東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所正門前に建つ市複合施設の横にある「951形新幹線」。引退間近で話題を集める初代0系がデビューした5年後に製造された試験用車両だ。昭和47年に当時最高の「時速286キロ」を記録しながら、大きな脚光を浴びることなく短い期間で姿を消していった。0系が華々しく最後の花道を飾る中、951形の隠れたエピソードや功績を鉄道総研元専務理事の田中真一さん(75)に尋ねた。 「286キロ」の最高速度を記録 昭和47年2月24日、開業前の山陽新幹線姫路−西明石間を使った試験走行で、951形が「時速286キロ」を記録した。 「あと10キロ…」「ここは抑えて…」。台車部門の主任研究員を務めていた田中さんが測定データを見ながら細かい指示を送る。この区間を使った約1カ月にわたる試験で、車両と線路条件との関係を把握し、ピンポイントでじわりじわりと速度を上げていった。 951形は昭和44年