalにある。"The Japanese Government thinks that if all comfort women die, it will be buried and forgotten. But it won’t. As long as our next generation knows about it, it will not be forgotten." Gil Won-Ok (below, right), former "
ちらっと見かけた話題に関して、ざっと情報を集めたので覚え書きとしてエントリに保存。 2011年9月18日の日曜日、18:30から開始された第10回の愛知県日進市の「にっしん夢まつり」では、福島県で製造された花火の打ち上げ予定があったのだそうだ。夢花火 ~ 秋の夜空を彩る2,000発 震災復興の願いを込めて ~ 目の前に迫る花火、天白川の河川敷からワイドに打ち上げます! 迫力あふれる多数のスターマイン、花火職人が芸術性を追求した「匠の業」花火、200mに渡る光のカーテンと花火の乱れ打ちなど。 フィナーレは、特大スターマインとステージが芸術的なコラボを繰り広げます! 点火式や東北3県(岩手、福島、宮城)から購入したスターマインの打上げで、東日本大震災の復興を応援します。 日進でしか見られない、超絶した花火を堪能ください。 という告知が、いつ時点で公開されていたのかはよく分からないので恐縮だ
既に通常運転で話題が遅ればせ状態だが(^^; 2月頃のこと、アップルキャラメルリコッタチーズケーキのレシピ研究で四苦八苦していた。 基本がバターケーキとはいえ、ふんわりとはいかず、目の詰まった…どころか部分的にういろうの様になったケーキを何度も作成することになってしまったので、あれ~私ってばこんなにバターケーキ作るの下手だっけ???という心境に至ってしまってたのだ。以前にもブログ上に書いたと思うが、私はケーキを作り始めたごく初期からパウンドケーキは作っていて、基本の配合なら、中学生頃からは確実にまず失敗せずに作れたはずだったからだ。 私にとっての基本のパウンドケーキの配合と作り方とは、バターが200g、砂糖も200g、卵は4個、小麦粉が250gにベーキングパウダーが小匙半分で、バターをよく練って砂糖を加え、卵黄も加え、卵白は別に泡立てておき、小麦粉と泡立てた卵白を三分の一ずつ、バターのボー
まさかその数日後に、未曾有と呼ばれる大震災が発生して、それに伴って何故か食品や生活物資の買い占めが一時的に起こって、食糧貯蔵的な不安をさすがにちょっとは感じるようになるかもしれなくなるなんて予想もしてなかった三月初頭のある日、我が家には冷凍の宅配便が届いていた。 中身は某信州の通販ショップの商品がいくつか。 その一つがこれ。 見て解るかいというつっこみが怖いが、分厚い脂肪と鮮やかな赤味のこの肉。熊の肉である。 ネットを通じて居ながらにして遠隔地の人とやりとりができるようになって以来、居住地周辺で得られない美味を見せびらかされる機会が激増した。中でも、私にとっての暴虐さではトップクラスのテロは、この辺りに代表される山の幸・肉食系テロだった。 度重なるテロに耐えかね我欲(食欲とも言う)を募らせ、調べてみると、今の時代、肉食系山の幸も通販の商品として入手できるようになっていた。昨今は増えすぎたと
きっかけはレーザーポインタだった。 職場で使い、使い終わって所定の場所に戻そうとした私に、事務職の女性が声をかけてきた。 「電池ぬいた?」 素朴な疑問が浮かんだので、訊ねてみた。(丁寧語なのは、相手が年長だからである) 「なんでぬくんですか?」 彼女は即座に答えた。 「電池入れたままにすると電池が減りやすいから。」 更に素朴な疑問が浮かんだので、再度訊ねてみた。 「それは、電池入れたままにした機器と、電池を使用後に毎度ぬいた同じ機器を使って、どちらの方が先に電池が使えなくなるか試した結果の見解ですか?」 今度は彼女が答えるまでに、数瞬の間があった。 「だって、みんなそう言うんだもん。多分、どこかの電池会社が言ってたんだと思う。」 その答では更に疑問が広がる。 「どこの電池会社ですか? どこを見ればその情報が確認できますか?」 「わからない。」 その答が返ってくるようでは、素直に納得してその
更新頻度がやたらと落ちているのは、喪中のふりをしている訳ではなく、リアルでやたらとやることが多いからであったりする。書きたいエントリはあっても集中力がもたず、ブクマに蓄積しながら情報を集めつつ、熟成を待っている状態とでも表現したい所。 そんな日々であっても、何か旨いものは食べたくなるので作る。しかも、より旨い物が食べたくなるので、いかにして向上を図るかと、こちら方面でも情報を集める。ということで、見て回っていると、気になるタイトルのレシピ本があった。いくつかのブログなどで評判を見て、購入を決意。こんな本である。 お買い物を見せびらかす写真は、必ず猫と一緒に記念撮影というお約束の思い込みが、どうやら私にはあるらしい。坊ちゃんに頼めない今、こういうのはあまり協力的ではないお嬢に頼むのに結構な時間がかかり、斜め上の努力を払っていたのであるが気にしない。それはともかく。 私はケーキ作りを一番最初に
7年前の12月29日、小さい縞々のお嬢さんが、我が家の一員に加わった。 当初の彼女に関しては過去記事で何度か言及したかと思うが、人間が怖くてたまらない野生児で、最初の最初は、坊ちゃん相手ですらお互いにふーしゃー言ってたので、なじんでくれるかと本気で心配したが、先住猫の坊ちゃんの方が先に受け入れた。最初は隠れ家に提供した箱に引きこもっていた彼女は、4日目には引きこもりを止めて居室の探検を始め、5日目から坊ちゃんと一緒にコタツ生活を楽しみ初め、2週間もしないうちに坊ちゃんと毛繕いのしあいを始めた。 猫同士はともかく、人間に怖い目にあわされた経験をもつらしい彼女は、家族になった人間でも当初はやっぱり怖かった。人間が座っている間ならすぐ傍に寄り添いに来るようになってからも、人間が所用で経つ度にあたふたと逃げ惑う。尻尾を垂らした姿勢の低い匍匐前進で逃げていく彼女を見ながら、下僕はもの悲しい思いに
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