国鉄EF63形電気機関車(こくてつEF63がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流電気機関車である。信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として開発された。用途から「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。 最大勾配66.7‰に達する碓氷峠区間は1893年の開業時からラック式鉄道の一種「アプト式」を採用し、1934年からは同区間専用のED42による運転を行っていた。 第二次世界大戦終結以降の経済復興 - 高度経済成長期への時代趨勢に対応し、国鉄は主要幹線の輸送力増強に着手した。碓氷峠を含む信越本線系統においては所要時間の短縮を企図し、ラック式鉄道を廃止し一般的な粘着運転への切替方針が決定したが、諸案検討の結果、最大勾配66.7‰を存置した複線の新線が1963年9月30日までに完成することとなった。このため、急勾配の諸条件に対応し、
国鉄の最急勾配路線であった信越本線の碓氷峠越え区間に直通する列車の牽引用に開発され、急勾配での運用に対応した特殊設計がなされた。 1962年(昭和37年)に先行試作車のEF62 1が完成し、その後1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけて量産車53両が製造された。 信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠区間は、最大66.7‰という日本の幹線鉄道としては並外れた急勾配を控える難所であった。通常の機関車の場合、登坂では空転や立ち往生、降坂では滑走や暴走の恐れから官設鉄道として開業した明治時代から、補助レール(ラックレール)に機関車の歯車を噛み合わせて昇降するアプト式とされた[注 1]。このため碓氷峠区間はいち早く電化されて1912年(明治45年)[1]には機関車が導入されたが、長らく単線のまま過密ダイヤを強いられてきた。 1960年代初頭の時点で、碓氷峠区間はアプト式機関車ED4
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く