人間国宝の上方落語家、桂米朝が生まれて今年は100年、そして亡くなって10年の節目。2月には大阪・住吉大社境内に「一期一会」と刻んだ顕彰碑が建立された。「出会いは生涯に一度限りと心得よ」。米朝が愛した言葉だ。 郵便局勤めの父が赴任した先、現在の中国東北部・大連に生まれ、4歳で姫路市に帰ってきた。旧制姫路中学(現姫路西高校)を卒業し、大東文化学院(現大東文化大学)に進む。「在学中は寄席と歌舞伎ざんまいだったと聞いてます」と長男の五代目桂米団治は語る。そして出会ったのが明治生まれの寄席研究家正岡容(いるる)。米朝はその筆頭弟子となる。 米団治によれば「米朝本人は東京で暮らす気だったと思うけど、上方落語を復興させなさいと正岡に諭され、覚悟を決めた」。1947年に四代目桂米団治に入門、三代目米朝を襲名する。 終戦直後、上方の落語家は数人しかいなかった。彼らから根多(ネタ)を聞き取ることから始めた。
