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東日本大震災は、直接の被害だけでなく、地域に住む人の生活を大きく変えてしまいました。震災後に家族や友人から孤立してしまい、乳がんの発見が遅れた女性の例が、南相馬市立総合病院などのチームから報告されました。 乳がんの症状に気付いてから3年以上経って診断された女性 福島県の南相馬市立総合病院の尾崎章彦氏らが医学誌『Medicine』に報告した、59歳で乳がんの診断・治療を受けた女性の例を紹介します。 この女性は、2011年4月に右乳房のしこりに気付きました。しかし、2012年7月に痛みが発生するまで診断を求めることはせず、マンモグラフィー検診も受けていませんでした。 痛みが発生したときにかかりつけ医を受診しましたが、「痛みがある」という訴えから肋間神経痛と診断されました。 症状はしだいに悪化し、乳がんかもしれないという自覚もありましたが、考えないようにしていました。セカンドオピニオンを求めるこ
東京電力福島第一原発の近くにある双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら2人の遺族が「原発事故後に長距離、長時間の避難を強いられて死亡した」として、東京電力に計6600万円の損害賠償を求めた2件の訴訟の判決で、東京地裁は25日、東電に計約3千万円の支払いを命じた。水野有子裁判長は「死亡は原発事故が大きな原因」としたが、患者の事故前の病気なども死亡に影響したとして、慰謝料の額を2~3割減額した。 双葉病院の入院患者らをめぐる訴訟では、東京地裁の別の裁判長が4月に言い渡した2件の判決で、原発事故と死亡の因果関係を認めた上で、慰謝料を2~4割減額する同様の判断をしていた。 判決によると、死亡したのは同病院に入院していた男性(当時97)と、系列の介護施設に入居していた女性(同86)。2人は原発事故による避難指示が出た後の2011年3月14日に自衛隊によって救出され、避難所になっていた県内の高校に運ばれ
現在、熊本県庁に設置されている医療救護調整本部に沖縄県から派遣され、主に現場と行政との調整支援に携わっています。 熊本地震における被災地域の状況ですが、おおむね急性期から支援期/復興期へとフェーズが移行してきており、多層的な対応が求められる状況になってきました。 とくに避難所については長期化の様相もあるようです。津波で流された東日本大震災と比べると、家の片づけに追われたり、倒壊した家屋から掘り出したりということに追われている被災者が多いようです。そのため避難所から離れることができないでいる方が多くおられます。 小児や要介護者、難病患者なども家族と一緒に避難所生活を余儀なくされていますが、私が拝見した範囲では、おおむね避難所ごとに良く対応されていると感じました。多様な専門団体や企業など、日本の被災地支援も格段に経験値があがっていますね。 ただ、避難生活の長期化による高齢者への負担が繰り返し報
2011年3月11日の震災による福島第一原発の事故は、史上有数の規模で放射線被曝を引き起こしただけでなく、近隣地域の人々の生活を大きく変えてしまいました。長期的なデータから、健康への影響を検討した結果が報告されました。 ◆事故と避難による長期的な影響は? 大きな災害のあとでは、生活の変化などによって健康状態に影響があることが考えられます。ここで紹介する論文の著者らは、阪神大震災のあと神戸で糖尿病患者の血糖値コントロールが悪化したことを報告した1998年の論文(Effect of the Kobe earthquake on stress and glycemic control in patients with diabetes mellitus. Arch Intern Med. 1998 Feb 9)を例に、「以前の研究が、生命を脅かす災害の経験と慢性的な健康状態のコントロールの悪化が
腫瘍内科医とは、がん患者のあらゆる問題に対応する「がん」の総合内科医です。抗がん剤や緩和療法、適切な治療のナビゲーターの役割もします。 今年は、地下鉄サリン事件20周年になります。毎年この時期になると、テレビなどでもサリン事件について報道されます。いまだにサリンの後遺症で悩む人や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいる方もいらっしゃいます。我々はこの事件を忘れてはいけないし、あのようなテロを許してはならないと思います。 私は、実はサリンの被害者であり、重症で入院していました。20年経った今、当時のことについて記しておきたいと思います。 1995年3月20日その日は月曜日でした。当時、私は国立がんセンター中央病院のレジデントであり、通常はバイク通勤をしていたのが、前日に千葉の病院で当直のアルバイトがあったので、千葉から電車での通勤となりました。総武線秋葉原駅で日比谷線に乗り換えて、
東京電力福島第一原発事故後に避難が遅れ、入院患者約40人が死亡した福島県大熊町の双葉病院を運営する医療法人博文会が12日までに、患者の救出時に「病院関係者は1人も残っていなかった」などとした同県の事故当時の発表が事実に反していたとして、県に対し、新聞への謝罪広告の掲載などを求める訴訟を福島地裁に起こした。 訴状によると、県は原発事故後の2011年3月17日、患者の救出時の状況を「14日から16日にかけて重篤な患者だけが双葉病院に取り残された。自衛隊が救出に向かったが、病院には病院関係者が1人も残っていなかった」とする内容を発表した。それが報道された結果、病院が患者を見捨てたなどの悪評が立った、と訴えている。 博文会は「14日には病院に院長ら6人がおり、救出に立ち会った」などと主張していて、県に対し、全国紙や地元紙などの新聞に謝罪広告を出すことや、県のホームページに謝罪文を掲載することを求め
写真 もっと医療面あなたのたん、色や粘り気は? 気道の異常知る「鏡」(2019/7/10) ねばねばしてのどに絡みつくたんは、口から肺への空気の通り道「気道」の異常を知らせるサインだ。4月には、世界初となるたんの診療指針ができた…[続きを読む] 唾液腺に石ができる「唾石症」 切除のリスクは?[どうしました](2019/7/10) 食に「罪の意識」オリンピック選手が語る6年間の無月経[ニュース・フォーカス](2019/7/8) ハンセン病家族訴訟、控訴せず 首相、人権侵害を考慮[ニュース・フォーカス](2019/7/9) 調理実習でジャガイモ食べた児童8人が入院 兵庫・宝塚[ニュース・フォーカス](2019/7/10) 夜勤眠れず、「限界の中で……」 人手不足の介護現場[ニュース・フォーカス](2019/7/10) ベッド転落で負傷、事故を隠した特養を松江市が処分[ニュース・フォーカス
福知山市民病院のロビーで待機する負傷者ら=15日夜、京都府福知山市、藤田太郎撮影 京都府福知山市の花火大会会場で起きた爆発事故では、59人の負傷者の搬送に、市が用意した大型バスが活躍した。22年前に約310人の負傷者が出た列車事故を教訓に、市が万一に備え用意していた。大混乱の現場を見て、救急隊員は症状の軽重を判断し優先順位を決める「トリアージ」を断念。まずは一気に搬送し、病院で改めて実施する異例の対応を決めた。 爆発は、花火打ち上げ直前の午後7時半ごろに起きた。花火が特にきれいに見える場所だったため、見物客が特に密集していた。爆発と同時に、炎に包まれ逃げ惑う人、川に飛び込む人、土手上に裸足で走る人などが入り乱れた。 会場には、市消防本部と地元消防団の計128人がおり、要員としては十分だった。当初、多数が巻き込まれる事故現場での原則に従い、一部負傷者にトリアージを始めた。 だが、市消
NEJMの最新号からのコメント。「ボストンの不幸中の幸い」 •爆発が起きた時に、既に多数の救急隊員や警備員・警察官がマラソンの為に待機していた。 •マラソンの日≒マサチューセッツ州の休日だった。このため病院が混雑してなかった。 •爆発が午後3時という病院の勤務交代の直前の時間に起こったので帰るチームとこれから働くチームの両者が病院に居た。 • ボストンという街自身が7ヶもの外傷治療センター、多数の世界のトップクラスの病院を持ち、更に救急隊員が賢明な布陣・分布体制をとっていたので必要なマンパワーがすぐに得られた。 • 爆弾の性能が悪かった & 建物の外で起きたので爆発の圧力が拡散された。(戸内であったらもっと惨状に・・)更に周辺の建物が崩壊せず救出しやすかった。 •外傷治療専門家の世界では、イラクやアフガニスタンで経験を積んだ軍の外科医や救急医が次第に全米各地に知識を広めていた。 ・またボス
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