ダーウィンの頃から科学者たちの間で信じられてきた見解が変わった。「性別や背景の異なる研究者は、科学における疑問やアプローチの多様性に大きく貢献している」
![鳴く鳥はオスだけ?いえ、メスもです。女性研究者の参入で崩れた“通説”、研究結果に驚きの声](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a61a01b49900cac3ed7bdded610c18322d6cf914/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5f6c60b5280000751d9d3407.jpeg%3Fcache%3Ddg79xlrbKi%26ops%3D1200_630)
PR誌「ちくま」の2020年の表紙を飾り、多くの反響を呼び起こした「彼女たちの戦争」が、場所をwebに移して新たにお目見えします。歴史のなかで、女性であるがゆえに脇に押しやられながら、その才能をたしかに輝かせた女性たちの闘いの軌跡。 彼女は自分が撮影したX線写真が内緒で盗み見られていたことを知らないまま死んだ。 彼女はそのX線写真がDNAの二重らせん構造の発見に大きな手がかりを与えたことを知らないまま死んだ。 彼女はそのX線写真を盗み見た人物たちが後にDNAの二重らせん構造解明によりノーベル賞を受賞することを知らないまま死んだ。 彼女は卵巣癌で死んだ。享年三十七歳。 X線写真撮影の際の被曝が原因とも言われるけれど、本当のところはわからない。 彼女はロザリンド・フランクリン。 イギリス、ロンドンのユダヤ系の裕福な家に生まれた彼女は、寄宿舎学校時代から優秀だった。まだ女性を受け入れて間もないケ
PR誌「ちくま」の2020年の表紙を飾り、多くの反響を呼び起こした「彼女たちの戦争」が、場所をwebに移して新たにお目見えします。歴史のなかで、女性であるがゆえに脇に押しやられながら、その才能をたしかに輝かせた女性たちの闘いの軌跡。 物理学を志し、日本からフランス、パリへ渡りコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所で研究した湯浅年子。女であることに、日本人であることに、戦争に、翻弄されながらも、生涯研究を突き詰め続けた彼女。彼女に降りかかる現実はいつも厳しく、そこを生き抜く彼女もまたどこまでも自分に厳しい。 発明家の父(特許庁に勤めていた頃にはスイスでアインシュタインにも会っている)と歌人の橘守部を曾祖父とする母のもとに生まれた彼女。短歌をはじめ多様な文化をたしなみながら東京女子高等師範学校へ進学。自然現象の根源を追究する物理学へとまっすぐに向かってゆく。東京帝国大学理学部物理学科では、日
Strickland is an associate professor of physics at the University of Waterloo in Canada—a title that, as many observers have noticed, does not seem to reflect the significance of her work. Strickland and colleague Gérard Mourou shared half of the 2018 prize, which was also awarded to scientist Arthur Ashkin. Strickland is now currently the only living female Nobel laureate in physics, joining Mari
(東洋書林・7020円) ジェンダーの境界線越え学問が発展 歴史に登場する女性といえば、エリザベス一世のような政治家か、マリー・アントワネットなど時代の流れに翻弄(ほんろう)される美女と相場が決まっている。「教養人枠」で登場する女性は数えるくらいしかいない。私も子供の頃は、マリー・キュリーしか知らなかった。 古代から連綿と続く学問の発展に、女性はほとんど貢献していなかったのだろうか。文学史と哲学史を学んでいた著者は、講義に歴史上の女性教養人として詩人のサッポーしか登場しないことをいぶかった。そこで「忘れ去られてしまった」女性教養人を調べ、本書にまとめ上げた。 この記事は有料記事です。 残り1785文字(全文2067文字)
保井コノは日本で初めて博士号をとった女性研究者です。 保井は明治13(1880)年香川県に生まれました。香川師範学校女子部から女子高等師範学校理科に進み、卒業して女学校教師を3年間勤めます。明治38年、女高師に新設された研究科に、最初のただひとりの理科研究生として入学し、動植物学を専攻しました。研究科1年のときに発表した「鯉のウェーベル氏器官について」は『動物学雑誌』に掲載された女性科学者最初の論文でした。次いでサンショウモの原葉体を調べ『植物学雑誌』に発表します。さらにその研究を進めた成果を英国誌『Annals of Botany』に発表し、これは外国の専門誌に載った日本女性初の論文となりました。
99年前の8月9日、一通の書類が文部省から東北帝大宛てに届きました。「女子を帝国大学に入学せしむるは前例これ無き事にてすごぶる重大なる事件にこれあり、大いに講究を要し候」。東北帝大が女性数名の受験を許可すると聞きその真意を質したものです。 http://t.co/glG9O9TA
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