海外に国内に環境対策にと見違えるほど攻撃的になったトヨタ自動車。 牽引役は3年前に創業家が「強いトヨタ復活」を託した型破り社長だ。 社員をぐいぐい引っ張る姿はサラリーマンとは思えない迫力を持つ。 その行動力を支えるのは、修羅場をくぐった自信と、創業家の信頼だ。 激動の時代に異彩を放つ、ビジョンにまっすぐ突き進む経営者である。 =文中敬称略(山川 龍雄) 奥田 碩(おくだ・ひろし)氏 1932年三重県津市生まれ、65歳。55年一橋大学商学部卒業、旧トヨタ自動車販売入社。79年豪亜部長。82年旧トヨタ自動車工業とトヨタ自販の合併と同時に取締役就任。87年常務、88年専務、92年副社長。95年8月社長就任。 ゴルフのスコアはかつて80台だったが、社長になってからは調子が悪い。周囲には謙遜もまじって「俺は百獣(110)の王」と言っている。若いころは競馬、マージャンなどに興じた。特にマージャンは無類