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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (6)

  • スローカーブの投げ方 - ハックルベリーに会いに行く

    昔、取材で中日にいた今中慎二からスローカーブについての話しを聞いたことがある。今中のスローカーブは、利き腕である左腕を怪我している時に生まれたらしい。怪我をして握力が全くない状態で、仕方なく指に引っかけるようにして、押し出すように投げていたら、なぜか投げられるようになっていたのだという。 それで一緒に取材した人とともに、どういう原理で投げているのかと聞いてみたけれど、今中自身もよく分からないということだった(現役時代だったから伏せていたのかも知れない)。それでもぼくは、これをコンセプトに落とし込んで技化して、誰でも投げられるものにできないかと考えた。今中のスローカーブは文化である。これは継承していくべきものだと思ったからだ。 そこで今中の言葉をヒントにどうすれば今中みたいなスローカーブを投げられるか考えてみた。ヒントは「握力が全くない」というところにある。今中のスローカーブは握力が全くない

    Doen
    Doen 2009/03/10
  • コンピューターゲームにおける「水と器」理論 - ハックルベリーに会いに行く

    前にゲーム制作をする人から聞いた話。 ゲームウォッチは、今遊んでもそれなりに面白いのに、同じ内容のゲームを、例えばPCのFLASH上で走らせると、なんだか貧相に見えてしまうのはなぜだろうか? そこには色々な要因があるのだろうけど、一つには、ゲームとハードのスペックのバランスがあるのではないだろうかという話だった。 ゲームウォッチ上で動くゲームは、ハードのスペックをほぼ限界まで使っている。もともと貧弱なハードなのなのだから、例えゲームが貧弱でも、それほど気にはならない(むしろ「スペックの割には頑張ってる」と豪華にさえ見える)。一方PCでそれを走らせると、ハードのスペックの一部分しか使っていない。ゲームウォッチくらいの内容ならば、文字通り「小手先」で動かせることができる。そのため、ゲームの貧弱さというのが際立ってしまう。 それは、例えて言うなら「コップと樽に入った同じ量の水」だと彼は言った。例

    Doen
    Doen 2008/12/31
  • 人をdisる時にやってはいけない11の作法 - ハックルベリーに会いに行く

    人をdisる時には注意が必要だ誰かをdisる時は、細心の注意が必要だ。生半可にやると、かえって自分がdisられることになる。人の、誰かをdisることに対する眼差しは厳しい。少しでもおろそかなことをすると、とたんにそこを突かれてしまう。人を糾弾したつもりが、かえって自分が糾弾されることになる。これでは末転倒だ。 だから、そういうdisりブーメランを受けないために、おろそかなことは書かないようにする必要がある。最低限のマナーを守って、節度あるdisり記事を書く必要がある。作法というものを守って、読む人の反感を――disりを買わないようにする必要がある。 そこでここでは、そんな「人をdisる時にやってはいけない作法」を分析し、11の項目にまとめてみた。参考にしたのはこちらの記事。ポニョ見たけど、男の師匠も友達もいない宗介と、オタク的に都合の良い「聖なる女性賛美」が強すぎて駄目でした - さて次

    Doen
    Doen 2008/08/06
  • 宇宙戦艦アキバ - ハックルベリーに会いに行く

    1.パシューと音を立てて、通信室の扉が気化した。つかつかつかと、急ぎ足の藤堂が音も高く入ってくる。扉は、今度はぶんと唸りを上げ、一瞬にして元の固体に戻った。「呼んだか?」「あ、艦長、お待ちしておりました」山田がマイクロ反重力装置(MRGS)内蔵の宇宙椅子から立ち上がった。藤堂を先導して、直径二メートルほどもある球状の三次元モニターの前に立つ。「こ、こちらをご覧下さい」そこには、現在地から一千万キロメートル圏内の立体宇宙図が浮かび上がっていた。縮尺は一千万分の一。中央の白い光点は現在地。右手前下方にある青い光点が地球。そして左奥上方、ちょうど現在地を中心とした地球の対角に、ポツンとオレンジ色の光点が一つ、示されていた。「どういうことだ?」「ブンダー卿が『山手ライン』を突破しました」藤堂は、ポカンと口を開けて山田を見た。「バ……カな……ありえない」しかしレーダーは、紛れもなく卿の戦艦が、地球

    Doen
    Doen 2008/07/03
  • ブログ芸者の断末魔の叫び声が聞こえる - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくが常々怖いなあと思っているのは民衆というやつだ。日では「世間」と言ったりもする。「世間の目」と言う時の「世間」だ。最近では、「暴走する『世間』―世間のオキテを解析する」という、近年益々力を強めている「世間」についての興味深い考察がくり広げられた、とても面白いが出たりもした。まだ読んでないけど、こういうが出るくらい、世間というのが今も変わらぬ圧倒的なパワーを持ち、それを一向に衰えさせていないというのは、ぼくも強く感じる。 民衆は怖い。特にその意見の総体である「民意」というやつが怖い。歴史を見ても、どんなに専政をくり広げた圧制者たちだって、この民意というやつには逆らえなかった。むしろ圧制者たちは、民意を味方につけたからこそややこしかったりした。圧制者たちは、たまさか民意を味方に付けたばっかりに、その悪政を暴走させることになった。その最も分かりやすい例がヒットラーだ。彼への支持率には圧

    Doen
    Doen 2008/06/12
    dankogai
  • 桃井はるこの記事のブクマが「自己正当化人間」ホイホイになっているよ - ハックルベリーに会いに行く

    2008年6月8日千代田区外神田の中央通り沿いで起こった大きな事件について|桃井はるこオフィシャルブログ「モモブロ」Powered by アメブロ という記事については特に何も言うことがないのだが、そのブクマコメントが「無責任な自己正当化人間」ホイホイになってて面白いことになってるよ\(^o^)/ はてなブックマーク - 2008年6月8日千代田区外神田の中央通り沿いで起こった大きな事件について|桃井はるこオフィシャルブログ「モモブロ」Powered by アメブロ 以下、抜粋。 bouncingそうだ、秋葉原へ行こう。失われた命の重さと、事件のやるせなさと、目の前の現実の理不尽さを感じつつ、それでも秋葉原を楽しもう。それができればきっと趣都はきっと新しい姿になるはず。これ以上秋葉原を無反省に楽しむのは良くないと思うよ\(^o^)/問題は「秋葉原的な何か」にあったのだから、そこを見て見ぬふ

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