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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (5)

  • 「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記

    少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter 「ベビーカーで電車の乗るな」という傲慢さ!それなら他人が産んだ子に将来の年金や社会福祉の負担を押しつけるな  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス どちらの記事についても、「言い方が悪い」「書き方が不快」「憎悪に満ちている」などのブコメがついているが、ああこれは典型的な差別あるあるだな、と思った。まずそもそも、マジョリティのマイノリティに対する抑圧があるせいで、マイノリティが不快な思いをさせられたり苦痛に耐えたりしてきて、マジョリティに対する「配慮」を強いられ続けてきたにも関わらず、そこをすっ飛ばして、「俺らを悪く言う被害を感じる」とは、典型的な差別あるあるだ。こういった差別あるある的態度を取る人は、これまで自分たちがマイノリティにしてきたことを丸ごと無視して、今現在、

    「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記
    Doen
    Doen 2012/11/19
  • 善意が暴力に変わるとき―伊達直人騒動について― - yuhka-unoの日記

    Togetter - 「「伊藤直人」に違和感を感じてしまった元入所者のpostまとめ」 http://togetter.com/li/88205 実は、前回の記事『甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち』を書いたのは、昨今起こっている伊達直人関連の騒動があったからだ。親からの好意を受け取ることを強要されてきた私は、一連の伊達直人騒動にずっと違和感を抱いていた。上の元児童養護施設入所者の人の意見はもっともだと思う。 「人の善意に対して素直になれ」みたいなこと言ってる人がいるけど…「素直になれ」って、どういう意味なんだろう。私が父から趣味じゃない服を貰った時の素直な気持ちは「これ着たくない」だった。元入所者の人の意見も、実に素直な気持ちだと思う。でも、その素直な気持ちを言ったら「素直じゃない」「素直になれ」と言われる。「素直になれ」ってどういう意味だ?もし「いらない」「欲しくない」

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  • 「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記

    『他人からの励ましやアドバイス』にも少し書いたが、私は「辛い経験は糧になる」という言葉に違和感を感じる。 結局、トラウマにしかならない経験だってあるんじゃないのかと思うし、乗り越えられるかどうかは、人の努力ももちろんあるが、運の要素もある。周りの人の助けが得られる環境かそうでないかは大きい。 「辛い経験は糧になる」という言葉が広く世間で言われているのは、基的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。私の中にも、乗り越えられた部分と乗り越えられていない部分があるが、乗り越えられた部分については、世間に向かって語れるけれど、乗り越えられていない部分については、なかなか世間に向かって語ることはできない。 世間から見えるのは、乗り越えた人だけ。結局トラウマにしかならなかった人は、世間からは見えないということだ。 それから、「辛い経験は糧になる」という言葉は、『元いじめられっ子の

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    Doen
    Doen 2011/06/15
  • 愛国心と赤ちゃん願望 - yuhka-unoの日記

    誰からも愛されたい。誰からも受け入れられたい。誰からも特別扱いされたい。誰からも否定されたくない。誰もが自分の望み通りに動いて欲しい。 こういう「赤ちゃん願望(心理学的な言葉で言うなら、幼児的万能感)」は、大人になるにつれて薄まり、理性が育ってきてある程度コントロールできるようになるが、なくなるものではない。多かれ少なかれ、この願望は一生持ち続けることになる。 大人になっても赤ちゃん願望に囚われてしまう人は、様々な方法で満たそうとする。ある人は、自分の恋人や子供を束縛してコントロールしようとする。ある人は、ブランド物の権威を身に纏う。ある人は、地位や名誉を手に入れようとする。ある人は、「かわいそうな自分」を見せ付け、他人の同情心を引こうとする。 そして、ある人は、「素晴らしい集団」に属することで、自分も素晴らしい人間になったかのような気分を味わい、その集団の中で母子密着的な一体感を得ようと

    Doen
    Doen 2011/05/21
  • 味方を装ったいじめっ子 - yuhka-unoの日記

    いじめの構造の中でよく見られることの一つに、直接明確な悪意を持っていじめて来る人間の他に、「私はあなたの味方よ」というポーズを取ってやって来るいじめっ子がいる。こういうタイプは明確で直接的ないじめっ子よりタチが悪い。人はあくまでも善意のつもりで、自分の迷惑性を欠片も疑わず、迷惑性を指摘すると途端に逆ギレして手の平を返し、罵倒する側に回るからだ。 味方を装ったいじめっ子は、初期段階では、直接いじめるでもなく、いじめを止めようとするでもない、「その他大勢」であることが多い。一見いじめられている人間に友好的に振舞うが、人の前では友好的に振舞っておいて、陰で噂を広めたりする。人から情報を聞き出し、聞き出した情報を噂仲間に広めて「情報通」ぶることが目的だ。 噂を広める人は、他人をいじめられる状況に追い込むだけ追い込んでおいて、いじめに遭っているその瞬間に助けるようなことは絶対にしない。それで「

    味方を装ったいじめっ子 - yuhka-unoの日記
    Doen
    Doen 2011/05/01
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